夢
僕が生涯に渡って行うビジョンは3つ。「建築」、「エネルギーシステム」、「モビリティシステム」である。設立する会社はEARTHitecture。地球が持てる可能性を広げることをその企業理念とし、工学的なアプローチのみではなく、常に美しさを伴い、なおかつ合理的な手法によってそれらを可能にすることをその名前からして示している。結果的に作るものが建築だろうとエネルギー消費のハードウェアだろうとモビリティだろうとアプローチ方法は同じ。だから会社は1つ。広い視野とか言う以前に同じ思考方法で多数の分野を考えられるのだから。確かに無理矢理1つの思考に押し留めようとすることは逆効果だ。しかし美しさを伴う合理性を持つために同じ理念の元で考え、解決に至るプロセスは共有すべきだ。GoogleとYouTubeではなく、alphabet。テスラとスペースXではなくイーロン・マスク。1つの理念から3分野にイノベーションを起こす。
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宇宙建築は機械的に解決できるはずだ。空間にまつわる設備を更新していけば、それは結果的に建築を更新することに繋がる。宇宙ステーションの進化とは現状それに尽きる。建築の新しい概念に達する気配もなく、ただ単純に機械的更新により新しさを獲得している。
新しい宇宙建築が必要か否かをまず考えなければならない。結局、機械的更新に建築の進化を頼ることが最善で最短の方法ならば新しい宇宙建築の概念なるものを考える必然性は無いからだ。
宇宙建築が地球建築と違う点。それは言うてしまえば全てだ。環境が真逆だ。というのも、宇宙建築とはまさしくシェルターであり、物理的な外部との相互性は全く必要とされないどころか、遮断することこそがまず第一に挙げられる使命だからだ。宇宙に人を住まわせるための装置としての建築は、機械的にならざるを得ない。しかしそれは建築に限った話。例えばスペースコロニーや惑星の地表面を本来とは異なる大気構成物質に変えてしまえば、帰結は変わる(テラフォーミング)。
スペースコロニーの場合、重力も含めて環境が地球と同じになるのだとすれば、地球建築とさほどデザインは変わらないだろうが、光の反射は抑えなければならないかもしれない。スペースコロニーの太陽光を反射させるとその反対側の街に降り注ぐ光量が倍になるからだ。ただしそれ以上に資源は大問題だ。持続可能性という視点で捉えたとき(いやむしろ持続可能性を考えない宇宙建築/都市など設計していないに等しいと思うが)、スペースコロニーはその論理を考えようとする時点で破綻する。材料をスペースデブリや生活ゴミから作るとか窒素から物質を構成していくテクノロジーでもない限り持続可能性はゼロ。まさしくスペースコロニーは虚構に成りかねない。ただエネルギーにおいては合理性を保てるが…。
持続可能性は地球においてはそこまで(特に建築デザイナーとしての建築家において)重視されてこなかった。論理的にプレゼンを進めるために使われることはよくあるが、それは1つの武器でしかない場合が多く、それが実現しなかったとしてもその建築の美しさによって持続可能性など無くても地球上においては多少の注目を浴びることができる。なぜなら、それは地球が賢すぎるからである。なにせ全生物の母なる大地としての地球なのだから酸素/水素循環システムはそれなりに担保される。ガイア理論とも取れるか。地球温暖化が超突発的に起こらないのと同様に…。しかし宇宙建築ではそうはいかない。虚無とは言わないが、人間にとって有用な資源、システムは無い。作り出さねば、もしくは既存の虚無的環境にシステムを見出さなければならないからだ。宇宙建築家による設計とはそのシステムを含有した持続可能性を前提として存在する。しかしだからといってデザインはその次に考えるべきだなどというのは安易すぎる。つまらないし、くだらない。デザインはその建築の副産物として、言い換えるならば当然の姿としてその敷地と需要との間に可能な最大限のダイナミズムを引き出すことで生まれるべきだ。フランク・ゲーリー的な建築など宇宙にはいらない。合理性だ。そしてその合理性を考える行為が必然的にデザインに繋がり、しかもそれが美しさを持っていることが人間にふさわしい宇宙建築である。
