ウマ娘『メジロアルダン』考察論(幽霊編)
はじめに
ウマ娘のメジロアルダンにはどういう訳か『幽霊に興味津々』という設定がある。育成、キャラスト、ホーム画面に至るまで、事あるごとに幽霊や亡霊に興味を持っており、死してなお成仏出来ぬ彼等の情念を知り寄り添いたいと語っている。
此処では『こんなに推すなら、その亡霊って実はモチーフがあるんじゃない?』という訳で、秋イベから初期キャラ設定までを考察してみました。なお、美浦寮には幽霊が出るため(=美浦トレセンには昔から怪奇談が複数あるため)という部分には今回は触れません。
モチーフ元の解説まで入れたところ、とんでもなく長くなってしまったので、概略を知りたい方は目次の『まとめ モチーフ達の考察』からお読みください。
秋イベアルダンの衣装モチーフ
亡霊の考察にあたり、まず2022年イベントストーリー「想いより想いかけ」にて配布された「夜風に舞うは祈りの花」に描かれた巫女衣装のアルダンの元ネタから追っていく。
例年ウマ娘での秋のイベントストーリーは、京都を中心とした馬に縁のある神社を基に内容が作られている。巫女アルダンにも様々な神事のモチーフが使われており、衣装には茨城県の『大杉神社』が使用されたと推測される。
大杉神社は美浦トレーニングセンターの氏神にあたる神社であり、勝馬神社として競馬ファンから愛され、毎年数々の美浦トレセン関係者が参拝に訪れている。
アルダンは美浦の所属であること、大杉神社には魔除けとして各所に桃が飾られていること、境内全体が水神の特性を持つことから、イベント内のアルダンも桃の枝を持ち、ストーリー内でも水を司る役割となった。
それではアルダンと大杉神社を繋げるものはなんだろうか。
トレウマアルダンの元ネタ
ウマ娘のメジロアルダンといえば『屈指のトレラブキャラ』として名高いが、その理由は史実の主戦・岡部幸雄騎手との関係にある。
ウマ娘のアルダンがガラスの脚と病弱な身体で知られるように、史実のアルダンも常に故障との戦いだった。メジロラモーヌの弟として生まれ、高い素質を持ちながらも2歳の時はソエがなかなか治らず、ダービーで2着を手にした直後は丸1年の長期休養を挟んだ。
そんなアルダンに付き添ってくれていたのが岡部幸雄騎手だった。岡部騎手はアルダンがレースに出れない長期休養中も自ら調教で乗り、常にベストな状態に持っていけるようサポートし続けていたのだ。例えば高松宮杯への出走と自身の海外遠征が被った時も、直前までアルダンの調整を続けて河内騎手へ引き渡し、岡部騎手がいけると判断した時は、アルダンは必ず勝ち負けが出来ていた。第一に馬優先主義を掲げ、決して馬に無理をさせずに出せる力を100%出させて勝つ。この方針を持つ岡部騎手は馬の状態の見極めが上手く、アルダンの体調管理を完璧にこなしていたのだ。
しかし時の流れは非情だった。89年10月の天皇賞秋から90年9月の二度目の長期休養の内に、ついに岡部騎手はアルダンの元を離れてしまった。そして一ヶ月後の90年天皇賞秋、常にアルダンの背にいたはずの岡部騎手はヤエノムテキに乗り、アルダンは横山典弘騎手と共にアタマ差まで迫るも結局及ばなかった。その後アルダンは一度も勝てないまま引退となった。
その史実に対し『もしも岡部騎手のようなトレーナーがいて、アルダンを信じてずっと付き添っていたら?』の想いを反映させたのがウマ娘のアルダンのシナリオである。
岡部騎手のようにアルダンの体調管理をこなしつつもアルダンの意思を尊重するトレーナー
足の性質を理解した上でそれでも覚悟を共に出来るかと聞いた日…
90年天皇賞秋での『トレーナーさんがいてくれて幸せでした』の言葉…
アルダンの伝える言葉の根底には、史実への沢山の想いが込められているのだ。
さて、岡部騎手とアルダンには深い関係があり、それがウマ娘のトレーナーに岡部因子として反映され、トレウマ要素となったことが分かった。
それでは、先程の大杉神社を見ていこう。
そう。大杉神社は岡部騎手激推し神社なのだ。
