見出し画像

熱海(BFC6 二次選考通過作品)


 たった一度しか行ったことないのに、死んだら熱海でした。JR東海の、静岡県にある駅の、熱海っていう観光地の話ですけど、気づいたらホームに立っていて、自分ひとりぼっちで、まわりには誰もいない。人けがない。天井のライトだけがジリッジリッと灯っている。もともとは恋人と心中しようって、そういう話になり、ラブホのお風呂場で練炭を焚いて、ドアの隙間をガムテープでふさいだり、換気扇にふたをしたりしているうちに、本当に肺に一酸化炭素がまわって死んだんだと思うんですけど、その恋人が見当たらない。もう顔とか思い出せないんです。名前なら覚えてますよ。苗字は忘れたけど、下の名前だけ覚えてるんですが、迷惑になりそうだからここでは言わない。本人に迷惑かかりそうだからそれは言えない。まわりを見渡しましたが、駅員の方はいないようでした。観光客の姿も見当たらない。電車がこない。しょうがないので改札を乗り越え、大きな駅の屋根を背に、恋人を探して熱海の街をさまよいます。だけど誰もいない。車なんて一台も走っていませんからね。エンジンの音すら聞こえてこない。あたりは静まりかえっている。寂しい風景、べつに、熱海に特別思い出があるわけじゃなかったんです。だから余計に意味わかんなくて、なんで自分は熱海にいるんだろうって考えたり考えなかったり……うーん、考えてない時間のほうが多かったかな。生前いちど来たことあるだけの熱海に、そのときは恋人と来たんですけど、弾丸旅行みたいな、単にそういう感じでした。ほんと軽いノリだったし、訪れたのはその一回きりで、そんな熱海に恋人がいるのかどうか、自信がない。もしかしたらいないかもしれない。いたらうれしいけど、いるかどうかわからない。いるかどうかわからないくせに歩きつづける。でも信号すら点いてないってどういうことなんですかね。人っ子ひとりいない。そろそろ足がつらい。いったい何時間歩いてるんだか。しだいに記憶が曖昧になってきます。もう顔とか思い出せないんです。心中しようって言われたとき、内心うれしくなっちゃって。死なないでとか、生きててほしいって言うのは簡単なんです。すごく簡単、普通のことだから。そっちのほうが収まりがいいですから。いっしょに死のうと言ってくれる人って普通いないですよね、そういうことです。ふだんだったら絶対使わないような高いラブホに、恋人とこっそり練炭を持ち込みました。部屋のロックを外して、順番に靴を脱いで、だけどちょっとベッドに入ったり、そういうことしたりはしなかった。何もしなかった記憶があるんです。恋人とふたりでお風呂場に向かいます。高いラブホなだけあって、さすが立派な作りでした。やけに面積が広いし、ジャグジーとか付いてるらしい。ガムテープで目貼りしていく。ドアの隙間から窓枠、換気扇とか、ふさげるところは全部ふさがなくちゃいけませんでした。ガスが漏れるからなんですって、もう大変でしたよ。七輪に火をつけて、ぼーっと待っていると、事前に2ちゃんねるで聞いてたとおり、目まいっていうか、頭ん中ぐるぐるしてくるような気がする。気分が悪くなってくるんです。胃の底でだんだん吐き気が大きくなって、七輪から煙が、もくもくと上がる。お風呂場に充満してくる、というかあつすぎる。こんな狭いところで、火なんて焚いてたらそりゃあつくもなるよと、ドアノブをひねってしまいそうになります。本当はそんなつもりないはずなのに、足がどこかへ向かう、息ができる場所に、お風呂場から出たくなって、ここはどこなんだろう、どこだろうって、大きな大理石のバスタブを背に、煙だらけの部屋をさまよいます。ドアノブを探しまわる、這いつくばって、でもなんでドアノブ探してるんですかね、ずっとそこにいたらいいじゃないですかえっまさか助かろうとしてるんですかお前こんなときですら逃げるのかよ、おいこら、この期に及んで逃げんのかって、あ? よろけて膝をタイルにぶつけてしまう、ヒビ入ったんじゃないかってくらい痛い、いたくて、思わず恋人の手を握りたくなります、無性に、だけど恋人はいない、もう顔とか思い出せないんです、クソあつくて、何も見えない、煙が邪魔だし、ドアノブを見失い、恋人の顔も見失い、あつい、あつくてあつくてドアノブを求める水面が、ずっと向こうのほうで、ジリッジリッと照っている、手を伸ばすと意外とさわれる、温泉(?)ってくらいあつい、なんで、なんでと煙が顔にかかる、たまごのにおい、じゃあ温泉だ、熱海と言えばみたいな? 床はぬるぬるしている、石けんがこびりついてて、ちょっと足が滑りそうだよ、危ないなって腰をかがめる、つま先から湯に入る、てかあつすぎじゃない? ほんとに温泉だよねこれ? 熱湯風呂かよ、どんな皮膚してたら入れるんだよって恋人に笑いかけるけど恋人がいない、自分しかいない、素っ裸になった姿の自分が、水面に映ってる。ふっと視線を上げると、温泉の仕切りの向こう側に滲んだ景色が沈みはじめていて、熱海の景色がみえる、煙がのぼっててあつすぎる裸みられるのは恥ずかしいなって、まわりを確認するけど、まわりには誰もいない、誰もいない温泉、あーそうかここは熱海かって安心する(安心する?)、のぼせちゃう前に、早くお風呂からあがろうって、バスタオルでわしわし髪を拭う。ドライヤーはすでにコンセントに刺さっている。誰かが用意してくれたやつ。スウェットを着て外に出ると、体は芯からポカポカしていて、逆に風の冷たさが余計わかった。ひとりで駅までの道を歩いていく。温泉に入ったあとは不思議と足取りが軽くなる。なんとなく整ってるような感じがする。なんとなくだけど。とにかくとってもいい気分で帰る。次はもっと二泊三日とかで来たいな、今日は、明日も仕事あるので帰りますけど。

いいなと思ったら応援しよう!