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映画『スターフィッシュ』
A・T・ホワイト『スターフィッシュ』(2018、イギリス・アメリカ、99分)
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謎多き映画
さぁ来たぞ、と思ってしまう。
それが観た直後の素直な反応。
至るところに伏線は張り巡らされ、今もって説明がつかない描写は多々ある。
この種の作品を「謎解き映画」と勝手に呼んでいる。
どういうことなのか決着をつけたくて、すぐ検索してしまう人もいるだろう。
けど解釈を任せれている分、人それぞれ異なる見方ができるだろうし、そのどれもが正解のはず。
今はそう思うようになった。
滅亡した世界?
それでも、どうやら見えてくるのは、わだかまりを抱えたまま親友が亡くなってしまったこと。
主人公は、その友だちの家に入り込み、一人時間を過ごす。
目覚めると世界は一変していて、人間たちは皆いなくなり怪物たちが跋扈していた。
冒頭に「実話に基づいた話」と字幕が出ていたことを思い出すとき、混乱はさらに加速する。
原因は分からない。
同じ生き残りなのか、トランシーバーから届く声が言う「信号=シグナル」のせいなのか?
世界を救う鍵は、親友が遺した複数のミックステープで、全て集めることで解けるという。
二人だけが知る場所に分散して隠されていて、主人公は決死の覚悟で外へ出るのだった…。
書きながらも違和感は拭えないままだし、どう好意的に見ても突飛な脚本だなとは思う。
癒えない悲しみを癒やす
映画評論家の町山智浩さんは、ときに映画を私小説的に読み解く。
監督の私的体験が反映されているのではと考えるのだ。
そういうものかな?という態度だったが、最近は案外その通りだなと腑に落ちることも少なくない。
恐らく、最後に字幕で出る献辞も含め、今作は監督にとって親しい人との別離があったのだろう。
そう予想して、その比喩として観るしかないような気が私にはした。
肝要なのは、そのことが映画作品として昇華されているか。
まだ対象との距離が近すぎて、客観的になれていないのではないか。
同じことを、最近観たサリー・ポッター『選ばなかったみち / The Roads Not Taken』にも感じた。
こちらでは、監督自身が、若年性認知症と診断された弟を介護した経験をもとに書き下ろされたという。
現実と想像を行き来する展開に共通点があり、筋を追いにくいところも似ている。
つまり、あまりに悲しいことなので、明瞭に伝わるよう映像化するには、まだ心の整理が追いついていないのではないか。
あるいは、作品を撮ることで、癒えていない部分に向き合おうとしていたのかもしれない。
作り手のそういった前提を知る由もない分、観ているこちら側への負担は重くなるが、悲哀や寂寥感みたいなものは受け取った。
ホラー映画のような、唐突な音響や演出は驚かされるので苦手だ。
それよりも、無重力のようで時間の逆流に見えた映像は、映画にしかできない表現かなと思った。