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子どもが大人を困らせるわけ

子どもたちが工作したり粘土をしたりしていると、よく自分の作ったものを側にいる信頼できる大人に「見て見て〜。」っと見せにくる。

どうして子どもたちはそうやって作ったものをわざわざ側にいる大人に見せに来るのか。

私がモノづくりをしていたとき「見て見て〜」と子ども同様に、近くにいた人にしていたことに気づき、自分の作ったものを近くにいる人に見せたくなる理由がよくわかった気がした。子どもが側にいる人に自分の作ったものを見せたくなるのは、結論を言うと、自分の承認欲求を満たしてもらえたり、充足感を味わえたりするからだった。

子どもが「見て見て〜」と言ったら側にいる人が作ったものを見てくれるとか
子どもが「本読んで〜」と言ったら側にいる人が読んでくれるとか
大人がそれくらいのことをしてくれるだけで、子どもの気持ちはすごく満たされるんだと思う。

一方で、子どもはそれらの欲求が満たされないと、
信頼できる大人に突っかかったり、大人が提示するもの全部を嫌だとか言ったりする。それらの言動は、子どもが自分の欲求が満たされなかった怒りや悲しみ、または寂しさを伝えているんじゃないかと思う。

ただし、子どもたちはなんだかわからないけれど鬱憤を晴らしたいような気持ちがするだけで、不満、怒り、寂しさなどの気持ちに気づかない。
周りの大人たちは、子どもがなぜそんなに攻撃的だったり反抗的だったりするのかわからない。でも、子どもも自分がなんでそうしちゃうのかわからないから、大人に伝えようもない。

だから、そんな状態の子どもに必要なことは、大人がとりあえず子どもをハグしてあげて、
子どもの気持ちが落ち着いたら、「今どんな気持ち?怒ってるの?悲しいの?」などのように子どもの感情を大人が言語化してあげて、ついでに「それは、あなたが見てみて〜って言った本を私に読んでもらえなかったから?」と聞くことで、なぜ子どもはそんな気持ちになっていたのかに気づかせることだと思う。

大人がそうやって子どもの感情とその理由を言語化するだけで、子どもは「私は寂しいのかな。私は本を読んでもらえなかったのがちょっと寂しくてイライラしてたのかな。」と自分の状態を少しだけ冷静に捉えることができて落ち着く。(あくまでも感覚的に。)

それから、大事なのは大人から「読んであげなくてごめんね。」の一言があれば、子どもは大人の都合や状況をある程度は許せるということ。
さらに、大人は「私は今これをやっていてあなたの気持ちに応えることができなかったの。もし本を読んでほしいときは、次はこうしてみてくれない?」って提案したり、「私はいつだったらあなたに本を読んであげられそうかな?」って子どもに聞いてみたりすることだと思う。

自分が相手にしてほしいことをしてもらえるタイミングを子どもが自分で知って、抑えきれない怒りや悲しみを周りに発散する前に、上手に自分の欲求を相手との関わりの中で満たしてもらえる方法を学ぶ機会を作ることが大切。

忙しい毎日では、子どもの行動に対して「これはだめ」とつい言ってしまうけれど、それでは子どもは
自分の感情を受けとめてもらえてない感じがしてイライラし、自分のモヤモヤする気持ちが言語化されていないから、自分が怒っているのか、悲しいのか、寂しいのかかがわからない。そして、自分の欲求を相手との関わりを通して満たす方法もわからない。

毎回は難しいけれど、3回に1回、いや5回に1回くらいは、まず子どもの気持ちを受け止める。次に、大人が子どもにどんな気持ちでそれはどうしてなのかを選択肢を3つくらい出して尋ねることで子どもに気づかせる。最後に、自分の欲求を相手との関わりを通じて満たすにはいつどこでどのように言ったりやったりすればよいのかを子どもと一緒に考える。

この手順が踏めれば、子どもは自分の気持ちを尊重してもらえたと感じる。さらに、子どもが今後、身近な大人だけでなく他者との関わりの中で自分の欲求を建設的に満たしていくための方法を学ぶ機会になるのではないかと思う。