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映画『英雄の証明』
アスガー・ファルハディ『英雄の証明』(2021、イラン・フランス、127分)
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ファルハディ監督最新作
かつて『別離』(2011)を観ていて、気になっていた監督の新作。
両作品とも、登場人物たちの立場が二転三転し、こんがらがっていく展開が先を読ませない。
綿密に書き込まれた脚本が特徴で、これまでの全作品も監督自らが手がけているようだ。
借金が返済できず、刑務所に入っている主人公。
離婚を経験しているが、新たな恋人とは婚約している。
その彼女が偶然にも金貨を拾う。
完済さえすれば、すぐにでも出所し人生をやり直すことができる。
二人は換金してもらおうとするのだが…。
誰もが魂胆を隠し持っている
物語の背景や前提となるのは、イラン社会の慣習や因習だろう。
誰もが最後まで体面にこだわり続ける。
「恥」や「名誉」、そして「家」が頻繁に出てくる会話は、日本の世間にも類似点があることを思い起こさせる。
そして主人公が、必ずしも良い人でないところに奥行きがある。
基本的に穏やかで優しい性格に見えるが、すぐカッとなり自制が効かない。
弱々しい笑顔を浮かべ、周りの思惑に流されたりもして、何だか頼りない。
それでも、最後はどういう人間なのか、通して観れば判断できると思う。
さらに、お金を貸した側の人間も、悪者にされそうになると実情を訴えるのだが、これが一理も二理もあり、決して単純な構図には陥らない。
婚約者や姉も、自分たちに有利に事が運ぶよう嘘に加担する。
必ずしも純粋な人たちとは言い切れないのだ。
ソーシャルメディアが引き出す人間の脆さ
宣伝や紹介にある通り、今作でSNSは確かに外せない要素ではある。
しかし、一つのきっかけに過ぎないとも思った。
本当に描きたいのはソーシャルメディアの負の側面というより、それによって引き出される人間の弱さ、脆さだろう。
そもそも、証拠動画となるのは店舗の防犯カメラで、美談に仕立て上げようとしたのもテレビ局(と協力した役所側の人間)だ。
つまり、スマートフォンがなかった時代にもあり得た話だろう。
けれど、ここまで急速に拡散し、話が変転することはなかったとも言える。
複雑な裏事情を知ることなく、劇中でのあの動画だけをもしSNSで見かけたとしたら、私自身も安直にその人を判断してしまうかもしれない。
人々の期待によって、祭り上げられる。
そこに便乗しようとするが、すぐ叩き落とされる。
そしてそのまま忘れ去られればまだ良い方なのだろう。
事実をどの角度から眺めるかで、見え方はまるで異なってくる。
その普遍的なことを現代に置き換えて説いた一作。