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映画『林檎とポラロイド』
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クリストス・ニク『林檎とポラロイド』(2020、ギリシャ・ ポーランド・スロベニア 、90分)
記憶喪失が流行る世界
まず設定が独特だ。
あるとき突然、それまでの記憶が一切なくなるという奇病が蔓延している世界。
近未来SFのようでいて、どこか懐かしい別世界のようにも見える。
主人公も、出かけた先で記憶を喪失してしまう。
身分証も携帯していなかったため、住所はおろか自分の名前さえ思い出せない。
そこで病院に運ばれるが、医者たちも慣れたもので、さらっと原因不明で治療法もないと言う。
そのうえ治った人もいないと、うっかり漏らしてしまう。
迎えに来てくれる親族もいそうにない。
であるならば、この瞬間から全く新しい人生を始めてみては?と治療プログラムに臨むことになるのだった。
「新しい自分プログラム」
勧められるまま、それまでの自分がやったことがないであろう奇抜な項目をこなしていく。
子供用の自転車を乗り回したり、仮装パーティーに行ったり、かなりの高さからプールに飛び込んだり…。
そして、記録用にポラロイド・カメラで撮影しておくのだ。
順調に課題をこなす中、なぜかリンゴだけは好んで食べ続けている。
味の好みは、記憶がなくなったとしても変わらないのだろうか?
そもそも、記憶とは何だろうか?
それがなくなると、全く別の人生を歩まなくてはならなくなるのなら、人を人たらしめているものなのかもしれない。
そして、誰もが一度は今とは全く違う人生を一から歩んでみたい、と願ったことがあるのではないか。
そんなことまで夢想させてくれる。
人は喪失とどう向き合うか
また、出てくる道具一つ一つが全て意図的に古めかしい。
スマホは映画の世界にも割り込んでくるようになった、と嘆いている私にとって、そこも逆に新鮮に映る。
人に会うのにも、お互いの家を訪問して呼び鈴を鳴らすしかない。
音の再生も、ラジオやカセットテープ、さらにはオープンリールだ。
この映画の読み解き方も、凝っているなとは思いつつ、私は一通りしかないかな?と思っている。
ここで明白には書かないが、「人は喪失とどう向き合うか」が主題だと、やや曖昧に記しておく。
そこを表現するために、どうしても必要なのがこのSF的世界観だった。
その意味でも、優れたSFがその空想力を用いながら、やはり人間こそを描いているのと同じように、上質な短篇のような読後感を味わえた。
語るに値する傑作だし、観終えた者同士で語り合いたくなる種類の作品。