仮訳:Harem Scarem - Harry Hess Interview / Alma Hard
注意事項
・正確な日本語訳ではありません。
・実際にどんな内容であるのかは、直接You Tubeでご確認くださいm(_ _)m
・誤字脱字はお許しください…
1:あなたの音楽のキャリアについて教えて?
2:30~
記憶に残ってる範囲だと、まずドラムを習い始めて、それからギターをはじめた。でも長くは続かなかった。僕のプレイを見れば、それが独学で身につけたものだと理解できるはずだよ。Peteは真のミュージシャンで、Darrenは素晴らしいドラマーでシンガー。彼らは全体的に素晴らしいテクニカル・ミュージシャンなんだ。僕はどちらかというとソングDarrenライターやレコードプロデューサーなので、レコーディングの技術的な面がいつも好きだったんだ。曲作りを始めたときから、レコーディングにすごく興味があったし、17歳か18歳くらいのときには、すでにBlind Vengeanceというバンドでレコードを作っていて、僕はシンガーで、はドラマーだった。それで自分のためだけに曲を書き始め、それをレコーディングして、レコード契約を結ぶことになり、18歳か19歳のときにHarem Scaremを結成したんだ。
2:アメリカで成功しなかった理由はなんだと思う?
7:40~
1991年には音楽の風向きが本当に変わってしまった。Mood Swingsがリリースされた頃には、僕らみたいな長髪のバンドが作る音楽なんて、だれも興味を示さなくなってしまった。
僕らはForeignerがレコード会社から契約を解除されたとき、カナダで一緒にツアーをしていた。「8000万枚のレコードを売ったForeignerでさえ解雇されるなら、僕らのように数十万枚しか売れていないバンドはどうなるんだよ」と思ったよ。本当に目からウロコの経験だった。僕たちは自分が聴いて育った音楽、好きだった音楽に沿ったスタイルの音楽を作っていたわけだ。だけど、それがラジオやレコード業界全体から見放されることになるとは全く気付かなかった。
でも、アジア、特に日本とヨーロッパのいくつかの地域ではとてもうまくいってたので、レコード会社は僕たちと契約を切ることなく、結局、Warnerと7枚のアルバムをリリースしたんだ。僕らがWarnerとの契約を終えたのは、他の長髪でハード・ロックバンドが契約を切られたのと同じタイミングだった。
僕たちは、非常に奇妙で独特な状況にあった。カナダや北米全体では、だれも僕たちがやっていることに興味を示さなかった。とても奇妙なキャリアだった。
3:First Signalの活動について教えて?
9:30~
First SignalはFrontiersがまとめたプロジェクトで、Frontiersは僕たちが2000年にWarnerとの契約を終えたときに、僕たちのディストリビューターだった。だから、Frontiersとはかれこれ24年になる。
当初、彼らはヨーロッパのディストリビューターで、僕たちは自分でレコードを作って、複数のレーベルにライセンス供与していた。その後、Frontiersはヨーロッパだけでなく、世界へのディストリビューション・ネットワークになったんだ。
何年も一緒にやっていくうちに彼らとはよく理解しあえるようになり、多くのレコードを一緒に売り、すべてがうまくいった。
Harem Scaremとして、もうレコードを作りたくない時期があったんだ。 もう十分やったし、休みたいと思った。僕はたくさんのプロデュース作業をしていて、同じようなレコードばかり作っているような気がしてた。もうこれ以上はやりたくないと思ってた。その頃、Frontiersから「もし、今はこのスタイルのロックレコードを作りたくないなら、プロジェクトに参加して歌ってくれないか?」と声をかけられた。 僕は「いいね!」と思ったよ。曲を書く気もなければ、プロデュースする気もなく、レコーディングする気もなかったし、ちょうどいい機会だと思ったね。
好きな曲なら座って歌うのは楽しいよ。それがきっかけで、もう14,15年くらい続いているね。
本当はFirst Signalのために曲を書く気はなかったんだけど、最新作では、彼らが送ってきた曲の多くは未完成だったんだ。「君ならこれらの一部を仕上げることができるかもしれない」と言われ、彼らは僕に曲を託していった。僕は時間があったし、これらのアイデアがとても気に入ったので、「やってみるか」と思ったんだ。最新作ではそういった曲が4曲か5曲くらいあると思う。
4:Blind Vengeanceはあのタイミングで終わらせるべきだったと思う?