次に惑星に建てる場合を考える。これは持続可能性という点においては有用だ。そこに地面があるのなら、そこに物質があるということであり、物質があるというのなら、環境的差異を作ることができるからだ。別に空間を作るということはキューブやスフィアをその惑星の構成物質で精製するということを直接的には意味しない。新しい構築方法も随時考えることができる。なにせ地球と環境が違うのだから地球建築をそのまま当てはめることが最適解だとは限らないし、むしろその可能性は特段低いはずだ。新しい構築方法が新しい、工学的ではなく建築的な生命維持装置を作ることが可能だ。しかし地球建築やスペースコロニーと違って惑星建築で大切なのは、未来に多大な可能性の余地を残すことだ。限られた地表面を有効に使うことと、空気を必要最小限に保つために最小の建築容積としなければならない。それに加えて持続可能性を持つ構築システム、ISRU(In-Situ Resource Utilization)を考えることが建築構法としての必然性をはらむ。また、3Dプリンターによる建築技術は必然だろう。地球以上にそれを採用する意味がある。人手がいらないし時間もかからない、そしてなによりも現地材料を使って構築できるからだ。
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次にエネルギーシステムについて。まず身近で近いイノベーションとしてはワイヤレス給電がある。ハードウェア同士のバッテリーシェアにより、スマートウォッチ・イヤホン・スマホなどのウェアラブルデバイスに加え、IoTによる身の回りのほぼ全ての家具と、ありとあらゆるセンサー系にシェアすることで、それらの場所性が解放されることだけでなく、人が近寄ったときのみ起動するヒューマンスケールのシステムデザインが可能だ。そしてそれらは、孤立したシステム内にはとどまらない。都市全域に広がっていく。昨今、商業施設でモバイルバッテリーシェアサービスやカフェのテーブルにおける充電サービスがビジネスとして広がっているが、そのサービス群が統一されることになる。まるでスマホやPCにおけるOSのように…。ビジネス的視点でこのエネルギーシェアを捉えたときに必要な問題を考えることが大切である。それは①電気=環境破壊のイメージと文字通り再生可能エネルギーによる自給率を高めること②統一的な規格で尚且つ汎用性のあるハード③高い出力、または広範囲出力④充電した分の請求or充電料金無料化が必要。
①電気自動車1台分がその系として排出するCO2はガソリン車とほぼ同じだと言う。なぜなら、日本においては火力発電が電力供給の主力だからだ。だから現時点において、電化することが温暖化防止に繋がっているとは必ずしも言えない。そこでまず再生可能エネルギーへの代替が必要だ。持続可能性のあるエネルギー供給システムにこの新しいビジネスを取り込むのであれば消費者側の心理的な不安(温暖化対策になっているのか?…という)は取り除かれ、真摯にその新システムが加速度的に広がっていくための土壌ができるはずだ。
②規格の統一は大切だということはスマホを使う現代人やPCでデザインを行うクリエイター達には改めて言う必要性はない。OSが異なることで仕様が違うだけならまだいいが、バッテリーシェアができなくなるのは両者にとって懸念材料となり得る。しかしワイヤレス給電ではそのハードウェア的解決は例えばiPhoneに充電規格の統一を求めることよりは簡単なように思えるし、現時点で既にワイヤレス充電規格(Qi)は統一されている。今後、GoogleとAppleとAmazonでホームデバイス機器の独占戦略によって規格が孤立していく可能性が大いにあるが、その未来は避けられた方が喜ばしいはずだ。IoT機器まで統一されていくのは買い物に負担をもたらす。
③広範囲で高圧の出力をもたらすワイヤレス給電はいずれ必然的にテクノロジーが落ち着くだろうが、そこに加速度を与えることに負の側面は無い。家に1つもコンセントが無いことは、より人間生活に自由をもたらす。
④ビジネスとしての運営において、請求システムも簡潔でなければならない。月額制にして充電料を無料にするのか会費無料にして充電時間に応じて請求するのかは携帯会社のプランのように変わっていくはずだ。そしてそれよりも大切なのが請求のオートメーション化である。時代的に当たり前ではあるが、スマートメータの普及により人それぞれの生活スタイルに合わせた、人間の振る舞いに対応した請求方法をAIが自動判断する。
ワイヤレス給電とそのシステムは人々の生活に影響を与えるだけでなく、建築と都市にも多大な影響を与える。建築は場所に縛られた、「生活の外観の副産物」な訳だが、その中の電気エネルギー設備に対して場所性を解放することは新しい可能性を切り開くことになるだろう。
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最後にモビリティシステムについて。
