見出し画像

ミルワカバちゃんプレゼン回

はじめに


シンデレラグレイでミルワカバちゃんの過去掘り下げがきそうなので、元ネタのオサイチジョージについて少し紹介したいと思います。ミルワカバちゃんが大大好きなので、ファンアートにもお役立て下さい。
話の都合上、今後のシングレのネタバレ(90年宝塚記念)を盛大に含みます。
そしてあくまでウマ娘目線での記事としてお楽しみ下さい。


オサイチジョージってどんな馬?


まず、ミルワカバことオサイチジョージは本誌でも言われている通り『谷間の世代』と呼ばれる89世代の馬です。1つ上の88世代の怪物オグリキャップ旋風と、オグリが起こした競馬ブームで盛り上がる90世代(メジロマックイーン達)の影響を目一杯受けながらも地道に走り続け、89世代で唯一オグリ相手に古馬G1を勝ち取った存在でした。
しかし彼が勝った90年宝塚記念は運の悪いことにオグリキャップの関西最後のレース。このレースが終わったらオグリはアメリカへ遠征する。オグリが見れる最後の機会。しかも前回の安田記念はレコード勝ち。イナリワンとオグリの二強対決になる。
そんな空気の中で関西のオグリファン達が目にしたのはオグリが直線で伸びず、オサイチがゴール板を駆け抜けた光景でした。

これには観客どころか、オサイチ陣営の騎手も調教師も生産牧場でさえも全くの想定外。『2着には入れると思っていたが、まさかオサイチがオグリに勝てるとは思わなかった』と口を揃え、翌日のスポーツ紙の一面はオサイチの金星よりも詳しく『オ グ リ 完 敗』を伝えたほどです。

当時の一面

せめて陣営くらいはオサイチを信じてやれよ!と思いますが、牧場長の大塚氏によれば『オグリキャップは怪物だ。絶対敵わない』という空気が生産牧場にさえ伝染病のように伝わっていたとあり、当時のオグリの影響力の強さが窺われます。作中でミルワカバの友達が言った通り、誰が勝とうが負けようが走ろうが時代はオグリ一色だったのでしょう。

そんな訳で晴れてG1馬になるもオサイチは大して歓迎される雰囲気ではありませんでした。関西のオグリファンから落胆され、オグリのアメリカ遠征は白紙になり、勝ったのはフロック扱い、更に宝塚記念以降オサイチは燃え尽きたのか一度も勝てないまま引退となります。
その後はG1馬でありながら自身が消息不明になった、主戦騎手が窃盗で逮捕された、産駒で一番期待されていたヤマノシルエットは競馬場廃止に巻き込まれ廃用になる瞬間が雑誌に掲載された等、オサイチの不運は止まりません。

このようなダークな一面からオサイチジョージがウマ娘に実名で出てくるのは難しいだろうと常々言われていました。
現にシンデレラグレイでは『ミルワカバ』として仮名で登場し、少し生意気でオグリに対抗意識を燃やすキャラクターとして描かれています。加えて仲良しのブライトロック(ホワイトストーン)は90世代の馬なので、作中の89世代は本当ミルワカバただ1人となります。
そんな事情もあって、やさぐれ気味な態度が目立つことが多いですが、視点を変えてミルワカバの可愛い一面やお茶目な一面を知ってもらえると嬉しいです。
長くなりましたが、それではどうぞ。




オサイチジョージのエピソード


エピソード①
母の種付けを目撃し、1メートル跳ぶ

オサイチジョージのことを少し知ってる人なら、間違いなく知ってる迷エピソード。

オサイチジョージは生まれてまもなく、母親の種付け場についていき、興奮のあまり1メートル近い枠場を飛び越えたことがある。

幼いオサイチジョージの身体のバネの強さを伝え、将来大物になりそうな予感を伝える印象的なエピソードである。であるが、なんというか、ウマ娘に例えると何だか凄くヤバい話にしかならない。
一応母親のうまぴょい現場(隠語)に連れて行くのは母子を離すより安心させるためらしいが、やっぱりウマ娘ではマズいよね。ミルワカバちゃんも意外とむっつりなキャラなのかも知れない。



エピソード②バカンス先は絶対鹿児島!