12:00~
Pete LesperanceはBlind Vengeanceのメンバーじゃなかった。 ドラマーはDarrenだったけど。だからPeteは地元の別のバンドで活動していて、そこで彼を知ったんだ。
それからPeteと組んでみたら、ソングライティングに関しては素晴らしいパートナーシップだと思ったよ。だってPeteは間違いなく世界最高のギタリストの一人だからね。 あれは素晴らしい経験だった。
だからBlind Vengeanceは終わらせるしかなかったんだ。だって、本当にひどかったんだから。
僕は15歳のときにあのレコードを作ったんだよ。 13歳や14歳の頃に書いた曲ばかりでね。そのクオリティなんて、想像できるだろ?本当にひどい歌詞で内容もバカバカしくて、音楽的にも全然ダメだったし、演奏もへたくそだった。
Peteと僕が一緒に仕事をし始めてから、僕たちの音楽は新しいレベルに達したんだ。なぜなら、その時点で僕はもう3、4年、作曲とレコーディングをしてて、何もしていないよりは経験を積んでたからね。
彼と僕とで、Harem Scaremのサウンドを作り上げていったんだ。
5:パンデミックでここまでバンド活動が中断されると思ってた?
13:40~
まさしくその通りだよ。 だって、僕たちはパンデミックの直前にレコーディングを終えて、2020年3月にアルバムをリリースしたからね。ところが、2020年3月、世界が文字通り、シャットダウンされたことを覚えているだろう?。 2020年のツアー計画はすべてキャンセルされたよ。スウェーデン・ロック・フェスティバルをはじめ、ヨーロッパ各地でのツアーも予定されていたのにさ。本当に素晴らしいショーが並んでたけど、もちろんキャンセルされたよ。
それから彼らは、「来年か半年後にまたやってみよう」と言ったんだ。どっちだったか覚えてないけど、それもキャンセルされたね。そして3度目に、「今度は必ずやろう」と言ってきたとき、僕たちは「確実にできるようになるまで、様子を見よう」と言ったんだ。
だって、みんなが理解していないのは、僕たちが6ヶ月から8ヶ月前に計画しなきゃいけないということなんだ。飛行機のチケットを購入しなきゃいけないからね。4人分の飛行機チケットを購入して世界中を旅するのは簡単じゃないよ。ショーの翌朝に飛行機に乗ってホテルに移動するなんて、事前に計画なしじゃできるわけがないんだよ。
そんなひどい状況だったのに、彼らはこう言うんだ。「最初のショーには間に合うかもしれないが、ヨーロッパで足止めをくらって、移動手段がなくなり、飛行機に乗れなくなり、ホテルが閉鎖され、フライトがキャンセルされ、そして現地に到着してもショーがキャンセルされるかもしれない」ってね。最悪だよ。
だから、僕たちは「これはできない」と思ったし、本当にそう言ったんだ。僕たちは「他にもやりたいことがたくさんあるし、レコーディングもあるし、ライブツアーをするのは意味がない」と思ったんだよ。他のバンドとは違って、大規模なツアーはほとんどやってこなかった。大規模なツアーはたいへんだから。自国でもそれほど成功してなかったし、4人で飛行機に乗り、ツアーに行くのはすごく費用がかかるんだ。それに、メンバーのスケジュールを調整するのもたいへんなんだ。
いつも起こることなんだけど、「ねえ、例えば来年の4月にショーをやらない?」って言われるとするよね。そうすると、僕はみんなに電話して「来年の4月は何してる?」って聞かなきゃいけない。すると彼らは「ああ、あれとこれをやってるよ」って言う。それでうまくいくのかって?そんなの知らないよ! 3通りの違う答えが返ってくるんだ。4人の人間がそれぞれ違うことをしていて、僕らのスケジュールが本当に合うことがないから、すごく複雑なんだ。
6:ソロアルバムのことを教えて?