全自動運転が可能にするのは手間のかからない移動手段の構築というだけではなく、建築の領域にも入り込む他分野間のイノベーションである。全自動運転車の中で会議を開けるかもしれないし、カフェだって可能になる。もはやそれは動く建築であり、場所から開放された都市である。だからこそ、工学的アプローチではなく、建築的アプローチが必然なのだ。全自動運転社会が構築された暁には、センサリングネットワークが社会に溢れかえることだろう。ありとあらゆるハードウェアがセンサーを持ち、それらが相互作用することの連続によって社会のネットワークが構築される。
GoogleやAppleからのITによるアプローチ、トヨタや日産、ホンダによる工学からのアプローチ、Uberやtimesなどによる運営システムからのアプローチが考えられるが、それらが結びつくことことも十分考えられるが、大企業であれば提携するまでもなくシステム構築できるだろう。例えばテスラ社は自社で全自動運転技術を開発し、そのレベルは世界トップクラスだ。また、無料の充電ネットワークを広げるほか、住宅建材としてソーラールーフを売り出し、そこで発電した電力をテスラの自動車に使うことなども考えている。さらに今後は例のThe boring companyによるトンネルの優先搭乗なども考えられなくはない。
エントロピーという視点で考えると、全自動運転社会はより乱雑なものになるだろう。なぜなら、人間によるふるまいはスマホ画面をタップすることぐらいであり、負のエントロピー(シュレディンガーによる生物の定義:エントロピー=乱雑さであり、生物は秩序付ける存在であること)を食べる生物による干渉が減れば減るほど、結果的に現れてくるモビリティはその乱雑さを増す。東京の都市を席巻する建築群や鉄道網、スマートフォンのネットワーク、人の移動など、現代に入ってから乱雑さを増したものは多いが、これは人類が道具の発達によって生物という存在を越えようとする無意識的な意思によるものなのか…。
(モビリティサービスについては、個人的にまだリアリティを持てていない。というより、イーロン・マスクが既に理想的な事業を始めていて、自分のやることに新しさを見いだせない……。)
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建築とは空間に移植された時代の意思である。これはミース・ファン・デル・ローエの言葉だ。時代の意思とは言い換えれば時代相応の必然な姿であり、その時代の意思を時代の所産に合わせることが建築家の仕事であると。建築大学に入ると、建築の世界からしか建築を教えてくれない。それこそ人文系の科目を取れば別だが、多角的な視点で建築を社会の一部として捉えて行くべきだ。つまり、建築の可能性を信じることだけでなく、社会の可能性、すなわち社会が柔軟に建築を向かい入れる事のできる姿勢を信じることも大切である。アートや権威のためではなく、社会のための建築とはそのようにしてできるはずだ。
僕自身、建築家を目指し始めて早12年目に突入した。本当に建築が大好きだし、デザインすることが喜びだ。だが、それが自己満足で終わるのだとしたら悲しい。なぜなら社会貢献という名目の元で好きな建築を作ることは建築家の建築家による建築家のための高尚なお遊びにしか思えないからだ。学校で教わることもなんとなくその高尚な建築哲学に繋がっていると感じるし、良いとされている建築の中にも高尚なお遊び感が伝わるものが無くもない。
僕が作りたいものは、建築であると同時に、社会に必要とされる時代の意思であり、それは時にランドマーク、彫刻作品と比喩されてほしい。つまり社会に必然な所産を作る行為が同時に美しい芸術を伴っていてほしいのだ。建築環境、建築生産、建築材料、建築構造、建築歴史、建築心理学による多角的な視点から1つの合理的な建築を作る。それは地球への崇拝であると同時に、僕が立ち上げるEARTHitectureの語意そのものである。
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将来の道筋もまだ見えていない学生の独断と偏見による文章を読んで下さってありがとう御座いました。具体的な事の進みも分からないままに思っていることをズラズラ書き連ねてきました。僕は将来、1番尊敬している建築家ビャルケ・インゲルス(BIG)のチームに加わって建築設計の仕事をすることが差し当たりの夢ですが、それすらも危うい現状にいます。ただ、夢を持って努力し続ければ、「成るように成る」ということを、大学受験で経験してきましたので、これからも努力を怠らずに建築設計への道を志していきたいと思っております。
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