オサイチジョージと言えば鹿児島そしてバカンス。オサイチは育成前から鹿児島の山下牧場で過ごし、休養時も同牧場で過ごしていた。
山下牧場とは全国でも珍しい海辺に面した牧場で、冬場でも温暖な気候に加え、爽やかな松林、美しい浜辺、足元を冷やす海水により、足に負担を掛けずに馬をリフレッシュさせながらトレーニングが可能だ。
オーナーの野出一三氏、野出長一氏は鹿児島で馬を育てる考えがあり、同馬主のカツラギエースも同様に育成前から山下牧場で過ごしていた。

牧場の浜辺

興味を持った人は是非山下牧場を画像検索してみて欲しい。綺麗な浜辺を走る馬達の写真はまるで絵画のように美しい。
オサイチは90年夏も鹿児島で休養しており、91年にはバンブーメモリーが後を追うように同牧場へバカンス休暇に向かっている。こちらは別衣装に採用された。(詳細は夏イベ考察論に記載)
90年の秋に鹿児島から戻ってきたミルワカバとバンブーの間でバカンス談義があったのかと考えると少し微笑ましい。
休み明けにブライトロックにお土産のかるかん饅頭や薩摩揚げを渡すミルワカバちゃんもいたかもしれない。

栗東のバカンス仲間達

山下牧場で過ごしたウマ娘は以下の通り。バンブーちゃんが水着になったんだし、ミルワカバちゃんが水着になるポテンシャルは充分に秘めており、何なら他のバカンス仲間も一緒に是非水着になって欲しい。サイゲお願いします。待ってます。

・カツラギエース
・バンブーメモリー
・トウカイテイオー
・ミルワカバ(オサイチジョージ)
・ダイサンゲン(ダイユウサク)
・イクノディクタス(要出典確認中)


エピソード③バンブーメモリーとの共通点


・爪の弱さと坂路の友
オサイチジョージといえばともかく爪の弱さに悩まされた馬であった。当時の土門調教師による重賞勝利インタビュー5件の内、実に4件で爪の状態と坂路調教を語り、粘土を詰めても薬を飲ませても一向に良くならない爪に頭を悩ませ、爪さえ無事なら次も良い走りをすると話している。
バンブーも爪で悩まされており、2人とも春のクラシック路線は諦め、足元に負担をかけない栗東トレセンの坂路で調教されていた。
しかし爪のハンデを抱えていたものの彼らには運があった。当時栗東トレセンに坂路が完成したのは1985年頃。坂路の効果がまだ未知数の最初期にトレーニングへ取り入れた調教師の1人が武邦彦氏(武豊の父=奈瀬パパ)であった。丁度バンブーが生まれた年に出来たばかりの坂を登り、二頭のG1馬が誕生したのだ。


・鹿児島で過ごしたバカンス仲間
前項でも記載した通り2人とも同じ鹿児島の牧場でバカンス休暇を取っている。これも爪の弱い2人にとって、浜辺のトレーニングは足下への負担が少ない事も関係しているのだろう。後にトウカイテイオーの骨折後の調教も山下牧場で行われている。
なお、90年の夏に何処にも行かず、暑苦しくトレーニングに励んでいたシングレ組はバンブーただ1人である。夏休み明けに北海道旅行やハワイデヤンス、メジロの避暑地の話が飛び交う中、黙々と坂を登るバンブーと、奈瀬パパの顔面にかるかん饅頭を投げつけるワカバちゃんが見える見える。



・オグリ引退後も共に走った戦友
オサイチジョージとバンブーメモリーの生涯対戦回数は6回、ヤエノムテキとも6回。そしてオグリとヤエノが共に90年12月に引退した後も2人は毎日王冠やマイルCSを一緒に走り、オサイチはバンブーの引退レースを見届けた。
90年1月のスポニチ金杯は当初バンブーも出走予定であったので、出走していた場合7回となり、オサイチにとってバンブーは生涯最多対戦歴となる。(バンブーは蕁麻疹で回避となった)

ちなみにオサイチジョージは
・90年宝塚記念(イナリの引退レース)
・90年有馬記念(オグリ、ヤエノの引退レース)
・91年マイルCS(バンブーの引退レース)
と、バンブーに限らずシングレ世代の最後をしっかりと見届けている。ミルワカバでいえば、あれだけ挑戦的な態度をとりつつも、何だかんだちゃんと4人の引退レースを走るあたり、かなりのツンデレ
上記の通りミルワカバとバンブーには似た境遇があるものの、作中でオグリに対して抱く感情は憧れと憎しみで真逆である。ミルワカバの初登場時にバンブーがいたのも、2人を対比させる意味があったのだろう。


