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映画『GAGARINE / ガガーリン』

ファニー・リヤタール&ジェレミー・トルイユ『GAGARINE / ガガーリン』(2020、フランス、98分)

一つの共同体が消えゆくさまを、淡く詩情豊かに描く秀作。

題名は、旧ソ連の宇宙飛行士ではなく、彼に因んで名付けられたであろう郊外の団地を指している。

利権に取り潰される共同体

主人公の少年は、人生のほとんどをこのコミュニティで過ごしてきた。

だが、建物の老朽化を口実に、取り壊しが計画されていることを知っている。

住居全体を熟知する彼なりに、なんとか阻止しようとするが、最初から決定は下されていたようだ。


その理由は映画内で言及されないが、2024年パリ五輪に伴う再開発のためらしい。

この点では、2020年東京五輪により立ち退きさせられた「都営霞ヶ丘アパート」の人たちと全く同じ状況だ。
(ドキュメンタリー『東京オリンピック2017 都営霞ヶ丘アパート』で記録されている)

孤立する中で見る夢

彼の両親は離婚していて、同居していた母は新しい恋人のもとへ行ったきり帰ってこない。

姿を現すどころか電話にも出ず、唯一の痕跡が置き手紙のみで、不在感を強調している。


住人たちは全員出て行った。

母親代わりにもなってくれた近所の人も。
親友とも、いざこざを解消できないまま気まずい別れとなってしまった。

すぐそばに住んでいたロマの少女とお互いに好意を抱き始めるが、彼らの方が先にまとめて力づくで追い出されてしまった。

それでも、彼はたった一人で籠城する。

団地全体を、憧れの宇宙船になぞらえ、その船内のように改造していくのだ。
スマホでYouTubeを見ながら、機器を模造したり、果ては飲み水を再生し野菜の栽培までする。

そして、自らを宇宙飛行士に見立てていく。


この「ガガーリン団地=宇宙船」の比喩は突飛にも思える。

が、終始一貫したことで、妙に強い訴求力を持つに至った。

物語の力、映画の力

雪が降り積もることで残る足跡であったり、防寒のため身を包む布が宇宙服に見えたり、細部にまでその比喩にこだわる。

スマホを持たない(おそらく持てない)少女との会話は、彼女から教えてもらったモールス信号で、これも最後の描写に活きてくる。


物語の力を、映像の力を、つまり映画の力を信じている人たちによって作られたのだな。

伝説をまとう俳優、ドニ・ラヴァンを起用するところもそう感じた。

最後に、主演の一人リナ・クードリは、ここ数年私が観た限りでも、『パピチャ 未来へのランウェイ』での難しい役どころ、コメディ調の『フレンチ・ディスパッチ』と作品に恵まれている。

敢えて使い古された書き方をすると「映画に愛されている人」だと思っているので、間もなく公開の『オートクチュール』も楽しみにしている。



※追記

映画好きの友人から、降り積もったのは雪ではなく、アスベストなのでは?とご指摘いただきました。
そうすると、より主張が際立つことになりますね。
まだまだ映画を観る目を養わなくては。


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