17:00~
僕が書いた曲の中に、Harem Scaremらしくないと思う曲がいくつかあったんだ。そのアルバムを聴けばわかると思うけど、時々かなりフォーク調だったり、軽いロックというか、正直どう表現したらいいのかわからないんだけど。とにかく、Harem Scaremじゃないんだ。
僕らがHarem Scaremとして活動していた時でさえ、Harem Scaremらしくない曲を作っていた時期があった。
レコード会社と仕事をしてレコードを出すとなると、誰もがそれがうまくいくのか、儲かるのか、ファン層はどうなのか、といったことを知りたがる。だから、僕たちがその時やりたいように曲を書いているだけだと、うまくいかないことがあるんだよね。Harem Scaremは長年にわたって、ファンが望んでないことをしていると何度も批判されてきた。僕たちはただ自分たちが好きなレコードを作り、曲を書いて、世界のどこかに同じようにそれを好きになってくれる人がいることを願っているだけなんだけど。
僕のソロアルバムは、Harem Scaremには合わないけれど、僕自身はとても気に入っていて、自分が書いたからこそ世に出したかった曲の完璧な例なんだ。2枚目のソロアルバムも同じだ。 でも、2枚目のソロレコードを出したのは1枚目をリリースしてから10年経ってたし、その頃には僕らのファン層がどこにいて、何を期待し、何を好むのかを以前よりずっと意識していた。レコードを作るなら、みんなが気に入ってくれるレコードを作った方がいいと思うようになってきたからなんだ。そっちの方がしっくりくるようになったんだよね。反抗して「俺は自分のやりたいことだけをやるんだ。他の人がどう思おうと関係ない」と言うつもりはなかった。そういう時期は、僕にもPeteにもあったけど。今は「みんなを喜ばせることをしよう。それが結局は僕たちを幸せにするんだから」という考えに至った。 ファンのみんなが本当に気に入ってくれる曲を書いた時の反応は、曲を作ったことへの一種の報酬なんだよ。
(ソロ活動では)間違いなく、制作スタイルはより無駄がそぎ落とされて、バンドというよりもシンガーソングライターのように聴こえると思う。2枚目のレコードは、Harem Scaremとして期待される音よりも、より軽やかでテイストが薄まったサウンドになっていたはずだよ。なぜなら、Peteのギタープレイがなければ、Harem Scaremと同じように、音楽的に面白いものではなくなるからだ。Harem Scaremが音楽的に面白いのは、僕がシンプルなコード進行とシンプルな曲を書いて、それにPeteのギタープレイとギターリフを加えることができるからだ。僕にとっては、それがHarem Scaremにとって完璧な組み合わせなんだ。僕ら2人が集まって仕事をする時の、それが、僕ら独自のサウンドだと思う。
7:「Higher」は2000年代のHarem Scaremの作品の中で最もメロディアスとされているけど、初期のサウンドに戻したいという意図はあったの?
20:37~
Peteと僕はそのことについてよく話し合ったよ。今でも再び曲を書いてるけど、曲を細かくみていくと非常に興味深い。時には自分たちでも理解できないこともあるしね。でも、僕らは1stアルバムの曲を作ったのと同じ人間であり、「Mood Swings」を書いたのも僕たちだ。ご指摘の通り、「Higher」の中には、これを作っているのが同じ人物とは思えないほど、まったく異なる曲もある。僕たちは、とてもメロディアスでシンプルな曲をリラックスして書くことができるという意味で、多くの側面を持っているといえるんだ。
暗い雰囲気で、マイナーキーで、重厚感があって、制作側もその雰囲気をより際立たせようとしているとき、それは完全に違った印象の曲になる。だから『weight of the world』という曲は、とても重く、暗く、マイナー調なんだ。そして同じレコードには、アップテンポで、とても軽やかでふわふわしたポップソングのような曲も入っている。同じメンバーが演奏しているとは思えない、別のバンドの曲のように聴こえるんだ。今、僕たちは以前にも増して、そのことをよく考えるようになった。昔はそんなことは考えもしなかった。ただ、思いつくままにやっていたんだ。
僕らは10曲書いて、それを録音して、それをレコードにしてきた。「Mood Swings」にも、それくらいしか入ってない。今まで作ったレコードは13枚くらいあるけど、それらのアルバムのために、ちょうどいい数の曲を書いただけなんだ。他の曲から選ぶということはなかった。僕らは取り組むアイデアについて非常に慎重だ。でも、50曲書いてから10曲を選ぶということはしないんだ。僕らは10曲か11曲書いて、それをレコードに入れるんだ。
というのも、僕らは長い間このやり方を続けてきたから、ダメなアイデアだと気付いたら、すぐにそれを切り捨てるんだ。だから、ダメなアイデアは僕らのレコーディングには決して残らないし、最終的に残ったものに関しては、僕らはすべての曲とすべてのパートを気に入っていると思う。だから、それを録音するんだ。
8:どうしてバンド名をRubberに変えたの?
23:15~
ひどいアイデアだったよね。理由は、その当時、僕らはまだWaner Music Canadaと契約していたけど、カナダの音楽業界はHarem Scaremのことを知りたがらなかったんだ。面白いことに、最初のRubberのレコードに収録された「Sunshine」という曲があるんだけど、レコード会社がその曲を誰が演奏しているかをラジオ局に送ったんだ。でも、誰が演奏しているかは誰にも言わなかった。そして、すべてのラジオ局から「この曲は素晴らしい!これは君たちの新しいバンドなのか?」という返事が来たんだ。すごいトリックだよね?
