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その正義感は、ほんとうに必要? 自分へ問うてみた
わたしはnoteで記事にしたものを、ことばと広告さんからフィードバックをもらっています。文章上達の、最大の秘密です。
そんなわけで、昨日の記事を読んで、ことばと広告さんからの一言。
「正義感(?)強めな感じでしょうか」
カーンと雷が落ちました。そう。まさにそう! わたしの奥底から、何だか分からない意味不明のものがグワって立ち上がり、「そんなんでいいと思ってんのかー」と駆け出す勢いを与えてくる。その勢いを名付けたら、まさに正義感。はー、スッキリ。爽快な気持ちです。
『言ったら嫌なヤツになる。でもここで言わずに引き下がるのか。いや、言うべきだ。これは言うべきことなんだ』
そんな心のウォーミングアップを経て、「ちょっといいですか」と、わたしは切り込みがちでした。
わたしは決して、ケンカをしたいわけじゃない。そして強くもない。むしろ打たれ弱い。なのにナゼ果敢に言ってしまうのか。それは「言わなくちゃ、わたしが言わなくちゃ」と奮い立つ心があったからです。
でもみなさん。よーく考えてください。そんなグイグイわたしが治めないといけないシチュエーションて、どんだけあると思いますか。残念ながら、そんなない。無いんです。
なぜここまでガムシャラにやってたんだろう。ちょっとの間、ボーッと呆然でした。どうも視野が狭くなってたようです。
そしたら、ふと思いつきました。「わたしが行かなくちゃ」と走り出しそうになったら、自分へ問うてみよう。「その正義感、ほんとうに必要?」
思い立ったからには、昼休み後から実践です。他人に向かって注意を言いそうになったとき、「ほんとにその正義感、必要なの?」「注意を促す必要ある?」。ひと呼吸つき、自分へ確認です。
そして驚くことに、わたしが発すべき注意なんて、さほどなかった。言わずとも数分待てば、物事はスムーズに流れて行きました。
子供のよくあるシチュエーション。「今から勉強しようと思ってたのに。その言葉でやる気を失くしたよ」。
わたしはまさに、自分の良かれと思う正義感を振りかざし、相手のやる気を失わせてたかも。ようやく思いました。
ときには勢いも必要だと思います。でも毎度のごとく、いきり立つような戦闘モードで物事に対峙するのも、わたしがむっちゃしんどい。雰囲気もトゲトゲしくするし。いらぬプレッシャーを与えてたかもしれません。
行きつ、戻りつですが。少しずつ手探りで、いろいろ試してる毎日です。
では また