大杉神社は日本で唯一の『夢むすび大明神』としても知られており、古来より数多の参拝者達の夢を叶えてきたと言われている。
アルダンとトレーナーの関係性は、ウマ娘という形で転生した2人が、史実で叶えられなかった夢を追っていく物語なのだろう。
スピアルダンと亡霊のモチーフ
スピアルダンの衣装のモチーフが大杉神社であるなら、サポイベ内容はどうであろうか。実はここにも重要なモチーフが隠されている。
①馬乗りの名手『菅原道真』と岡部幸雄
スピアルダンのサポイベの内容にはある共通点がある。それが日本三大怨霊の1人『菅原道真』である。
サポイベ①酒呑童子退治
源頼光と頼朝四天王の一人「渡辺綱」は宝刀・鬼切丸で酒呑童子を退治している。現在鬼切丸の名を持つ刀は2つあり、多田神社と北野天満宮(菅原道真信仰の発祥地)に奉られている。
サポイベ②桃太郎伝説
香川の高松市には、菅原道真が地元の漁師の海賊退治の逸話を桃太郎のおとぎ話として広めたとされている。
サポイベ③歌舞伎
日本三大歌舞伎の1つは菅原道真の半生と怨霊伝説を描いた『菅原伝授手習鑑』である。
菅原道真とは
道真は学問の家柄に生まれ、たぐいまれな才能と勤勉な努力家で瞬く間に出世した人物である。しかしその能力を貴族達に妬まれ、無実の罪を着せられて大宰府へ左遷。その地で亡くなると怨霊となり、自身を陥れた人物から都まで疫病、雷、飢饉、長雨と様々な災害を起こし、その怒りを沈める為に京都の北野天満宮から全国で天神様として奉られるようになった伝承がある。
一方で道真は馬乗りの名手でもあった。乗馬を好み、通勤も馬で行い、北野天満宮内の右近の馬場での桜狩りも楽しんでいた。死後に怨霊となった際も右近の馬場に祭ってほしいと神託があり、北野天満宮に祭られたほどである。
天神信仰と一体化した道真は各地の天満宮へ広まり、江戸時代に徳川吉宗を暴れ馬から救った縁から、落馬止め天神として競馬関係者からも信仰されるようになった。今日、日本競馬界の騎乗フォームはアメリカから導入されたモンキー乗りが主流であるが、1958年以前は天神様(道真)に由来した『天神乗り』が大半であった。
先ほどの大杉神社の一角には菅原道真が奉られており、栗東トレーニングセンターの氏神・大野神社の主祭神も菅原道真である。そして日本競馬界のモンキー乗りに、更に発展したアメリカ式のモンキーの要素を持ち込んだのが岡部騎手であった。
つまりスピアルダンには両トレーニングセンターの氏神の祭神がモチーフとして取り入れられ、馬乗りの名手であり落馬止め天神の菅原道真、天神乗りの道真とアメリカ式モンキー乗りを広めた岡部騎手、更に岡部騎手推し神社と、トレーナー(騎手)に関する要素をふんだんに盛り込んでいるのだ。トレーナーとアルダンは切り離せない関係性ということだろう。
②桜石とクリノクロアライン
道真を祀る日本各地の天満宮や神社は、基本的には『怨霊道真の怒りを鎮めるためのもの』であるが、一方で道真に仕えていた人物達が建てたものも数多く存在する。そしてその中には生前の道真が愛した植物や、大切に育てた梅、桜、松に由来するものもある。
例えば、大宰府へ向かう道真を見送った地の桜には千代桜天満宮(チ ヨ ザ ク ラ)の名が付いているし、道真の桜を譲り受けた桜天満宮には桜石という不思議な石の伝承がある。
桜石の伝承
桜石とは亀岡市の天満宮で採掘される桜模様の石のことである。道真公が大宰府へ左遷された際に、道真に仕えていた高田氏は、道真が大切にしていた桜を譲り受けた。桜の世話をしたが、翌年桜が咲かず主君が心配になった高田氏は道真を追って大宰府へ。その忠義に感動した道真は自身の像を高田氏へ贈り、高田氏は社を作り像を祭った。
それから300年経ったある晩、高田氏の子孫の枕元に道真が現れ、社を修善寺へ移すよう伝えた。そして社を移し天満宮を立てると、地面から桜模様の石が沢山現れた。
道真の愛した桜は主人を失った時に枯れたことで知られているが、長い年月の中で植物から石の形へ姿を変え、永遠に桜の咲き誇る地として生まれ変わったのだ。
