倍速視聴が理解できないX世代 vs 倍速視聴で理解できないZ世代
ここ最近、倍速視聴の是非が世間をにぎわせている。(定期的に話題に挙がるネタではあるが。)
この話題が挙がると必ず、倍速否定派と賛成派が各々の意見をぶつけ合う不毛な戦いが起きる。そう、不毛である。
倍速視聴の賛否
私の体感では、倍速視聴賛成派はZ世代に多く、倍速視聴否定派はX世代に多い。
実際に、少し昔のデータだが、倍速視聴経験ありの割合が年齢の増加とともに減っていく、という集計結果もある。
倍速視聴に対するそれぞれの立場における意見はおおよそ以下のとおりである。
倍速視聴賛成派
・半分の時間で視聴するから効率が良い(タイパ)
・面白い
倍速視聴否定派
・映像作品はじっくり鑑賞するべき
・製作者の緻密な配慮(間、カット割りなど)を無下にしている
・演者(声優)の意図を汲み取れない
ちなみに、私は倍速視聴賛成派である。YouTubeやアニメは基本的に1.5~2倍で視聴する。
情報がいっぱい得られる vs じっくりと味わって視聴するべき
どうも議論がかみ合わないように感じる。この違和感の正体は、映像コンテンツに対する向き合い方にあると思う。映像コンテンツを「情報」か「作品」のどちらとしてとらえるか、これが倍速視聴を是とするか否とするかの分岐点ではないかと思う。
映像「作品」という違和感
倍速視聴否定派は映像コンテンツを「作品」ととらえる傾向にある。しかし、ここに疑問を呈したい。
そもそも、映像コンテンツを「作品」という高尚な視点で捉えていない。誤解を生む表現かもしれないが、作者の意図とか、込められた思いなどというのは制作側のエゴだと思っている。気づくかどうかもわからない細部にこだわったところで、見つからなければ埋もれるだけで何の意味もない。倍速否定派はこれを感じるために等速で見なさいと言うが、理解しがたい。
細部へのこだわりを含めて、映像コンテンツに含まれるものは全て「情報」である。有名なセリフ、ストーリー、登場人物、主題歌がわかれば充分だ。作者のこだわりも、後で気づいた人がSNSに「情報」として投稿してくれるので、気づくことができる。
映像コンテンツの消化はニュースを見る感覚に近い
例えるなら、映像コンテンツとニュースは近いものがある。
ニュースは「政治」「スポーツ」「経済」「世界情勢」のようにジャンル分けされており、30分~1時間でそれらがいっぺんに放送される。世間の動きを網羅的に知りたいければ、そのすべてを視聴し、情報を受け取る。ニュースは毎日更新されるので、絶えず情報を受け取り続ける。
映像コンテンツも「アニメ」「ドラマ」「バラエティ」という分類に分かれており、それらは日ごとではないにせよ短期間で更新されると考えれば良い。トレンドを追う者たちは、絶えずコンテンツを吸収し続ける。ただし、映像コンテンツはニュースの何十倍もの分量があるので、倍速という選択が生まれる。これがニュースとの違いだ。
だから、倍速で見ることに何の抵抗もないし、そうするべきだとすら思っているのである。
所詮は「情報」でしかない。ここが倍速賛成派に納得されない最大の理由だろう。
価値観の押し付け
作者の意図とか、込められた思いはエゴでしかないというスタンスが私にはある。製作者が細部にこだわって作りこんだとして、それが製作者の意図通りに伝わるかどうかは、受け取り側の能力の問題に依存する。したがって、これは受け取り側の感じ方に委ねるべき問題と考えている。
例えば、高級な天ぷらのお店に行き、コースを頼むと、野菜や魚介類の天ぷらなどが順番に揚げたてで届く。同時に、料理人から、「天つゆでお召し上がりください」とか、「塩でお召し上がりください」のように、それぞれの天ぷらに対しておすすめの食べ方を紹介される。しかし、私はそれを丁寧に聞いたうえで、全部塩でいただく。理由は単純で、塩が一番おいしいと私は思っているからである。天つゆなどという薄味よりも絶対に塩の方が素材の味が引き立つと思っている。料理人の価値観はノイズでしかない。美味しく食べられる方法はは本人に委ねるべきだと思う。
映像コンテンツに込められた作者の想いも同様である。情報さえわかれば充分というスタンスである以上、このように感じて欲しいというものは不要である。「映像を十分に楽しめていない」という反論があるのはわかるが、そっとしておいてほしい。あなたがその作品を愛せばいいだけの話だと思う。
倍速視聴の弊害
しかし、急いでたくさんの情報を見ることには弊害もある。倍速視聴は情報収集という観点では効率が良い、と考えなしに発言すると、それはそれで危険である。
「タイパで効率よく情報を収集できている俺スゲー」論者が大量に沸くのはひとつの弊害だろう。浅く広く知識をインプットするだけで、ほとんど何も理解していない者が多い。インプット量を誇らしく語るが、中身ゼロの場合が多い。
また、倍速視聴で「葬送のフリーレン」が理解できず、結局等速で見直すという話があった。
倍速だから理解できない、という単純な論で展開されるわけではないが、分量の都合上、割愛する。(気になったら見て欲しい。)
倍速の弊害は必ず現れる。
何でもかんでも倍速するわけではない
情報は倍速で収集するといった私だが、音楽とアーティストのライブは基本的に等速で視聴する。なぜなら、ライブでしか味わえない瞬間があり、それは等速でしか味わえないと思っているからである。歌う時のブレスの長さ、MCでしゃべるときの間、イントロの特殊サウンド、それらは等速のみ効果を発揮する。
音楽やアーティストのライブを倍速で見る人を理解ができないと私が言うのは容易い。しかし、これは言うべきでない。相手の立場を理解することで、考え方を変えたい。世界各国からアーティストが乱立している現在、音楽をトレンドの一種ととらえることも仕方のないことである。この場合、音楽は「情報」になる。
私になかった意見を取り入れ、理解することで1歩前進できる。
まとめ
私が倍速する判断基準は、「作品」か「情報」かである。これは、倍速視聴否定派の人には理解できないかもしれない。受け入れられないのは自由だが、「あぁ、この人損しているな」くらいの感覚で温かく見守ってほしいものである。