YAMI大第5回レポート【3.11から10年】:ありのままの自分の体験を見つめて
2021年3月7日(土)夜9時からオンラインイベントが開催されました!
今回のテーマは「3.11から10年」です。
今日これを書き起こしている今がまさに3月11日。メディアも震災を多数取り上げました。私たちは未曽有の東日本大震災をどのような物語として心におさめているのでしょうか?
YAMI大・U-35メンバーが経験したそれぞれの震災のストーリー、気になるところです。
YAMI大って何?という方はこちらへどうぞ。
【YAMI大公式サイト】
https://www.yami-dai.space/
【U-35くらい学部公式ウェブサイト】
https://yami-dai-u35.jimdosite.com/
※ここに書いてはいませんが学部長、吉原海(KAI Yoshihara/♀)は中央大学法学部政治学科卒。政治学はもちろん、NPO/NGO、ジェンダー論まで幅広く学んだ人です。卒業後はCanada、NewZealandでワーホリしたり、山小屋とかOLとか、とにかくいろいろやった人です。
(写真:Canadian Rockie)
//第5回オンラインイベントはこうして行われました//
【時間・参加人数】
3月7日(土)午後9:00~10:30(日本時間、@Zoom)
●日本全国3名+録画参加4名(台湾・南米・日本)
【プログラム】
①チェックイン
今どんな気分かをそれぞれ一言ずつ挨拶。
②「311から10年」それぞれの体験をシェア
今回は未来を語るというより、過去、あの日、あのときをまさに今もう一度掘り起こして語りました。
③ガクブチョーの〆
④チェックアウト
一人一言感想を言って退出。
//①チェックイン//
本題に入る前にひとり一言。
Mikity(一児ママ):腹の調子が悪い(爆)便秘対策でココナッツミルク1缶飲んだ。
Sくん(Mr.Stable):引き続きオンライン祭り。3月11日EMSの渡辺克己さん朗読会に参加することになり準備中。(つまり今まさにイベント中?)
ガクブチョー:映画「二重のまち 交代地のうたを編む」を観た。陸前高田市で学生がインタビューしたり掌編を朗読したりする静かな映画。日常の淡々とした話なのだけど、真実のパワフルさがある話。聞いていると辛くなったり呆然となったるする映画。今、体調がよくなくいので色々考えている。
//②「311から10年」それぞれの体験をシェア//
Sくんのものがたり
当時の居住地:都内西部(計画停電区域)
震災に遭った場所:中央区
当日の流れ:机の下に隠れる⇒総務でばたばた⇒実家住まいで無事であることを連絡入れた⇒仙台営業所と翌日連絡が取れた⇒メインの工場が計画停電でしっちゃかめっちゃか。壁が崩落しもしかしたしたら社員が犠牲になっていたかもしれない。
ここがポイント1:311はなかったことにしていた。社会人3年目で2008年リーマンショック、急激な円高と業績悪化、311により円高が進み国内の工場閉めるどたばたの渦中にいた。311の半年後くらいに、仕事よりもっと大切なものがあるのではと気づいた。その後2015年から大学院生に。
ここがポイント2:震災後、美談が溢れていたのが気持ち悪かった。美しいものがあることは否定しない。だけど、美しくないその他の現実を見なくていいのかという疑問があった。
ここがポイント3:2018年に岩手、宮城の沿岸部をまわった。壊滅した地区とそうでない地区の地域差を感じた。EMSの代表が遅れて支援活動を始めたのは、行政じゃ無理だなと思ったからということ。公平にやろうしても公平にやりようがない。
Mikityのものがたり
(撮影:Mikity@石巻市~女川)
当時の居住地:杉並区
震災に遭った場所:品川区
当日の流れ:机の下に隠れる⇒5時間歩いて帰宅⇒職場が支援団体だったため、翌日から東北に行ける人員募集が始まる。⇒3月下旬~約20日宮城へ
ここがポイント1:仙台に着いたとき東京より街が明くてびっくりした(東北電力と東京電力の管轄の差)。被災地では津波は一度しか来てないが、東京の人は映像で津波が何百回もきていて、それはそれで被災したのだとわかった。
ここがポイント2:各支援団体のシマ争いがえげつなかった。○○市は○○団体、○○市は○○団体がとる、といった争い。ブランディング、実績争いのため。
ここがポイント3:東京を発つ前は憐れんでいた。かわいそうな「はずだ」で沿岸部に行った。心象としてはパワフルな子供の底力から逆に元気をもらった。ある日某避難所で米軍がやってきて駐車場で子供たちとダンスをした。職場のルール的には厳禁だが子供たちの顔はきらきらしてた。私は米軍からタバコをもらい吸いながら見ていただけ。
ここがポイント4:募金が集まりすぎて遣いきれず現地では毎夜ため息が漏れていた不思議な空間だった。現金を渡そうにも縦割り行政に入れない問題などがある。帰京後は寄贈物の調達・配送の激務に追われたが東京オフィスに届いたものの9割9分は廃棄となった。汚すぎて送れない、そんなに量が要らないというのが実直な理由。
ここがポイント5:連絡することはないのだけど、避難所で出会った子供たちや避難所自体の電話番号は今でもメモリに残っていて消せない。
ガクブチョーのコメント:システム的な縦割りで支援団体の高尚な設立目的が実現されないことの悲しみがある。また、アール・ブリュットの現代アート画家、中津川浩之さんが、子供を対象にしたWSを呼ばれて行った話を聞いた。それまでで一番辛いWSだったそう。理由は、子供たちはさんざん支援団体のWS漬けになっていて、大人の自己満足に愚弄されて深く傷ついていたから。初めは暴力的な子供の怒りを爆発させる、抱きしめる、受け止めることから始めた。最後に大きなひとつの絵を完成することができ、そのときやってよかったと感じた。
