春だから、哲学カフェへ行っちゃおう
ここのところ心がうずいてました。
何かしたい。何かはじめたい。でも何しよう。
ぐるぐる考えてました。
今朝のこと。ヨガをしてたら、ハッて降ってきたんです。哲学カフェ行ってみるか、て。
やっぱ無心がいいのかな。思い浮かばなかったアイデアが来るんだもんなー。
先日哲学カフェなるものに行ってみたいと書きました。
近場にも哲学カフェはあるかも。ヨガ後にGoogleで検索です。そしたらやっぱありました。
実際に集うのやら、オンラインやら、いろんな種類があったんです。ドトール開催とか、場所も自由な感じで驚きました。すこし警戒してたから、安心です。
わたしは哲学というか。考えることが好きです。でもちょっと前だったら、哲学カフェに行くのは戸惑ったはず。なんせわたし、討論が苦手なもんで。
自分の意見を言いはじめても、自分が何言ってんだか途中で分からなくなり。しまいには「アハ」とばかりの苦笑で切り抜けようとする。意見になってないですよね。
理由には心あたりがあります。ビシッと決まるイイことを言わなくちゃ。自分で課した呪文のようなハードルがあるから。ゆえに、とっ散らかった意見になります。
ビシッと決まる。これ、あくまで私目線。わたしが思う「ビシッと決まる」なので、実際に決まるかどうかは異なる。この「異なる」に気づかせてくれたのは、他ならぬnote記事を読んでくださってる皆さんです。
わたしが思うビシッと決まる内容とて、スキの数も、ビュー数も全然伸びない。
あれ?コレが読まれるの?! そんな意外に思う記事もいっぱいありました。
自分が思う良きものとは、狭い感覚だったんだな。思い知りました。
見えぬ誰かのイイねを思って書いたとて、それはお門違い。自分の中のお見せするもんじゃないかも、が良かったりもする。
じゃあ、もう、自分が思ったことを、そのまんま伝えるでいいじゃん。伝わる誰かはいるかもしれない。そして間違いなく、自分自身は思ってる。だから奇をてらわずにそのまんま言っちゃえ。
自分の意見をそのまんま言っていい。皆さんが寄せてくださるnoteの反響が、背中を押してくださいました。
4月最初の方にある、こじんまりとした哲学カフェに申し込もうと思ってます。そこで「考えることが好き」という人の意見を聞いてみたい。
春の風に乗せられ、ワクワク心が動き出してます。