鯨の刺身
日本橋三越から「大中央区展」開催のお知らせハガキが届いた。
ヘルシオで使用する鍋や鍋掴みを下見しようかと思って覗いてみた。
銀座線からの地下通路から本館の7階催事場に行き、東京の名店と名乗る「築地の鯨」で鯨肉を見た。
たまに築地の場外市場や日本橋長崎館で見かけるが、冷凍鯨は半年は持つので、早めに正月用にストックしておこうと奮発した。
私が子どもの頃の長崎の実家では、盆暮れ正月と大切なお客様が来る時は必ずと言ってよいほど、冷凍鯨の刺身が並んでいた。
私は鯨の刺身が大好きで、鯨の刺身が残りますようにと祈りを込めて、お客様や親戚が帰るのをじっと待っていた(笑)
時間が経って解けかけ、血のようなドリップの滲んだ鯨の刺身を、生姜醤油をつけて食べた記憶が、今でも鮮明に残っている。
捕鯨が禁止されるまでは、帰省するたびに母が私の為に鯨の刺身を買い置きしてくれた。
私にとっての鯨の刺身は、大洋漁業と書かれた緑色のミゼットに乗って、おじさんと一緒に実家のあるミカン農家の集落の公民館まで登って来た。
母たちは買い物かごを提げて公民館まで行って魚や海老やアサリや豆腐を買い、子どもたちはお小遣いをもらってマルハソーセージや菓子パンやキャラメルなんかを買ったものだった。
祖母が長く入院していて、母が畑仕事で忙しい私の家は、私がいつも買い物に行った。冷凍鯨は数に限りがあったので、前回来た時に頼んだり、母が前日にミゼットのおじさんに電話で注文したりしていた。
私が買いに行くと、おじさんはブリキ色の冷凍庫から1本3,000円位の冷凍鯨を取り出して、新聞紙に包んでくれた。
それを急いで持ち帰って冷凍室に入れておくと、母がお客様が来る少し前に取り出して4mmくらいにスライスして、有田焼(今は波佐見焼と言った方が良いのかもれしない)の藍色の皿に並べて冷蔵庫に入れた。
今は長崎ですら調査用捕鯨の鯨しか手に入らない。
だから、東京の鯨肉はどう見ても寂しい限りの代物だが、今は長崎でも昔のような立派な鯨肉は無いと諦めている。