それは自分とひたすら向き合う期間~人生をデザインする学校0期fin~
一受講生の記録、というより内省として書かせていただきます。(タグはいったんつけません)
始まりは自分で作れるが、終わりはふと訪れ儚い。
過程は見苦しいので、さいごだけ見てほしい。
これまでのあらすじ
4月から「ZERO SCHOOL 0期生」として自分の人生をデザインするために講義やワークをする4ヶ月間を過ごすことに。決意とかは1つめを見ていただけるとわかりやすいかと思います。
最終投稿が4月。そして、③は下書きとして投稿せずに残っている。その当時締切に間に合わせて書こうとしていたが、どうも筆に乗らずにそのままとなったまま。
その後もぶっちゃけまだ視聴できてない講義動画もある。
簡潔にいうと打ちのめされた感や無力感で進められなかった。はたから見たら機会損失もいいところでもったいない。
他人の眩しさと、自分否定
受講生がほかに10名ほどいて、それぞれによいところちょっとだけ足りないところがあってそれを素直に受け止めて、他人を尊敬する純粋さがある。
なんだかそれを遠巻きに眺めて、自分にはできないなと思うことが多々ありました。勝手に距離を取るな。
結局自分の人生をデザインするには、土台・自分を知らなくてはならなくて、この感情についても分析していました。
などなど。
性格が悪いことは十分承知でしたが、素晴らしい人たちがいるなかで(これも決めつけか)なんだかその場にいては行けない気がして、そんなに深く自己開示もせず聞くこともしなかったのが現実です。そんなに能天気に仲良くなれる無神経さ・鈍感さもあいにく持ち合わせていなかった。
プレゼン機会の放棄
カリキュラムでは7月に公開講義として、自分の人生デザインを発表する機会がありました。
結論、私は発表する資格はないと思ったので辞退しました。
失敗しても行動が大切とわかってはいたけれど、すごい人の前でプレゼンで話せる内容がなかった。
スタッフの方が熱心にプレゼン資料や発表練習のフィードバックを行い、受講生は真剣に内容をブラッシュアップする。そんな期間は大変だったかと思いますが、見守る、わけでもなくひたすら存在を消す日々。
もとから予定は空けていたから見に行くことはでき、それも悩みましたが、主催のらいちゃんからも「来てくれるだけでも嬉しい」とお話いただき、当日は後ろからひっそり観覧することにしました。ぶっちゃけ存在知られずに帰ってもよかった。
結果、その後の懇親会までお邪魔させていただきましたが。
プレゼンしていたみんな、眩しかったです。
自分なりのZERO SCHOOLの着地
プレゼンを聞いている間、自分ときだったらどう話そうか考えていました。
結局どういうときに自分が幸せだと感じて、何をしていきたいのか。
立派な事業計画(なにかビジョンを持って成し遂げたいことを明確にする)レベルはできずとも、自分の生きる軸は決めておきたいと感じたわけです。
最初のワークも含め自己分析をしまくり、なんとか最終日までにプレゼンを仕上げました。粗は正直あったかと思います。ただ、それもいまの自分ということをまずは表明したかったのです。
最後の講義で時間をいただき、本番と同じ3分間で発表しました。
重要なワードは、健やかな暮らし・協力して成し遂げること・非日常です。
また、ZERO SCHOOL最終回での言葉も温かったです。アーカイブであらためて見返す。心に留めておきます。
数年後のありたい姿や、そのためのアクション
本件とは別に、先日ZEROメンバーのモーリスさんにヒアリングしていただき言語化ワークを行いました。
すごくわかりやすい!
最後の「問題解決能力が高いので大丈夫」というメッセージにも励まされました。
このことも踏まえて、チャレンジしていきたいなぁと思ってます!
具体的に身に着けたいこと・個人でやっていきたい領域、うっすらわかってきてはいるのでそのための行動はできてきているかと。
自分を向き合った現時点の持論、ただ結論づけるにはまだ早い
まずはありがとうございました。
上記でやってみようと思っていることと別に、ゆるくnoteで思考練習も兼ねたエッセイもどきも投稿していきたいと思っていて。
私という自身は変えられないけれど、"こういう考え方をする自分"を受け入れる・(まずはちょっと偽ってでも)自信を持った自分でいること、は意識して生きていたい。
その先で未来にワクワクして生き生きとしている自分がいると思うので。
擬音だらけだけど多分これが一番理想に近いのです。