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美容師さんと話したプロフェッショナルとは?という話

久々にnoteを更新する事が出来ました。
本題に入る前に少し書く事のウォーミングアップをしたいと思います。笑

僕は何かを書き始めるとどうしても熱っぽくなって語りたくなってしまうタイプなので、ここ暫く何かについて発信しようとする事にそれがどう伝わり、受け取られるのか"怖さ"を感じる様になり、書く事自体に対して距離を取ってしまった自分がいました。
それは自分が「主観的」なのか「客観的」なのか考えた時に、主観が強くなっている自分に気づき始めた事がきっかけで、試合のパフォーマンスにも「主観」が強い事で生じるエラーに出会う事でその思いは増していきました。

とあるきっかけから自分の時間が暫く増えたので、ゆっくり本を読む時間を取る事にしました。文章が書けない自分が出したSOSだったのか、倉下忠憲さんの『すべてはノートからはじまる-あなたの人生をひらく記録術-』という本が目に留まり読んでみる事にしました。

この本はノートテイキングのハウツーというよりも、やり方は何でも良くて書き続ける事で発揮されるノートの強みがあるから、ダイエットと同じ様に自分にあった方法で続ける事が大事だよね。という確認から入り、途中には「そもそもノートとは何か?」という面倒な回り道を喜んで通っていこうとする本です。("面倒な"という表現は筆者自身が記載しているものです。)

その本を読んで刺激を受けた僕はまずは過去に自分がi Padの手書きノートアプリに書いたものを整理整頓する所から始めました。新しい洋服をせっかく購入したとしても、クローゼットが散らかっているとせっかくの洋服が収納出来ないですからね。

自分のメモを振り返る中で大学時代の日記が出てきました。それは1週間程度で力尽きてしまっていたけれど、その日記がまぁ面白かった。笑 何か特別なエピソードがあったり、笑える話が書かれている訳ではなくて、こんな事があってこう感じたという僕の気持ちが書かれているだけなのですが、それが数年経つとすごく面白く感じるし、価値を持つんだなぁと嬉しくなりました。
日記ってめっちゃ面白いじゃん!そんな事を再認識した僕はその日以来、muuteというスマホのジャーナリングアプリとi Padの手書きメモGoodNotesを駆使して、出来るだけ自分に負担が無い様に、長く続けられる様に日記を再開する事にしました。

いざ初めてみると、書きたい事で溢れてしまって、時間が足りない位になってしましました。記録に残したいなと思うと、生活の中での出来事一つ一つの印象が強くなるし、その記録を書き留める事で一旦頭の中はクリアにして新たな気付きが見えてくる。そんな行為を繰り返していく内に、僕の文章イップスはいつの間にか治ってしまいました。

文章を書いてそれを発信しようとする事で生じていた怖さというすごく高く見えていたハードルは、このnoteの為にゼロから言葉を紡ぐのではなく、既に日記にある言葉を外に出せる様に少し手を加える形に変えた事でかなり低いハードルに見える様になりました。

じゃあ別に発信しなくても良いじゃんという声が届きそうですが、何かを書いて発信するという事はそもそも結構好きなんですよね。笑

さぁ長いウォーミングアップを終えて、ようやく本題に入ります。
今日は行き着けの美容院で、美容師さんにシャンプーをしてもらいながら自分が話した事が自分でも良い気付きと頭の整理になったので、思わず書き留めた、そんなエピソードをご紹介します。

美容師さんと話したプロフェッショナルである事の話。後々説明しやすい様にAさんとでも書く事にします。Aさんの友人でコロナ感染した人がいて、その方の職場の先輩がすごくキツイ人なので感染した子のメンタルが心配だ、なんて話から派生してAさんが美容師さんの後輩を怒る時の話になった。
普段はフレンドリーなAさんだけど、例えばレッスンの時に必要な道具が揃っていない後輩がいて、それは美容師さんである以上はあまりにも当たり前の準備で以前にやった事のあるレッスンだった事から、その態度はレッスンに対してリスペクトがないなと感じて、さっきまでその後輩スタッフと仲良く話していたとしても、近くにあったものを蹴り上げる事はあるよね、なんて事を話してもらった。
「それは怒りによって自分がコントロール出来なくなったからではなく、パフォーマンスとしてやっているものだと思うけど、昔からそういう見せ方は出来たんですか?」という質問を投げ掛けてみると、「うーん、それはやっぱり段々経験していく中で出来る様になった事かな」と答えてくれた。

その話から派生して自分が話した事が、自分でも良い頭の整理になったので記録しておきたい。レフェリーとして選手に注意する時に、競技規則を施行する立場として、「私は怒っています」というメッセージを伝えて「レフェリー怒ってるから、これはあかん事なんや」とハッとしてもらわなければいけない事がある。
それは笛の強さであったり、表情であったり、選手への寄り方で表現するものだと思う。

でも経験が少ないと、例え90分間だけの関係性で終わるとしても選手に嫌われなくない思いが自分では意識的でなくとも現れてしまって、注意がなぁなぁになってしまう事がある。また経験豊富なベテランや元プロの選手に対してリスペクトをし過ぎてしまう事で注意が中途半端なものになってしまう事もあると思う。
本当はそういう経験豊富な選手こそ、必要な場面では厳しい姿勢を見せる事でよりリスペクトを得られるんだと思うけど、自分の心の壁を突破出来ないと中々難しかったりする。

これは例えるとまだ若い選手が試合中に自信の無さからボールを要求出来ない事に近いと思う。その後のチャンスを作り出したり、シュートを決め切る自信がなくて年上の選手にパスを要求出来ない事があると思う。例え外してもまた「俺に出せ!」と言い続ける事が出来るのが一流のストライカーだし、プロとして要求し続けなければいけないのだと思う。

この自分自身の心の壁を突破するのに海外での経験は役に立つものだと思う。横浜で日本に住む外国人の方が所属しているリーグを継続的に担当させてもらっていた頃に感じた事は本気度がない注意は伝わらないという事。その経験から慣れない英語で”step back”と言うより、「離れて!!」と日本語で伝えた方がよっぽど話聞いてくれるよなんて後輩に話したりする様になった。

伝える事だけでなく、試合中と試合後の気持ちの切り替えも海外経験の中で得られるものだと思う。イギリスとブラジルでレフェリーをして感じた事は、試合中は選手とレフェリーという関係性でめちゃくちゃ文句を言ってきた選手でも、試合が終われば「レフェリーありがとう、ナイスジャッジ」とハグをする。もちろんカテゴリーにもよるし、トップレベルで生活が掛かっている選手はそうはいかないのかもしれないけれど、少なくとも試合後でレフェリーの合図で整列して握手する日本の文化よりも、試合後勝手に選手同士、選手とレフェリーが抱擁し合うイギリスやブラジルの方が自発的なリスペクトの文化が育っていると思う。
この話から言いたかった事は、ピッチの中と外であり方が分かれていて試合後にはリスペクトが出来るから試合中はお互い遠慮せずに話が出来るという事。逆に日本では試合中の事を試合後にも引きずる事が多い様に感じる。

この事はEMSのASEコースで宮本亜門さんが言っていた「役を演じる」事なんだけれど、自分はまだまだ未熟で嫌われる事の怖さや、人に見られる事の恥ずかしさが邪魔をして役を演じ切れていない事がある。まだまだ未熟な自分に向き合っていかないといけないなと、シャンプーしてもらいながら感じた日でした。笑

以上です。それでは、また。

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