ドキュメンタリー『教育と愛国』
斉加尚代『教育と愛国』(2022、日本 、107分)
元々は、毎日放送(MBS)という大阪のテレビ放送局が2017年に制作したドキュメンタリー番組で、評価も高かったようだ。
今作は、それ以降の取材も加え、映画として再構成され劇場公開となる。
おかげで私も観ることができるようになった。
普段から接しているラジオやYouTubeの報道番組などでも監督がゲスト出演されており、それで興味を持った。
時の政権が、教育に介入してくる。
小〜中学校の義務教育から、高校まで。
さらには、2年前から現在もくすぶる、日本学術会議の任命拒否問題もある。
特に干渉してくるのは教科書の記述だ。
とりわけ歴史、近現代史。
中でも先の戦争における加害の事実が、書き換えを迫られる。
具体的には、やはりここでも従軍慰安婦の問題、そして沖縄で強要された集団自決という過ちだ。
そのやり口は狡猾で、言葉を置き換えよと直接に命令するのではなく、目に見えない圧力をもって詰め寄ってくる。
出版社側も文字通り生存を懸けた事業であり、教科書を検定する側の意に沿うようにしなければならない構造がある。
実際、一時は最大手だったのに採用されなくなり、倒産の憂き目に遭った元編集者の現在も映し出される。
少しずつ歴史は改変されている。
改竄、と言ってもいい。
そして、復古した科目としての道徳。
端的に言って間抜けな内容にしか見えなかったが、今後どう展開するか分からず、注視が必要だろう。
政治と教育がくっつくことの、何が問題か。
1945年の敗戦まで戦争を止められず、壊滅まで突き進み続けた凄惨な経験があるはずだ。
その二の舞を演じるほど、我々は愚かなのだろうか?
もし自分が権力者だとしたら、まずメディアを味方につけて情報を管理するだろう。
そして影響力を10年20年単位で長く維持するために、次にいじりたいのは教育だ。
自分たちにとって都合の良いように変えていきたい。
であれば、この映画で整理される今に至る経緯は、当然予想され得る流れなのだろう。
ところで、愛国って何だろう?
国を愛するとは、どういうことを指すのか。
そしてそれは、他人から強要されるものなのだろうか。
「国を愛する」人たちは、いつも同じ言葉で喋っているように見える。
定型がある、とすら言えるほどに。
受け売りではない、自らの頭で考えた思想ならば、そうなるだろうか?
この国の子どもたちに未来はあるか。
それを作るのは、我々大人たちだ。
一人一人が可能性を発揮できる社会、制度や設計。
それらを作るためにも、知らなければならないことは多い。
そしてこの国の教育現場は、現状こうなっている。
そのことがよく分かるドキュメンタリー映画だ。