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映画『親愛なる同志たちへ』
アンドレイ・コンチャロフスキー『親愛なる同志たちへ』(2020、ロシア 、121分)
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隠されてきた弾圧事件を映画化
実際にあった事件が題材なので、日付もはっきりしている。
ソビエト連邦時代の、1962年6月1日〜3日。
南部の小さな町、ノボチェルカッスク。
生活必需品すら手に入りづらくなり、賃金も大幅に減給され、工場の労働者たちが一斉に抗議行動を起こす。
政権側は、あってはならない事態だと見なし、市民たちを武力で押さえ込もうとする。
妄信的な共産党員である主人公は、群衆の中にいたはずの娘の姿を探し回るが…。
内側から見る社会主義
末端とはいえ体制側に身を置く主人公は、自国を信じ疑うことはない。
その立場を利用して、深刻な物資不足の中でも商店に融通を利かせてもらう。
その姿は狡賢くも映った。
併せて、同僚たちや、一報を聞き駆けつけた中央からの人物も、実に情けなく描写している。
蜂起した人々に心底から恐れを抱き、我が身可愛さに逃げ惑う。
責任を押し付け合う。
自分たちの頭では何一つ判断できず、上からの指示を仰ぐ。
それもそうなるはずで、対策会議でズラリと並ぶ偉い人たちの威圧感がこの上ない。
揃いも揃って中高年以上の男性たち、とても何か意見を言えるような雰囲気ではない。
厳格な上下関係に貫かれた、恐怖による支配が徹底されている。
それでも庶民たちには思うところが当然あるはずで、同居する老齢の父は、酒を飲みながら自分が見てきたことを語り出す。
主人公は、自分の人生を築いてきた思想と、娘を想う愛情との間で引き裂かれる。
信じていたはずのものが崩れ落ちるとき
この虐殺は、故意に、そして巧妙に計画されていたことが示唆される。
さらに恐ろしいのは、すぐに痕跡は消され、死体も隠蔽されることだ。
その上、現場となった広場では、あろうことかダンス・パーティーまで催される。
いつも思うことだが、死者を冒涜する国に未来はない。
事実は目の前で改竄されていく。
町は丸ごと封鎖され、外に漏れ伝わらないよう管理される。
社会主義とは、恐らく崇高な理想から出発したのだろう。
誰もが平等で、公平に扱われる社会。
もしそれが実現できるならば、どれだけ素晴らしいことか。
実際は、誰もが主義を第一に優先することで、誰にとっても無理がある生きづらい社会になってしまった。
最後に、吹けば飛ぶような、かすかな可能性にしか私には見えなかったけれど、それでもほんの少しの希望が描かれている。