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私の"ヒミズ的"普通な大人


"普通って何"

多分生きていれば一度や二度は考える答えのない疑問。

大きな出来事やしょうもないことがきっかけで普通ってなんなんだろう、普通ってなんだよ!!!、て最終的に行き着く怒りの矛先だったり自分が疑心暗鬼になった最後の問いかけだったりいろんなタイミングで考えることがあると思う。

今日はそんな"普通"について書いてみようと思う。

当時、私は高校三年生の17歳。
好きな芸能人は二階堂ふみちゃんだった。
それがきっかけで、ふみちゃんが出てる映画を隅から隅まで見れるだけ見た。手当たり次第みた。

そんな数ある作品の中で、理由もなくただなぜだかすごく印象深く感銘を受けた映画が【ヒミズ】だった。

ヒミズとはモグラのこと。染谷将太演じる住田祐一は普通の大人、立派な大人を夢見る中学生。だが家族や、金銭問題が理由で普通とはかけ離れた生活を送るなかでいろんな大人たちの関わりや二階堂ふみ演じる住田と同じクラスの茶沢景子の言葉や行動によって少しずつ普通の大人になる為に奮闘していくような話。(語彙)。

当時の私がヒミズを見た理由はもちろんふみちゃんが出てるからって言う理由で大した理由はなかったので、初めて見たえぐい日本の映画。が正直な感想だった。

だけどなぜだか私は狂ったように、高校の廊下でセリフの真似を何日もする程、ヒミズを見た友達は周りに誰もいないのに、モノマネしたって伝わらないのになぜか何度も何度も同じ言葉を真似していた。


"俺にはわかる。何だってわかる。自分以外のことなら。"


私の趣味は映画鑑賞なのだが、20歳をすぎた頃からもっぱら洋画にはまりそこからずっと洋画ばかりみてきた。

ついこの間も、フィフスエレメントやらトゥルーマン・ショーやなんかを呑気に見ていたのだが、なぜか不意にヒミズを思い出し、思い出してしまったら見たくなり、約5年ぶりくらいにヒミズを見返しました。

見返したあと、気づいたらこんなことに頭を悩ませていた。

"普通って何?"


我に返って刺激的な映画を見過ぎだからか?とも思った。

フィフスエレメントのように車が飛んで人が空から落ちてくる普通、タクシーの運転と空飛ぶなんらかの物体の操縦の仕方が同じことの普通。

トゥルーマンショーのように世界の一部をドーム型で囲み1人の男性の1日をテレビで放送する普通、自分以外の全ての人間がエキストラで建物も海も空も全部セットの世界の普通。

きっとこれも、その世界に住んでいる人にしたら普通なことなんだろう。

じゃあ今の私の普通は?

普通が普通じゃなくなるってなんだろう。

映画ヒミズの舞台は3.11の震災後、家や家族が流されてしまった被災者である大人たちが住田の周りを取り囲んでいる。まさに、今までの普通が普通ではなくなってしまった人達の話でもある。

だが住田の普通が普通じゃなくなる。という話は別にあり、住田は借金取りから逃げ周り、挙句にお前が死んでくれればいい。と何度も祐一に話す父と、他に男を作り家を出て行ってしまう母の子供であった。

そんな住田に向かって茶沢が放った

「住田くんもう普通じゃないね」

という言葉から住田の普通が少しずつ崩れて行く。

一方茶沢景子の両親も、借金を抱えた父はいなくなり、他の男を作った母は自分が幸せになるには景子がいない方が都合がいいと考え、殺したいと思っていた。そのことを景子本人も知っていた。

きっと茶沢本人も住田に放った"もう普通じゃないね"の言葉を自分も同じだとわかっていたのだと思う。

映画を見て感じたのは、茶沢の言う「普通じゃないね」は世間的な考えの普通に対してで、住田や茶沢の家庭事情はそれぞれの生活の中の普通の話、て感じがした。

だけど自分で言っといてなんだが、そもそも世の中の普通てなんだ。一般的な普通ってなんぞや。てことも考えた。

2021年1月、コロナが流出してから約一年が経つらしい。

この一年はまさに人それぞれの普通が普通じゃなくなった年だったんじゃないかと思う。

でも普通じゃないと思っていた生活も一年続けば普通に変わっている。

元気でもマスクをすること、華金がなくなったこと、日々常々計温、消毒が必須になったこと、いろんな場所に人数制限が設けられたこと、、、

数を上げればキリがない普通じゃなかったことも今や普通になっている。

だから普通の基準なんてものはないし、なんなら変化していくものなんじゃないかって思った。

一般的な常識にとらわれない寛大な大人が、私なりの住田的"普通"に値する気がした。

その変化していく普通こそ楽しめる大人が"普通の大人"であってほしいと思った。

私が社会に出てから初めて働いたバイト先は、すごくドライな集団で、飲み会もほぼなければ、個人的な話もゼロ、完全に仕事とプライベートが分かれている人たちだったけど、それが普通だと思っていたしいつもの私と仕事用の私ができたみたいでそれはそれで当時は面白かった。

逆に次の職場はスタッフ間の仲が良く、飲み会も多くて何軒もはしごして朝までコースが当たり前な職場だったから、その楽しさもその職場の普通もまた面白かった。

私の家族は、相関図にするとサザエさん一家や石田純一一族と同じくらい面白く複雑だと思うのだが、この歳になっても市役所で書類を見て知ることがあったり、親に聞いて初めて聞く事情なんかもあるが、それが私の家族の普通だから「あーそうだったんだー」で済ませるようになった。

だからといってそれが辛いとか、不幸だとかそんなことは全然なくて、じゃあ幸せなのかと言ったら別にそこまでででもなく、いわゆる普通といったところだと思う。

だから人それぞれの普通があって、だから面白くて、常識的な普通はないしいらないものだと思った。

だったら尚更毎日をもう少し気にかけながら生活してみたい。

日々の普通の生活のなかで起こる小さな変化に気づけるように、そんな普通が私だけの普通が面白くなるように。


"ボート屋なめんな、普通最高!"





















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