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新車を買うように生きる

あなたの資産とは?

胡散臭くもあるが、たとえば1000万円をインデックス投資で資産運用すれば年間50万円近くが手に入る。一度そのループに入ってしまえば複利が効いて雪だるま式に資産は増えていく。

もはやそんなの常識である。だからこそ皆が買い控え、貯蓄をする。人気の就職先ランキングでは公務員や年収の高い職種が人気となり、それが好きな仕事かどうかは差し引いてもお金という指標が人々の生きる目的になっている感が強くある。

人生100年時代だとか、老後2000万円問題だとか、そんな上辺だけの不安を煽るメディア。しかしそんな固定化された価値観など投げ捨て、私達はもう少し即物的に、人間らしく生きても良いのではないかと思う。私たちの資産は経験であり、お金ではないのだから。

資産の価値は下がっていく

"Die with ZERO"という本がベストセラーになった。ゼロで死ね。つまりお金は死ぬときに尽きるのがベストであり、生きている間にお金をしっかり分配して経験に置き換えるということだ。溜めるべきはお金ではなく経験であり、お金はそれを達成するための手段でしかない。この本はそう説いている訳だ。

この本に出会ってから、僕のお金と時間に対する考え方は大きく変わった。結論を言えば、「資産価値は歳を重ねるごとに下がっていく」という価値観である。二つの理由から僕はそう考える。

1.まず、今日の自分は昨日の自分ではないし、明日の自分でもない。今を生きることは人生における唯一無二の経験なのである。それを積み重ねていった時に、人生をトータルで考えた上で今経験することのできるイベントや購入することのできるモノの価値も、唯一無二なのである。ガソリン車は今しか買えないし、K-POPのコンサートも元気のあるうちしか行けない。海外ひとり旅や風俗にいく体験、天然のうなぎを食べることだって今しか味わえないかもしれない。私たちは「今ここ」に生きている自分に自信と尊厳を持ち、その貴重な時間を1分1秒でも無駄にできないのだ。

2.次に、資産である経験を得るために必要なお金も、若いころの方が価値が高いことに着目しなければならない。小学生の頃は100円の予算内で好きな駄菓子を選んで計算をしながら数が多くなるように買っていたが、大学に上がる頃では100円の価値なんてたかが知れている。また、大学生が1万円を払って経験するコンサートと40歳会社員が1万円払って得るコンサートの経験でも価値が違うことが分かる。つまり、同じお金でも経済的な負担が大きければ大きいほどに、その価値を最大限享受しようと意識が高まるのである。

そう、今の自分が人生において最大の資産価値を持っている。例え一日が堕落した生活だとしても、それは30年後の自分が経験するダラダラした生活よりはよっぽど贅沢な時間を過ごしたと考えられるようになった。ある意味ではプラス思考ともいえるが、それより重要なのが、毎日生きることで資産価値を失い続けているということである。

今を大切に、今に投資する

資産価値が歳を経るごとに下がっていくことを認めるのならば、私たちは今ここに生きている自分をもう少し丁寧に扱うことができると思う。つまり、時間をお金に変換するだけの流れ作業的な日々とそれを貯金して積み重ねていく予定調和的な生き方ではなく、本能的に「これが欲しい!」と思ったモノを物欲で買ってしまうのも、今の資産価値を冷静に考えればそこまで悪くないのではないだろうか。

人生は一度キリなのだから、未来への投資などと言わずに今に投資する意識を持つ方が楽しいし、人生トータルで見ても後悔が無いだろう。全ての消費行動を「投資」と言い換えることはできないが、迷って引き下がっていられる程にあなたの今の資産価値は低くないのである。

毎朝が人生の最高到達点

サブスクリプション制でルンバを使っている。毎朝7時ジャストに動き出して僕を強引に起こし、15分ランニングし、シャワーを浴び終わった頃に部屋の清掃が終わる。だから心身ともにスッキリした状態と同時に、部屋もスッキリ綺麗な状態で一日が始まるのである。そういう生活を続けているのも、資産価値の減衰を考えた時に毎朝の自分が人生の最高到達点であると意識し始めてからである。

別に朝型の人間になろうとか毎朝コーヒー飲むとか、そういうことをしたいんじゃない。ただ、今の自分が健康に生きていることの価値を受け取りたいと考えるのである。よく最近では時短家電に投資しろという話が多いが、そう考えるのも大きく頷ける。自分を毎日の数分に駆り出させるよりは、今の時間に投資して無駄な労働を減らした方が建設的だと思うのである。実家にいる母親に食洗器を買ってあげたいと考え始めるようになったのもそうした価値観の変化からである。母親の時間をそんな流れ作業的な労働に駆り出して欲しくないし、他にもお米を研ぐとかスポンジで湯舟を洗うとか、発想の転換次第で時間を救出できる方策は多くある。

新車を買うように生きる

冒頭にお金よりも経験に投資すべきと述べたが、もちろんお金が無ければ経験もできない。貯蓄はある方が良いに決まっている。僕はいまだ学生ながらも毎月3万の積立NISA、別でインデックス投資、個別株式、FXに手を出し、時間を取られない程度にお金の増やし方を模索している。なぜなら僕には欲しい車があるからだ。

免許を持つまで車には全く興味が湧かなかったが、MT免許を取って車の魅力に目覚め、色々な車を試乗しまくった末にジャガーXEというイギリス車に憧れの矢が止まった。

どうやらジャガーは中古車の値下がりが他の外車に比べて大きいらしく、新車より中古で買った方がお手頃らしいことが分かった。しかし僕は新車で買うことにこそ意味があると感じる。上述したように、「今ここ」にいる自分の資産価値が最大であり、新車で頑張って買う負担が大きいほどにこの車を愛することができると思うからである。それがモノよりも経験への投資である。車は移動手段ではない。ライフスタイルの増幅装置である。自分だけの空間を、時間を買うのである。

翻って、僕は車選びだけでなく人生における選択を迫られた時でも、新車を買うように選択することを決めている。今が苦しくても、その苦しい分の愛着が湧くし、案外そういう選択をした方がメンテナンス費用が掛からなくて安上がりだからである。今に甘んじて安上がりのケチケチした選択をするよりも、ドカンと大きく投資して今の資産価値を信じ込む方が、人生をトータルで考えた時に幸せだと思う。

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