全ての物事は何かに最適化されている

今回はこれまでとテイストを変えて、自分なりの法則や思考方法を言語化し、共有してみたいと思います。
鉄板は5つぐらいあるので、今日はその1つを。好評なら定期的に書いてみたいと思います。

サクッと読めるよう、タイトルと太字だけで分かるようにしており、それなら1分、全文読んでも5分程度の分量にしてみました。

ちなみに私はほとんど本を読まない質でして、最初から最後までちゃんと読む本は2年に1冊ぐらい(漫画は除く)。同じようなことが既にどこかに書いてあったらすみません。
あくまで持論なので参考までに。

全ての物事は何かに最適化されている

これは自分なりに考えた社会法則です。この考えが前提にあると、私個人は色々やりやすくなったり、楽になったりしました。

いやいや、全然最適化されていないだろ。最適化されていないから、生活や仕事のなかで、様々な課題解決の方法が日々編み出され、もてはやされているのだろ

みたいなツッコミきそうですが、このツッコミ自体はその通り。
でも、課題がある状態だとしても、それは何かを前提に最適化されているんじゃないのかな、と考えています。

飲食店で空席あるのに待たされる案件

何言ってんだって感じかと思うので、具体的なケースで説明。
飲食店に行って、空席あるのに待たされてイライラした経験ってあったりしないでしょうか?
もう食べ終わっているテーブルが結構あり、片づけたらすぐに席つけるのに、なかなか片づず、呼ばれない案件。

自分はこの事象に名前つけて欲しくなるぐらいの頻度で遭遇しますが、こういうときって「なんでさっさと片づけて入れないのだろう。客を回転させた方がお店も儲かるのに。もったいないな。」とか思ったりしませんか?

「もったいない」ということは最適化されていない、ということ。
でも見方を変えれば最適化されているのかも。

なぜテーブルを片づけてお客を入れないのか?

パッと勝手想像すると、以下のような理由が考えられます。

  1. 趣味でやっているお店で、今月も売上十分なので焦っていない

  2. 食事中の方をもてなすことを大事にしており、その対応で手一杯

  3. フロアスタッフの人数不足で、やらねばだけどそこまで手が回らない

  4. 厨房の食洗器が故障中、これ以上片づけられても手洗いできない

  5. そもそも客の回転率が、売上の向上に直結すると分かっていない

  6. 食事が終わったテーブルがあることに気づいていない

適当な想像ですが、どれも意外とありそうな理由です。
要因を分析すると、以下のように整理できます。

  • 1-2:目的が違う=儲かる・客回転率向上になっていない

  • 3-4:環境に課題=客回転率をあげられる人員・設備になっていない

  • 5-6:能力が不足=どうすれば儲かるか分かっていない・現状認識不足

目的・環境・能力が自分の想定と違う感じ。
それぞれの目的・環境・能力を前提に置くと、食事が済んだテーブルを片づけず客を呼び込まないことは、最適(それしか選べない含む)な選択とも言えます。

意外に多い「目的の違い」

どうもこういう事象に遭遇すると、人って能力の不足を疑いがちな気がします。「なんで分かっていないんだ。自分だったらこうする。」みたいな意見が多い印象です。

でも、事象を深掘りすると「目的が違う」もう少し解像度をあげると「優先順位が違う」ということがとても多い印象です。
自分の経験則だと要因は目的が40%、環境が40%、能力が20%という感じ。
環境も実態は目的に依拠して形作られているものがほとんどなので、目的が80%、能力が20%って印象。

例に出した「食事終わった席あるのに片づけず、客を呼び込めないので客回転率があがらない」でも、客回転率を上げることが最優先の目的になっていない、ということが多いのでは、と。

フロアスタッフ不足の要因は時給が安いからで、時給が安いのは利益率が低いから。コスト削減に最適化され、客回転率向上は最優先ではない。
バイトが客回転率向上が売上に直結することが分かっていなくても、マニュアル化すれば良いはず。でも店長はマニュアル作成時間より、家族との団らんを優先したいのかも。

優先順位まで含めて目的が一致していて、それが達成できていないことって実は少ない。
つまりは最適化されていないのではなく、違う目的に最適化されているケースが多いのでは、ということ。

目的を確認し、すり合わせが大事

こう想定すると、何か想定と違う物事に遭遇した場合に「なんで分かっていないんだ。自分だったらこうする。」みたいな考えではなく、「この人・仕組みの最優先の目的って何だろう?」という考えになります。
この立ち位置の方が、その物事に携わる人と会話するときも、「バカだ。分かっていない。」という考えで対応するときと比べ、ずっと建設的な議論なります。

議論を突き詰めていって、目的の解像度があがって相互理解ができた場合、やっぱり同じ目的ではないと分かった場合は、きちんとモノ別れができます。違う人と話そう、違う方法で実現しよう、と。

要は、相手の立場に立つ、物事の背景をしっかり考える、みたいなありきたりで当たり前のことなのですが、、でも社会のなかで、それが実行されていることって意外に少ない気がします。
やるべきと言われていることをやれる人って意外に少ない。

向き合う対象がどんなに不合理で不条理に見えても、「全ての物事は何かに最適化されている」という前提に立つと、その「何か」に思いを馳せることができます。
結果、相手の立場に立って考え、物事の背景をしっかり捉える思考になれます。

何に最適化されているのか?を探る

自分は不合理で不条理な事象に遭遇するとめちゃくちゃ頭にくるタイプですが(世の理不尽を見つけて叩き潰すことに快楽を感じるヤバめな性質)、この考えを自覚してからは「でもこれって何に最適化しているのだろう」と、ある種のクイズのように対峙しています。以前からそういうところがありましたが、自覚すると常にそれが行えるようになりました。

自分が仕事で携わる学校教育の現場でも、不合理な事象があると「国は」「教育委員会は」「管理職は」「先生は」「保護者は」「今の子どもは」「業者は」に対し、「分かっていない。能力が足りていない。」みたいなことが言われがちですが、実態は誰かの何かに最適化されています。

先生の長時間労働や無駄仕事が多いことも、一気に飛びますがガザ地区での信じがたい窮状も、結局のところ誰かの何かには最適化されている。

その目的を徹底的に抽象化していくとほとんどが合意可能で(最後はほとんど幸福か自由の実現になる)、でも具象化のどこかで分岐する。
その分岐点が双方の大事なポイントで、場合によっては自覚していないこともあり、未自覚なら大事を再定義=すり合わせができたりします。

自分が生活や仕事でやっているのって、実はそれだけだったりします。
「価値創出」ではなく「相互調整」なので、つくづく無駄な仕事しているな、とは思ったりします。
調整が不要で、自分が無力になる社会にしたいなぁ(切実)。

おわりに…

ということで、サクッと読める今回は自分なりの法則や思考方法を言語化するシリーズでした。
シリーズ化するかどうかは反響次第。前述した通り他に4-5個ぐらい自分法則があり、仕事はほぼそれを起点にやっていたりしています。
興味ある方は反応していただけたらと。

次回も日曜朝に発信できるよう心掛けてみます。ではまたー。

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