重要なのは「続けること」 ―好きなことを仕事にしたい若者に伝えたい、成瀬洋平さんの話―
>成瀬洋平さんのプロフィール
自分の感動する風景を絵で表現したいと、中学生のころから絵を描き始めた。
本格的にクライミングや絵描きをし始めたのは高校生のとき。
進路選択で絵描きになることを決めてから毎日絵を描き、
現在は地元の岐阜県でライターとイラストレーター、そしてクライミングインストラクターと多方面で活躍されている。
【絵描きとクライミングの原点】
― 絵を描くことやクライミングの原点はどのようなものだったんですか。
もともと父親が登山好きで、自分で歩けるようになった小学1年生くらいのときに、北アルプスに連れて行ってもらったのが初めだったと思います。
その後、小学6年生くらのときに、自分でも山に行きたいと思うようになりました。
そのきっかけは、星野道夫さんの本に出会ったことです。
― あ、もしかして「アラスカたんけん記」ですか。
はい。アラスカの動物や風景の写真が載っていて、「こんなところがあるんだ」って思いました。そのとき、登山のスキルがあれば、こういうところに行けるんじゃないかなと思うようになったんです。
― 登山のスキルがあれば、こういうところに行けるんじゃないか、と思ったところをもう少し詳しく教えてください。
星野さんはそこで何週間もキャンプしながら撮影してたんですが、写真に載っているキャンプ道具が登山で使ってるのと一緒だなと思いました。テントをもって、寝袋もって、バーナーもってというように。
だから、こういう道具があって登山ができれば、こんな場所に行けるんだ、って。
― なるほど。では、絵の原点はどんなものだったんですか。
中学生のころに北アルプスの穂高岳を登ったとき、頂上で絵を描いてたんです。
中学生の頃って、夏休みに自由課題があるじゃないですか。作品作ったり研究したりとか。
それで、穂高にテントを持って登ったときのことについて、スケッチブックに写真を張ったり、絵や文章を書いて山行記を作ったんです。そのころから、何かしら表現したいと思うようになっていたと思います。
― なるほど。 絵を仕事にしようと思い始めたのはいつ頃だったんでしょうか。
高校生のときです。
中学生のころにクライミングに出会って、高校1,2年生の頃は、家の倉庫に小さな壁を作って登ってました。
高校3年生になって、自分はこれから何をしたいのかを考えたとき、山に登ったり旅をしたりしたときの景色を誰かに伝えられるようにしたいなと思ったのが、意識して絵を描くようになったきっかけです。
― 自分が経験するだけではなく、それを表現したかったんですか。
クライミングも絵描きも、「山」という共通要素がありそうな気がします。
【どうしたらいいのかわからなくて、絵を描くことを選んだ】
― 他の材料ではなく「絵」で表現していたのはどうしてでしょうか。
写真が撮れれば写真でもよかったと思うんです。(笑)
― あ、そうなんですか。(笑)
でも、写真だと、自分の個性を出していくことが難しいんじゃないかと思ったんです。
当時の自分は、どうしたらプロの写真家になれるのかや、写真で個性をだしていくことがどういうものなのかが全くわからなかったんだと思います。
一方で、絵は、自分の描いたものが他の人とは全然違うものになるはずで。
水彩画の風合いがとても好きでしたし、自分の感じたことを自分なりに表現しやすいと思いました。色を塗るにしても、色を少し変えるとか、水の加減でその雰囲気を変えたりとか。そういった理由で、絵を選びました。
― 絵描きとクライミングはどのような順番で身につけていかれたのでしょうか。
仕事として絵を描いていくためにはとにかく描かないとだなと思って、
仕事にすることを目指して絵を描くようになった高校3年生のころからは、全然クライミングをしなくなりました。
そのときは、毎日絵を描いて、それを2,3年続けたら絵描きになれるんじゃないかなと思っていて。クライミングをするよりも、絵を描いてそれを仕事にしたいという想いの方が強かったので大学時代もほとんど絵を描くことに時間を使ってました。
― 一つ決めたらやり抜くような学生時代だったんですね。
その後、高校卒業後は大学に進学し、大学卒業後はどのような生活をしていましたか。
まずは広告代理店に就職し、会社員をする傍ら、絵の仕事もしていました。売り込んだ資料に目をとめてくれる方がいて、イラストやライターとして連載を持たせて頂くことが決まったときに、フリーランスになりました。そこからはずっと絵の仕事をしてました。当時はクライミングもやっていなかったわけではないんですが、いかにして、絵や物書きとして生活していくかで精一杯でした。