エピソード④憧れのカツラギエース


『カツラギエースをやられてしまった』


これは宝塚記念を勝ったオサイチジョージに対し、岡部幸雄騎手から掛けられた言葉とされている。
意味は84年ジャパンカップで有利視されていた皇帝シンボリルドルフ、ミスターシービーを破り、日本調教馬で初めて勝利したカツラギエースと、オグリ及び88世代を破ったオサイチを重ねたのである。しかし言葉が『単なるフロック勝ち』として一人歩きしているので、補足するとまずオサイチジョージとカツラギエース自体に共通点も多い。

・馬主が同じ

・同厩舎(土門一美調教師)

・育った場所も同じく鹿児島の山下牧場

・2人の主戦騎手(丸山勝秀騎手と西浦勝一騎手)は一美氏の父・土門健司調教師の弟子同士。

加えて当時岡部幸雄騎手はシンボリルドルフに騎乗し、宝塚記念ではヤエノムテキに騎乗していた。オサイチの丸山騎手とエースの西浦騎手は同門、馬主も調教師も同じ、有利馬を破っての勝利、レースが勝ち馬の実力を最大限に引き出す有利な展開となったこと、ヤエノの主戦騎手は西浦騎手。こういった共通点からエースに例えたのだ。
…と此処まで書いたが、実はインターネットに広まるこの台詞の出典をまだ見つけられていない。当時のスポーツ紙や競馬雑誌等の出典が分かる方、コメントをお待ちしています。

一方、勝利インタビューでの土門調教師によれば、カツラギエースとオサイチジョージを比較するなら、身のこなしの柔らかさ等を踏まえるとエースの方が一枚上手との認識だった。いつかエースとミルワカバ、そしてエースのジャパンカップに脳を焼かれたタップダンスシチーと仲良くしてくれないかなぁ。


エピソード⑤天龍オサイチとミラクルなあの子


作中ではカツラギエースに例えられ喜ぶミルワカバが見れるが、ニュアンス的にはこれはアカネテンリュウの方が近いと思われる。
アカネテンリュウとは、オサイチの生産牧場である大塚牧場の代表馬にして1969年菊花賞馬。そしてオサイチの近縁であり、夏に急激に力を付けてその年の菊花賞を制覇したことから『戦後最大の上がり馬』と呼ばれた。
オサイチも89年春は爪の影響で放牧をしたが、その後夏に重賞二連覇、秋の京都新聞杯を2着、そしてアカネテンリュウの如く菊花賞へ挑んでいる。当時の生産牧場のコメントでは菊花賞馬アカネテンリュウの母系で父がミルジョージ、長距離適性は問題なし!なお結果は…(お察し下さい)
ちなみに謎とされるミルワカバの勝負服の配色と、アカネテンリュウの勝負服は同じ紫、赤、黄色。そしてミルワカバの頭には龍の角のようなカチューシャを付けているが、果たして偶然だろうか?友達から貰ったものではあるけどさ。そういえばエースの勝負服の裏地も龍だったような。

ミルワカバの勝負服



さて、大塚牧場といえば代々牝系をとても大切にしている牧場で、アカネテンリュウとオサイチも同じ牝系。作中のミルワカバもオサイチの父ミルジョージと母サチノワカバから取った名前である。
そしてオサイチジョージが宝塚記念を制した12年後。同生産牧場のこの牝系から一頭の宝塚記念馬が誕生する。ジャパンカップのカツラギエース、宝塚記念のオサイチジョージ。予想外の展開でレースを湧かせた二頭に続くその名は…

私なんて全然普通ですよ~



おわりに

急遽記事を書いたので荒い部分も多々あるが、ミルワカバちゃんの可愛い一面や解釈を深める材料になってくれたら嬉しい。母親似とか、小柄で地味で目立たない子だったとか、お尻を押されても平気とか書ききれなかった部分も沢山あるから、またどこかで追記出来たら良いなぁ。


いいなと思ったら応援しよう!