この桜模様は、鉱物のアイオライトに含まれる六角柱状結晶が分解され、緑泥石や雲母に変化することで作られる。緑泥石グループには斜緑泥石という鉱石が属しており、この石の別名はアルダンの勝負服名『クリノクロア』である。
クリノクロアは雲母を含み、剥がれやすく脆い鉱石である。そのため勝負服名を直訳すると『脆く壊れやすい血統(クリノクロア・ライン)』となるが、長い年月をかけながら、永久に咲き誇る桜を作り出していく存在でもあるのだ。
余談であるが、道真の愛した自然物は梅、松、桜、菊、薔薇、月、雪だった。賢さラモーヌのサポカ文章には勝ち鞍を植物に例えて桜、樫、菊、薔薇が登場し、パワーラモーヌと別衣装アルダンには雪、別衣装ルドルフは皓月となっている。
本題・幽霊好き設定のモチーフ
さて、アルダンのモチーフに最初期から幽霊を入れているのは間違いないが、何故アルダンに幽霊なのだろうか。双子で生まれてくる時に片方が死産であったから?死をものともしない覚悟ガン決まり性格から?アルダンを取り巻く幽霊について見ていく。
①メジロファントムと天皇賞秋
アルダンと挑む90年天皇賞秋の直前、横山典弘騎手は、騎手を目指す意志を固めたレースを語っている。それが79年天皇賞秋、父・横山富雄騎手の乗るメジロファントムとスリージャイアンツとの100mデッドヒートであった。
デッドヒートの末、ファントムはハナ差負けの2着となったが、横山騎手はこのレースが一番印象に残っていると語り、アルダンと共に天皇賞秋へと向かっていく。
(結果は父と同じくハナ差2着となるが…)
横山富雄、横山典弘は親子でメジロ牧場の主戦騎手を務め、牧場の創設者である北野氏から非常に可愛がられていた。
幽霊戦闘機と硝子の重戦車
メジロファントムとは1975年生まれ(78世代)の馬で、いまいち勝ちきれない歯痒い実力から個性派としてファンから愛され、6年間ターフを沸かせ続けた名脇役である。
丁度海外の勝ち鞍を除いたステイゴールドのような成績でG1は未勝利。79年天皇賞秋と有馬記念は2連続ハナ差2着、翌80年の天皇賞秋も2着、81年の天皇賞春と宝塚記念は連続3着。天皇賞は春秋含め6回出走し、5年連続有馬記念出走はスピードシンボリやナイスネイチャに並ぶ記録である。
引退後は種牡馬の条件を満たせなかった為に後継を残せなかったが、鹿毛の馬体でありながら東京競馬場の誘導馬となり、自身の知名度もあってか当時は非常に高い人気を誇っていたようである。
アルダンも日本ダービーはクビ差2着、天皇賞秋はアタマ差2着、高い素質を持ちながらもG1の栄光を掴むことは出来なかった。
① 馬名の由来
メジロの馬には毎年テーマを決めた馬名が付けられている。1975年は航空機の愛称が命名されており、ファントムは戦闘機F-4の愛称だった。phantomは英語で幽霊の意味を持っていた事からメジロファントムは「オバケ戦闘機」「幽霊戦闘機」のニックネームとなった。
同期にはメジロイーグル(パーマーの父)がおり、こちらはF-15戦闘機の愛称イーグルから採られている。そしてメジロイーグルの姉メジロヒリュウ(アルダンの母)の馬名は軍艦の飛龍に由来している。
メジロの馬名のテーマは毎年全く異なるものが選ばれるが、偶然かアルダンの周囲の馬達は悉く戦闘機や軍艦に由来しており、アルダン本人が繊細な重戦車と呼ばれたことも踏まえると、命を燃やして自分がここにいた証を刻みたいと願うキャラクターとなったのも必然と言えるかもしれない。
② アルダンとの血縁
メジロファントムとアルダンは同母父ネヴァービートで繋がりがあり、ファントムと同期のメジロイーグルはアルダンの母の弟である。
そして母父ネヴァービートではダイタクヘリオスが該当し、メジロイーグルの子はメジロパーマーであるため、アルダンがヘリパマとよく絡んでいるのもこの辺りが由来だろう。
③ 同期達
メジロファントムと同世代にあたる78世代(1975年生まれ)の馬はシングレメンバーと非常に縁が深い。
78世代
