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ごはんを作りたくない日
「ご飯ができたよ!」の声がする、夕焼け小焼けの鐘が鳴る。河川敷のくさはらも、ついにすっかり金色になってしまう。通学カバンを肩にかけ、焼き鳥屋の列に並ぶと、焼き鳥屋の主人が、「ももにんにくか?」と聞いた。
「そう。タレと塩、一本づつ」
「買い食いは不良の始まりだぞ」
「それが商売のくせに」
「ま、そうだ」
焼きたてのやきとりを食べながら家路をたどった。「止まれ」の白い字が、熱いアスファルトの黒い海に浮かんでいた。ぼくは足には自信があった。早く走れはしないけれど、一日中、どんなに歩いても、どんな山道を歩いても、疲れることはなかった。大人になれば、誰よりも遠くへ旅をして、きれいな人を連れて帰ってくるのだと思いながら歩いた。夕暮れが終わろうとしていた。
「おなか、すいたね」
踏切で待っていると、そのへんに生えている電柱が、ささやいてくる。ぼくと電柱は、勝手に話した。電柱の声は、ぼくにしか聞こえない。
「うん。すいたねえ」
「今日のごはんはどんなの?」
「さあ、どうしようかな。自分で作らないといけないから、毎回困るんだ」
「面倒だったら、食べなくてもいいんだよ」
「そうか。そうだね」
ぼくは笑った。電柱も一緒に笑ったらしい。踏切が鳴り始めたので、ぼくらは黙った。遮断機が下りてくると、風がごうごう唸る。外灯に羽虫がたかりだしたのを眺めていたら、視界を急にさえぎられるような突風が吹きつけてきて、線路の向こうからやってきた電車が通りすぎると止んだ。風のせいなのか埃のせいなのか、涙が浮かんでよく見えなかった。目をこすって、遮断機が上がると、ちょうど向かいに友達が立っていた。
「今、来たの?」
「いや。待ってた」
「そう。ふうん」
友だちは何か言いたいことがあるようだったので、ぼくも黙って待っていたら、遠くでカラスが鳴いている声がした。ぼくらは日が暮れてしまうまで話した。空は夜を迎える準備を始めていたし、あたりもだんだん暗くなっていたけれど、まだ話さなくてはならないことがあったのだ。でもぼくはお腹がすいていたし、それになんだか眠かった。
「今日は、外で食べようかな」
ぼくは言った。
「じゃあ、また明日」
友だちは手を振った。それからふと、ぼくの顔をまじまじと見て「目、どうかした?」と聞くので、「ちょっとね」と答えておいた。
電線はやさしい。突然のお客にも、丁寧にしてくれる。青いスパークを散らして、ひゅうひゅうと飛び回る。
「やあ、こんばんは」
「こんばんは」
「今日は月がきれいですよ」
「そう?」
ぼくは空を見上げる。電線のはしに座って足をぶらぶらさせる。電線はぼくをぶら下げて、空へ上っていく。
「ちょうど、電気飴が余っていたところだったのです。昼間の雲から、取り出しておきました」
「そう。ありがとう」
「今日は雨になりそうなので、夜はさがっていますから、チャンスでしたよ。ねえ」
ぼくはほほ笑む。そして電気飴をなめる。外灯が遠くに見えてくると、ぼくは目をつむった。
「目、どうかされたのですか?」
「うん。ちょっとね」
ぼくは答えるけれど、それ以上言うことはないのだった。目の中で何かがぱちぱちと爆ぜている。僕はこの世のものではないので、寝ないでもかまわないのだったし、食べる必要も本当はなかったけれど、でもとりあえずはお腹がすくような気がするので、電線にぶらさがりながら電気飴をなめる。
「またね」
「ええ。また明日」
外灯のふもとでぼくはおりた。そして歩きだそうとしたとき、ふと思い出して振り返ったら、電柱はぼくを見送っていた。