人間には奉仕活動に自己満足的な気持ちが入っていることに気づかない弱さがある。人間は未熟だし自己中心的で弱い、それをもとにせめて自覚を持って愛といった目標を掲げたほうがいいのでは?またあのときの絆ブームや「がんばろう日本」と掲げられたことは、「がんばらなければいけない」とプレッシャーがのしかかってきて苦痛だった。
(米軍の話を受け)支援にはカルチャーの性質が出る。日本はステップ重視な上でパーフェクトの結果を目指している。子供が楽しめる結果が出れば支援団体の決めたプロセスに絶対従う必要はないわけで、海外のカルチャーだと結果が出れば過程はそこまで重要じゃない。自分が自分のカルチャーに属していることを理解すること、他人は別のカルチャーに属していることを理解するした上で交流をする大切さを見つめる。「だから日本はダメなんだよ」と否定するだけではなく、その上に橋を架けて理解し合うことが人としての進化ではないのか。
Sくんのコメント:うがった見方をすれば支援が自己目的化してる(きっぱり)。
(撮影:Mikity@石巻市~女川)
ガクブチョーのものがたり
当時の居住地:都内西部(計画停電区域)
震災に遭った場所:大井町の劇団四季劇場
当日の流れ:ミュージカル『美女と野獣』観劇中で前半部の盛り上がりシーン⇒客席パニック状態、演目中止⇒大井町駅界隈をぶらぶら、家電コーナーで震源地を知る⇒私設避難所のゲーム開発会社に宿泊⇒翌日バスと電車を乗り継ぎ夕方帰宅。
ここがポイント1:大学4年生だったので卒業式がなくなった。卒業式、着物・袴レンタル・美容室もキャンセル。卒業証書は事務室で事務の人からもらった。
ここがポイント2:計画停電でサバイバルだった。都内の人の顔が死んでる、ゾンビみたいで耐えられなくなった。
ここがポイント3:突発的に伊勢神宮に日帰り旅行へ出かけた。関西は東京の雰囲気と違って生気があった。
ここがポイント4:4月になりてんやわんやの東京で新卒でパンプスにスーツで出社・研修。とりあえずの避難袋を持たされ研修を受ける毎日だったが、会社の対策も身がない。窮屈で面白くないし、違和感もあり、それに従っている自分も嫌だった。なんとくだらないことをやっているのかと虚しかった。今から思えばそのような危機的状況でも、それまでの自分であり続けてしまったという後悔がある。東京から離れたかったけど逃れられなかった。311は深入りすると辛すぎる体験で、客観的に311を捉えられているとは思いづらい。コロナと通じるものを感じるけど、コロナは自分の生活の優先順位を組み替えられることができて、あのときよりは成長したと思える。
//③ガクブチョーの〆//
3人だったのにもう22時半になりました。
311は日本全体が敗戦と同じように集団トラウマになりましたね。直接自然災害を経験しない人も映像やメディアで被災体験をしました。実態がよくつかめないけど、すごいことが起きている、だけど距離があってどのように対処すればいいかわからないという状況。
都内でも余震は続き、先が見えない怖さというのもありました。
現実として目の前で「この人に私はこれができる、あげる」ということができなかったのは生き物として辛いことです。目の前にあるおにぎりは食べられても、想像のおにぎりは食べられません。先が見えない不安もあり、東北と東京では距離もありすぎて対処しようがない現実がありました。
今日は未来のことを語るというより、過去を振り返る回でしたね。
次回のテーマは「情報」です。正しい情報をどこから得るか?around 35の人には目を背けてはいけない議題です!
次回も楽しく議論しましょう。
【お問い合わせ先】
◎YAMI大 U-35くらい学部
参加費無料。まじめに楽しくがモットー♪
学部へのご質問、お問い合わせ、見学希望の方は下記よりご連絡ください♪
u35.yamidai☆gmail.com (☆→@)
公式ウェブサイトはこちらです。
-書記係からのコバナシー
震災は怖いものだと思いなさい!ということが日本中に流されたメッセージだったんだろうか。
私の感じ方はヘンだったのか、私の311こうしてみると楽しかった。感情がひとところにとどまることがなかったという意味だ。沿岸部を渡り歩く中で子供たちと出会い、物が動き、一秒後に状況は変わっている。
宮城では色んな人と出逢った。被災された方はもちろん、各支援部隊(一番遠くで鳥取県庁職員さん)、自衛隊、米軍、ホテル従業員の方、地元大学生、自身も被災し100円ショップで化粧をそろえたというせっせと私たちを運んでくれた女性タクシードライバーさん。みんなでひとつの目標を分かち合い、滞在中は決して後ろには進まなかった印象がある。
東京に帰ってから、初めて後ろに進んでいる日本を見た。上記の顔ぶれから311とうのは日本の国力を総動員したものだとわかるだろう。
そんな出来事を想像力だけで記憶に納めるのはある種危険を伴うことだと思う。個人の物語として個人がそれぞれ経験を記憶するというだけでいいんじゃないだろうか。
誤解を恐れずにいれば私は現地で出会った人から毎日ものすごく元気をもらっていた。特に子供たちとはよく笑った。どうしてそれを不幸話だけにおさめるのか、不幸にすれば納得がしやすいのか、そうしたら情報は売れるのか……。そんなことを今日流された10周年の各局のニュースからも考えてしまった。
記録・文責:F.MIKITY