・シービークロス (子 タマモクロス)
・ヤマニンスキー (子 ヤエノムテキ)
・ミルジョージ (子 イナリワン)
22年秋イベの登場キャラクター達と78世代の親世代が一致しており、イベスト内の蹄板で父の無念を子世代が読んでいることを踏まえれば、78世代からオグリ達への継承の物語をイメージしていると思われる。
78世代のメジロファントムとアルダンは直系ではないため、蹄板では実父アスワン号の記述を読むが、サポカでは道真(幽霊)をモチーフにしつつ、パマヘリと交流をしていることを踏まえると、
・アルダンと血縁あり
・ヘリパマと繋がりあり
・幽霊ネタ
・秋イベは78世代を意識している
・横山親子を繋いだ天皇賞秋
・メジロ家の馬
とすれば、スピアルダンのサポイベは、菅原道真(岡部騎手)とメジロファントム(78世代)を取り入れたダブルミーニングなのだろう。
②サクラスターオーの霊
アルダンと幽霊を繋ぐものとして、間接的ではあるが『サクラスターオーの霊』も取り上げる。
サクラチヨノオーの日本ダービー勝利のエピソードで語られるのがオーナー全氏の「スターオーの霊が後押しをしてくれた」というコメントである。
サクラスターオーとは
サクラスターオーはアルダン達の1つ上、87世代にあたる。脚部不安から日本ダービーは無念の回避となったものの、皐月賞と菊花賞を制した名馬である。チヨノオーと同じくサクラ軍団の馬で、オーナーの所有馬を父と母として生まれたこともあり、全氏にとって息子同然の存在だった。
年度代表馬に選ばれたものの、87年有馬記念で予後不良に匹敵する骨折を負ってしまう。5ヶ月間の闘病生活の末、チヨノオー達のダービーの17日前にスターオーは安楽死となった。
そしてスターオーを失い悲しみにくれる陣営に、スターオーの出走すら叶わなかった日本ダービーで満開の桜を届けたのがサクラチヨノオーである。直線でアルダンに半馬身差をつけられてからの驚異的な差し返しは、まさに奇跡のようであった。
桜と雪
アルダンとチヨノオーといえば、ご存知の通りドロワでの別衣装は88年日本ダービーの暗喩である。2人は雪と桜をイメージした服装に身を包むが、これはダービーの約2ヶ月前、88年4月8日に開花直前の桜を覆った季節外れの大雪をモチーフにしている。
そして、この日は闘病中のスターオーが生きる為の最後の手術に挑んだ日でもあった。
ドレスに身を包みなからも『されば、きみかなし』という和風な題名。幽霊(菅原道真)が愛した桜と雪。スターオーの手術日の大雪。スターオーの霊が後押ししたといわれる日本ダービーが題材。
憧れのマルゼンスキーを目指して魂を燃やして走るチヨノオーの背に、アルダンは何を見たのだろうか。
その他のモチーフ達
その他アルダンに含まれるモチーフとして、実馬から離れるが『貴船神社』『源頼光』を取り上げる。前述の菅原道真とこの2つは密接に関わりがあり、アルダンのキャラ設定にも関わっている。
①怪物オグリと鬼退治の武将・源頼光
菅原道真にかかる要素として、アルダンのキャラ設定には『源頼光』も含まれている。
道真信仰の発祥地、京都の『北野天満宮』には鬼切丸という刀が保管されている。鬼切丸の持ち主は平安時代の武士・源頼光であり、鬼切丸の由来は宇治の『橋姫』という鬼女を切ったためである。
さて、サポイベでもアルダンがなりきっていた源頼光だが、化け物退治エピソードが滅茶苦茶豊富な武将であった。スピアルダンに登場した酒呑童子に加え、橋姫、土蜘蛛討伐、子持山姥では鬼の怪童丸も仲間にしている。
別記事で述べるが、実はヤエノには怪物ヤマタノオロチを退治した英傑スサノオノミコトがモチーフとして入っている。怪物オグリキャップへ挑んだ2人には『怪物退治で名を馳せた日本の英雄』が設定に込められているのだ。
アルダンが鬼切丸を携えて酒呑童子討伐へと向かったように、内面には怪物を退治せんとする武士の精神が入っているのだろう。
…ところで酒呑童子もオロチも酒で酔わせて退治するけど、2人でオグリに酒飲ませたりしないよね?
