小林一茶 やせがえる 負けるな一茶 ここにあり
こんばんは、標題については最近、斉藤孝明大教授の一茶のレポートを読みました。
一茶という人は、標題の俳句のように軽妙な俳諧を作る人なので、人生も恵まれている
と思ってましたが、悲愁の人でした。
生まれは長野県の柏原で農家の長男に生まれました。
家は中の上くらいの裕福さでした。
最初の悲劇は、3歳の時に母親を亡くします。
10歳で一茶の父が後妻をもらいます。
後妻に子供が産まれたときから、後妻は一茶に辛くあたります。
14歳で後妻との折り合いが悪くなり父から、江戸に奉公を言い渡されます。
そして頑張って一流の俳諧師になった後も、家を相続をめぐり後妻とのいざこざが続き
ましたが、51歳で解決したのちに初めての結婚します。
それから嫁は子供を産むも3人とも亡くなり悲劇がかさなり、嫁も産後の肥立ちが悪く
鬼籍に入ります。
その後二回結婚するも、家が火事になったりして土蔵に住むことになります。
65歳でその生涯を閉じるのですが、その一年後ワスレガタミとして子供ができました。
上記のような悲劇に遭っても、怯まずに俳句を作り続けたのは意地なのでしょうか。
貧乏神や死神に対して、負けるな一茶、ここにありという気概を見せたのでしょうか。
軽妙な俳句は、軽快な俳句で悲劇を吹き飛ばそうと意気地を張ったのでしょうか。
とても気になります。