日記_003_なぜ日記を書こうと思ったのか(後編)
続きは今回。小伏史央です。
前回、なぜ日記を書こうと思ったのかというタイトルの答えとして、「過去の自分のブログ記事を読み返す機会があり、それが現在の自分にとって役立つ情報であったため、現在の自分も未来の自分のために現状を言語化する必要性を感じたから」と言いました。今回はその後半部「それが現在の自分に~」について語ります。
第1回~第2回にかけて(それぞれ別の角度からではありましたが)、小伏の作品の質(面白さ)が落ちたこと、その原因がどうやら構想不足にあるらしいということをお話しました。
そもそもフィン感で「ノア」を応募したのは、自分は「ノア」をそこまですごい出来ではないと感じていた覚えがあったのですが、それにしては存外な評価を受けることが多く、自分で掴めていない・今の自分にはない魅力があるのかもしれないという不安があったからでもありました。
そして第2回で語った通り、その不安は的中していたわけです。
「そこまですごい出来ではない」という小伏さんの印象と存外な評価は、書いている面白さと届けている面白さの差異にあるのだろうと想像します。[中略] 作者は「もっと面白くできたはずだ」というハングリー精神を持ったのだろうと想像します。
- フィンディル, <https://phindillnokanso.fanbox.cc/posts/2449427>
「ノア」のフィン感ページからの引用です。「ノア」の書いている面白さ(ここでは目標点のこと)が100点なのに対し、最近の小伏作品の目標点は80点だった。70/100と70/80では前者のほうが差分が大きいですから、その差が「もっと面白くできたはずだ」=「そこまですごい出来ではない」という印象をもたらした。対して"読者にとって大事なのは、たいていの場合完成度よりも面白さ"(001)であるという前提下では、70/80よりも70/100の作品のほうが面白いことが多い。
ただしここで述べた「そこまですごい出来ではない」という小伏の印象は、小伏の記憶によるものです。2021年の小伏は確かに、2012年当時そのような印象を持った覚えがありましたが、9年も前のことですから、もしかしたら記憶が捏造されているおそれもあります。本当は今の小伏のように、書いたそばから出来に満足していたのかもしれない。昔と今が違うと思い込んでいるだけで、本当は昔っから自作に甘いだけなのかもしれない。
もしそうならば、ここからの改善は相当難易度が高くなります。
そこで念のため、当時のブログ記事を漁ってみることにしました。本当に当時の小伏は、「ノア」に対して「そこまですごい出来ではない」と感じていたのか?
結果、本当に感じていました。
こんな出来じゃあ1次も通過しないだろうなぁと思っていたんですが、ずるずると名前が残っていたときは心臓が痛くなりましたね。ええ。
[中略]
書き上げた数ヵ月後に、こうすればよかったと後悔に苛まれたり、続編を思いついてしまったり。ときには書き上げた直後から「これは駄作だなぁ」と実感が湧いてきます。
-「2013年」2013.01.02, <http://u17keeping.blog.shinobi.jp/Entry/19/>
めっちゃ辛辣。「ノア」に対して、「そこまですごい出来ではない」どころか、「これは駄作だなぁ」とさえ思っていた(上の文章は「ノア」を指して語っています)。"作者は「もっと面白くできたはずだ」というハングリー精神を持ったのだろう"というフィンディルさんの予想が、裏付けされている。
過去に書いたブログ記事が、現在の自分への指摘の根拠として(結果的に)機能したわけですね。
また、「ノア」が現在の小伏作品よりもしっかり構想を練っていたらしいと見て取れる、作品外の根拠として、
ある地方公募に出す作品がね、1万字程度の短編なので、2日ほどあれば書けたはずだったんですけどね……。なん日かかったんだろ。20日くらい……うん。悲しい。
原因は分かっています。プロット固めすぎたんです。がちがちに、シーンひとつひとつ、その分量配分にいたるまで。というのも、去年、プロットを固めすぎて最後まで書けなかった経験があるんですが、もう一年も経ったんだ、一年分の成長がうんたらかんたらで今なら書けるさと、固めてみたんです。無理でした。悲しい。
行き詰ったときに読もう、と思って買ったまま放置していた、保坂和志の『書きあぐねている人のための小説入門』をこの際読みまして、プロットを破棄する決心がつきました。そしたら書けるのなんの。一気にラストまで書ききれてしまいました。悲しい。
-「どうした8月」2012.08.30, <http://u17keeping.blog.shinobi.jp/Entry/9/>
とあります(上の文章は「ノア」のこと)。最終的に破棄したとはいえ、「がちがちに、シーンひとつひとつ、その分量配分にいたるまで」プロットを固めていた。当然その過程で構想は深まったことでしょう。
現在の小伏が手本とすべきであろう姿が、過去のブログ記事にあった。
これが、なぜ日記を書こうと思ったのかの答えの後半、「それが現在の自分にとって役立つ情報であったため、」の経緯です。
そしてこの事実は、今こうして悩んだり考えたりしていることを、言語化して残しておくことで、未来の小伏が参照できるということを意味しています。参照した結果なんらかの恩恵を受けることができるかもしれない、なんらかの導線になるかもしれない。そういう保険として、あるいは投資として、「現在の自分も未来の自分のために現状を言語化する必要性を感じたから」こうして日記を書き始めることにしました。
で、過去の自分に倣い、構想をかつてのように(あるいはかつて以上に)深めてから書くように方針を変えた結果、第1回で語ったように文字数ノルマを廃止することにしました。でも、それはそれとして文字数ノルマを廃止したことによる副作用も怖い。まったく書かなくなる事態を防ぐために導入した文字数ノルマですから、もし廃止してしまったら、本当に書けなくなるかもしれない。ではどうするか?
という思考の結果、成果ノルマを導入することにしたのですが、それもブログ記事の過去の自分から学んだことでした。
具体的にどんな成果ノルマを導入するのかについては、次回言語化します。
最後までお読みいただきありがとうございました。
次回はいよいよ最終回!(最終回ではない)
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