②貴船神社
22年秋イベに登場する神社は全て京都の馬に由来する神社となっている。アルダンの衣装には大杉神社が用いられていると述べたが、大杉神社は茨城県の神社であるため、京都府の北野天満宮(菅原道真)と貴船神社がモチーフとして込められている。
・雪の別衣装
貴船神社の主祭神はタカオカミノカミという雨と雪を司る龍神(水神)である。火伏せ、消防、縁結びの神としても信仰され、古来より干ばつの時は黒馬、長雨の時は白馬を奉納して祈願をしていた。後に生きた馬の奉納から板にかかれた馬の奉納へと代わり、これが絵馬の原型と言われている。その名残から境内には黒い馬と白い馬の像が飾られている。
秋イベでの貴船神社はモチーフを強く主張していないものの、アルダンの役割が水の神、オグリ達が先代の想いの書かれた蹄板(絵馬)をよんでいる等であろうか。
タカオカミノカミは雪を司る日本の神々の中では最も古く、別衣装アルダンは雪をモチーフとしている。そしてかつて奉納された黒馬と白馬のように、実馬アルダンは漆黒の馬体、別衣装は全身白い装束となっている。
・貴船神社と橋姫
源頼光の持つ刀・鬼切丸の由来となった「宇治の橋姫」だが、元は人間の娘であり鬼へと変えたのは貴船神社であった。
平家物語によれば、かつて嫉妬に狂った娘が貴船神社に7日間籠もり「私を鬼神に変えてください。殺したい女がいるのです」と願い続けた結果、哀れに思った貴船大明神は21日間宇治の川に浸かるよう告げ、娘は鬼へと変貌した。
・和泉式部と縁結びの神
貴船神社には和泉式部が夫と寄りを戻すために願掛けをしたところ、貴船神社から返歌が贈られ、夫の心を取り戻し夫婦円満となった話がある。当時の和泉式部の夫は藤原保昌といい、酒呑童子退治において源頼光とともに鬼退治をした人物だ。
和泉式部は願掛けのあと、貴船神社の巫女と「敬愛の祭り」を行っている。この中に拝殿で着物の裾をまくって陰部を露出させる下りがあり、和泉式部は当然拒絶。その様子を密かに見ていた夫は恥じらう妻に感激し、夫婦円満となったらしい。アルダンは巫女衣装となっているが、京都の馬由来の神社が主となる秋イベで、貴船神社ではなく大杉神社の巫女に扮しているのはこれが理由かもしれない。
少し長くなったが、
・メジロファントムから始まった菅原道真
・神馬と関わりの深い貴船神社
・オグリ退治と京都の怪物バスター源頼光
全く異なる要素から生まれた3つのモチーフが、実は全て京都発祥であり、密接に絡み合っているというのは非常に面白い。
まとめ モチーフ達の考察
ここまでに登場したモチーフ達を組み合わせて、アルダンのキャラ設定を想像していく。
・当初22年秋イベントでは京都を中心とした馬の神事と、父と子の継承(78世代からオグリ達)
をテーマにしていた。
→78世代のメジロファントムとアルダンには直系ではないものの血縁があり、79年天皇賞秋での想いの継承とメジロ家の主戦を勤めた横山父子の繋がりがあった。
・幽霊戦闘機の名を持つファントムにあやかり、アルダンには最初期から幽霊好き設定と日本三大怨霊かつ馬乗りの名手『菅原道真』のモチーフが入れられた。
→道真に由来した桜石の伝承はクリノクロアへ引き継がれ、日本ダービーでのサクラスターオーの霊も絡めながらドロワへと繋がっていったと推測される。
・怪物オグリキャップへ挑んだ者として、平安時代に『怪物退治で名を馳せた武将・源頼光』がモチーフとして取り入れられた。
→アルダンは外見に対して、武将のような気高い性格となり、当時頼光達に討伐された酒呑童子も橋姫も悲しみから鬼と化したため、アルダンも幽霊達の情念に興味がある。
(源頼光は酒呑童子と酒を飲み交わしながら身の上話を聞いている)
ヤエノムテキにも同様に怪物退治で有名なスサノオノミコトが取り入れられている。
・育成シナリオのベースに美浦トレセンの氏神かつ岡部幸雄騎手と縁のある『大杉神社』をモチーフに取り入れ、秋イベでは同神社の巫女に扮している。
・秋イベは京都の馬に関わる神社の内容だが、大杉神社を入れた分、京都の貴船神社や北野天満宮はあまり出せなかった。そのためサポイベに菅原道真、貴船神社は別衣装の雪へひっそりと引き継がれている可能性がある。
→アルダンの通常衣装、別衣装を並べると貴船神社の黒馬と白馬になる
おおよそ、このあたりだろうか。
記事内でたびたび登場するように、次の記事ではヤエノムテキのキャラ設定考察論に触れる。というのもヤエノに含まれたモチーフ達もアルダンと同様に、実馬に由来する神社、京都の神社、怪物退治の物語となっているのだ。
史実の馬からは離れた話ばかりになるが、お暇な方はお付き合い願いたい。