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ドキュメンタリー『チェチェンへようこそ ―ゲイの粛清―』


初めに


このnoteでの投稿は、SNSでは書き切れなかった映画の感想を、勝手気ままに何の遠慮もなく楽しく書き記すのが基本的な目的です。
ですが、2022年3月4日現在、ロシアに侵攻されているウクライナの現況は切迫を極めています。このドキュメンタリーとも関連しているので、全く触れないのはおかしいと思い、初めに簡潔に言及しておきます。
ただ、私は日々の報道に関心を持ち、触れ続けているだけの一般人です。
専門的な知識は一切有していないため、軽率なことは書きません。
原則と思う、当たり前のことを二点だけ記しておきます。

  • 今すぐ全ての侵略行為を止めるべきである

  • (ごく一部の人たちを除いて)誰一人として戦争を望んでいる人なんていない


デイヴィッド・フランス『チェチェンへようこそ ―ゲイの粛清―』(2020、アメリカ・イギリス、107分)


知る強さ


このところ、厳しい内容を伴ったドキュメンタリーが続く。
自分の知りたいという気持ちがそれらを選ばせているせいもあるが、それだけ困難な状況が多いということもあるだろう。

事実を知るのは、時として楽しいばかりではない。
養老孟司さんは、「知るのにも強さが必要だ」という趣旨のことをおっしゃっていた。
向き合うための準備と、適した時期もあるだろう。
同時に、知ることでまた一つ強さを身につけられるのではないかとも思う。

このような告発に近い作品を観ると、いつも自分に何ができるだろうか?と考え込んでしまう。
だが、まずは知ることだ、と言い聞かせるしかない。
そこからしか始まらないし、全てはそこから始まる。


配慮と気遣い


今作では、配慮と気遣いが最大限なされている。

それは、勇気を振り絞って証言をする当事者たちに対しても、また自らも危険にさらされることを承知で援助する活動家たちに対してもそうだ。

最大の特徴として、最新技術での顔と声の加工が挙げられる。
別の協力者たちの顔と声を借りることで、生身の人間が話し動く姿を自然に映し出すことに成功している。
テレビなどでよく見るような、モザイクとヴォイス・チャンジャーという手法だったら、恐らく見ているこちらはもっと距離を感じていただろう。

映画内で、ついに実名と顔を晒して訴える決意をした人が、記者会見のときにその改変を解かれる瞬間も見ることができる。

そして当然ながら、場所も特定されないように常に気を張り詰めている。

そんな節度を持った描き方は、見ている我々に対しても同じだ。
証拠として複数の映像が引用されるが、できる限り省かれてはいる。
それでも、大なり小なりショックは受けると思うので、少し心の準備は必要かと思う。
その点は率直にあらかじめ書いておきます。

この映画が訴える実態


チェチェン共和国で近年、急速に過激化する性的少数者たちへの迫害。
その危機から逃れようとする人たちと、援助者たちの活動を内部から伝える。

身に迫る危険度は極めて高く、非常に緊迫している。

まずは一旦、身を隠せる場所に移ってもらい、国外へ逃亡する手続きを整える。

無事に出られれば、いくつかの国へ難民申請を行う。
具体的にどのような状況に置かれているかを示す必要があるのだろう、円滑に進まない場合も少なくないようだ。


ロシアと、その支配下のチェチェン。
双方ともに強権的な独裁者が君臨しているように見える。
なぜマイノリティに対しての抑圧がここまで極まるのか、理解はできないし、したくもない。

力による無理な押しつけが、やがて弱い者へと向かっていくのかと、何となく予想はできる。


人は本当は偏見や差別のない社会で生きたいはずだ。
だとすれば、それをどう作ればいいのか。

誰もが、時と場合により何らかのかたちで少数派の立場になることは、決して珍しいことでも何でもないと思う。
だからこそ、このチェチェンでの危機的な状況が極端とはいえ、他人事のようには思えなかった。


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