― 最初は山に感動し、そのあと、中学くらいで山に行ったときにそこの絵を描き始め、高校生はクライミングをやってたけど、高校3年から社会人時代にかけては絵に力を入れてたと。
そうですね。それから、地元の岐阜に帰ってきて1年間くらいは、クライミングもせずに東京でやっていたときと変わらない仕事のペースと内容で働いていました。
せっかく、自分の家の近くにクライミングができる笠置山クライミングエリアがあって、子どものころからクライミングもやってたのに、このままだと一生クライミングできないなくなってしまうのではないかと思って、プライベートでクライミングもし始めたんです。
そしたらまたクライミングに夢中になって、スキルも上がってきたところで、4年前にクライミングインストラクターの資格を取得し、クライミングのお仕事もさせて頂くようになりました。
【2足のわらじを履いていく難しさ】
― クライミングと絵描きという2つのことを生業にすることの難しさは感じていますか。
最初は両者がなかなか結びつかなかったんです。
山の雑誌の仕事はそんなに収入がよいわけではないので、たくさん仕事をもらうようにしていたんですが、そうなるとクライミングする時間がなかなか取れなくなってしまうということはありました。
― 限られた時間で、2つの物事に取り組むことはやはり大変ですよね。
そうですね。
クライミングのお仕事一本であれば、お客さんをいろんな山に連れて行くというような企画を立てるなど、もっとさまざまな工夫を考えられると思います。でも、絵描きもしていると、なかなかそうもいかず、ということはありましたね。
― ああ、なるほど。
ただ、「絵や文章をかいていきたい」という想いは強いので、それははずせない仕事だなと思います。
― どうして絵や文章を描くことがはずせないのでしょうか。
絵とか文章をかく仕事は自分の核になるものだと思うからです。自分が山の世界にのめり込むきっかけになったのが星野道夫さんなどの本に影響を受けていたから、という話をしたのですが、
「あ、こんなところに行ってみたいな」と憧れて今の仕事があるので、自分も誰かにそうやって影響を与えらるような活動をしていきたいと思います。
― なるほど。
ちなみに、そんな成瀬さんにとって、「絵を描く」ことはどういうものでしょうか。
「誰かに何かを伝える手段」だと思ってます。
自分が「いいな」とか、「素敵だな」と思ったものを他の人にも感じてもらえるようにするための手段です。だから、自己満足するよりも、見てもらう人たちのことを考えて描いています。
― 見た人に、どんなふうに思ってもらいたいと思って絵を描いていますか。
自分の見た風景で自分が感じた感動を、まるで山にいるかのように味わってもらえたら嬉しいな、と思って描いています。
― 絵を見る人は老若男女問わず…
そうですね。
今回は子どもたちへ向けたインタビューなので、子どもたちが僕の描いた絵を見てくれて「山って面白いな」とか「山って素敵だな」って思ってもらえるようなきっかけになってくれたら嬉しいなという想いは大きいです。
【何を仕事にしたらいいのか】
― どんな仕事もそうですが、自分の興味のある対象が、趣味にもなり得るし仕事にもなり得ると思います。趣味を仕事にしたときに、趣味だったら楽しめたものが仕事になると嫌になってしまう方もいますよね。
そんななかで、成瀬さんがされてるクライミングと絵について、ご自身の感覚では、趣味なのか仕事なのかどちらにも当てはまらないのか、どのようなものなんでしょうか。
プライベートのクライミングは遊びですが、講習会は仕事ですね。
絵は仕事です。ただ、幸いなことに、仕事の中でも好きな絵を描いていいことがほとんどなので、自分の描きたい風景を描くことができています。
だから、絵は仕事ではありながらも、自由度はすごい高いです。
― 遊びと仕事と自由度の大きな仕事、ですか。
趣味を仕事にすると大変だということは一般的によく言われると思いますが、僕は、自分が好きなことは仕事にするといいと思います。
今の社会だと、収入を得ていかないと暮らしていくのが難しく、人生の大半の時間はその収入を得る仕事に使うと思います。だから、その時間を自分の好きなことに当てられたらいいなと思ってます。
― たしかに、人生の大半の時間を仕事に費やしていますね。
当然責任もあるし、苦しいこともあるし、辛いことも多いですけど。
でも、もし何か好きなことがあって、それを仕事にできるかなって思ってる人がいるとしたら、ぜひそれは仕事にして、もしだめだったら、またそのときに考えればいいんじゃないかな。(笑)
― 「もしだめだったら、またそのときに考えればいいんじゃないか」って考え方、最高です。(笑)
どのように最高なのかってことを真面目に説明すると(笑)
何がうまくいくかなんてそのときしかわからないと思うので、真面目に考えすぎず、心に余裕をもって挑戦してみる、みたいなところです。
【クライミングの醍醐味】
― 最近、成瀬さんが2年くらいかけて岩に登ったという記事を拝見しました。岩に登り終えたとき、大きな達成感を味わうとともに、達成してしまったという一種のさみしさや、わかってしまったことに対して感じたことってありますか。
その岩は、ちょうど今年の4月の26日に登ったんです。なかなかトライしに行けず、2登れるまで2、3年かかりました。
それが登れた時は、さみしさよりも安堵したというような感じでした。
― 安堵、ですか。
はい。「やっと、終わった。」という。
トライしているときは楽しいんですけど、
それが登れないと次の新しいことができないので、ようやく「次のトライができるなぁ」と。
あとは、妻や友達にロープを確保してもらうために付き合ってもらってた人たちへの感謝も気持ちとか、岩に対して、やっと登らせてもらえたなという気持ちとか。
― 登らせてもらえた、という気持ち…
クライミングって、岩はその場所にあるだけで、それにどうアプローチするかってのは人間なんですよね。岩に受け入れてもらえた、というような感じです。
― なるほど。
ちなみに、その岩はご自身で見つけて登られたんですか。
そうですね。「あ、ここ登ったら面白いんじゃないかな」と思って。
― 自分で登ろうって決めて登ってるので、いくらでもやめることができる状況だったと思います。それでも、挑戦して自分のものにしたいと思われるのはなぜだと思いますか。
途中でやめることもできたんですけど、その岩のライン(岩を登るときに、頭の中で思い描く登るためのルート)がかっこよくて、その内容が、自分にとってはテクニカルで難しいんですけど、すごい面白いんですよね。
― 久々に「いいやつ来たな」みたいな感じですかね。
そういう難しいラインの岩って、ちょっとした違いで登れなくなってしまうんですけど、
ちょっとしたコンディションやタイミングなどの工夫で一番難しいところの動きができるんです。「見つけたものを自分自身で登りたい」とか、「作ったラインを完成させたい」という想いはすごい強いです。
― ちょっとしたコンディションやタイミングなどの工夫で登れることがあるというお話でしたが、その、よい時というのは感覚的にわかるものなんでしょうか。
わかります。
― どのようにわかるんでしょうか。
身体が動くかどうかや、軽いと感じるかどうかですかね。
あと、指先の感覚。気温や湿度にとても左右されて、ホールド(持つ部分)を持った時に「あ、今日持ててる」みたいな感じですごい直接に伝わってきます。
― なるほど、それだけ自分の身体やタイミングによって登れるかどうかが左右されるのなら、一度登れた岩をもう一度登るというのは難しいですか。
そうですね。
登れたら肩の荷が下りて安堵しちゃって、それまでかなり切り詰めてた食事や生活が緩んでしまうので、たぶん、もう登れないですね。(笑)
―そうやって食事や生活をストイックに切り詰める過程は、ご自身にとって負担ではないですか。
目標に向かって何かやってるのってのはけっこう好きなのであまり負担だとは感じないかな。なんかこう、わくわくドキドキします。
生活の中にも張りがでて、毎日の天気予報で気温や湿度を確認して
「あ、今日いいんじゃないかな!行けるんじゃないかな」とかって思いながら生活しているんですけど。(笑)
― なんだか楽しそうです。
確かに、切り詰める状態がずっと続いたり、シーズンが悪くなってきたりするとけっこうストレスを感じてしまうことはありますが、
例えば、今週行けそうだって思うと、当日まであんまり食べ過ぎないように、飲み過ぎないようにって自分を調整するのは好きです。(笑)
― 目の前にある目標に向かっていくことは楽しいですもんね。
【続けること】
― 最後に、中高生に伝えたいことはありますか。
重要なのは「続けること」だと思います。
2、3年間、毎日続けると何か形になっていくと思うので、好きなことややりたいことがあるなら、とにかく毎日続けて欲しいなと思います。
― 自分の好きなことを生業にされている方から頂くので、とても心強いメッセージですね。
それから、世の中にいろいろな仕事がありますが、自分のする仕事の中に、いかに喜びや充実感を見出すかってことがけっこう重要なんじゃないかと思います。
― なるほど。
誰かに伝えるために描く絵や、自分と向き合うクライミング、成瀬さんにとって絵やクライミングがいかなるものであるかについて知ることができて、とても楽しい時間でした。
人生という長い時間枠でとらえた自分の時間の使い方や、何を仕事にするかについてのお話を通じて、自分の人生の中で何を大事にしたいのかについて考えさせて頂く機会にもなりました。ありがとうございました。