それでラジオ局に、「実はHarem Scaremなんだ」と伝えると、ラジオ局からは「だったらオンエアしない。もうそういう音楽はオンエアしないんだ」と言った。 僕たちは「でも、さっき君はこの音楽が好きだって言ったじゃないか」と言うと、ラジオ局は「ああ、そうだね。でも、Harem Scaremのような音楽を演奏するバンドやそういった類のバンドの曲はかけないんだ」と言った。ラジオ局は「君たちはHarem Scaremとしては成功できないよ。我々は君たちの曲を流さないだろう。君たちは長髪のバンドだって、みんなにそう思われているから」と言った。
その時、僕たちは以前とは全く違うスタイルだったので、レーベルは「じゃあ、最初からやり直そう。君たちのレコードは気に入ってもらえているし、以前とは違うスタイルになったんだから、バンドの名前を変えればいいじゃないか」と言った。 僕たちは「わかった」と答えたよ。
それで、僕たちはバンド名を変えたんだ。すると、日本から「バンド名は変えないでくれ。日本では順調だし、新しいレコードも気に入っている。一体何をやっているんだ?」と連絡があった。 「日本にはHarem Scaremのファンがたくさんいる。バンド名を簡単に変えるようなことはしないでくれ」と。だから僕は「そうだね、君は正しい」と言った。
しかし、これらの出来事はすべて同時に起きたわけではなく、異なる時期に起こったことなんだ。 カナダでアルバムをリリースした後に、Warnerと日本が「バンド名を変える」というアイデアを否定的であることを知った。僕たちはカナダで契約していて、カナダでレコードをリリースし、その後、国際的なレコード会社がリリースを行うからね。Warnerや日本が「Rubber」としてアルバムをリリースすることにあまり乗り気ではないことは後から知ったんだ。
9:Harem Scaremっていう名前はどこからつけたの?
25:45~
これは初期のバックス・バニーの漫画の一つで、ただ単に"Harem Scarem"というバカげた名前をつけただけなんだ。当時は思春期で、それが面白いと思ったんだよ。何も思いつかなかったし、たぶんPeteが"Harem Scarem"を思いついたんだと思う。みんな"クールだ"と思って採用したんだ。でも日本人には発音がとても難しかったみたいで、たくさんの名前やアルバムタイトルを提案したけど、却下されたこともあった。例えば、「Karma Cleansing」というアルバムでは、このままの名前ではダメだと言われたんだ。だから日本では「Believe」になった。他の国では「Karma Cleansing」だけどね。こんな風に、何かをした後に、「それだとダメだ」と言われるのは、僕たちの人生における「あるある」だね。
10:90年代中頃のグランジが台頭した時期にリリースされた「Karma Cleansing」や「Big Bang Theory」は、どちらも90年代らしいサウンドになっているけど、これはレコード会社からそういうサウンドにするようにプレッシャーをかけられたの?それともバンド自身がそういったサウンドにしたかったの?
27:35~
どっちも正しいかな。公平に言うと、僕たちはグランジのヘビーな要素が本当に好きだったんだ。Alice in Chainsが大好きだし、素晴らしいと思った。ダークでヘビーな音楽が好きだから、Metallicaも大好きで、Queenも大好きだ。だから僕個人としては、QueenとMetallicaを組み合わせたようなサウンドが、3枚目のアルバムの「Voice of Reason」のサウンドになったんだ。でも、あのアルバムには覚えやすいキャッチーな曲はあまりないからね。だからHarem Scaremのファンが1枚目のアルバムから3枚目のアルバムを聴いたら、「どうしたんだ?」って思ったんじゃないかな。
「Big Bang Theory」や「Karma Cleansing」は、僕たちの考え方や曲の書き方、そしてすぐに飽きてしまう性格、スタイルの変化、そういったものすべてが反映された産物だと思うよ。
「この曲はラジオでオンエアされないだろう」、「レコード会社も応援してくれないだろう」と分かっているようなアルバムは作りたくなかった。だから、自分たちが好きで、かつチャンスがあるかもしれないようなものを書こうとしたんだ。アルバムを売らなければ、次のアルバムを作ることができないからね。
「好きなことをして、やりたいことをしなければならない」という思いは常にあるよ。だから、僕たちはその当時も、誇りに思えないようなアルバムをリリースしたことはないんだ。
といっても、今振り返ってみると80%くらいは「嫌い」かな。今の自分が聴くと「ひどい曲だ」と思うね。
「Big Bang Theory」の音作りはひどくて、ガレージバンドを使ってトイレにマイクを立てて録音したような音だ。振り返ってみると、自分自身への批判がたくさんあるよ。僕はいつもそうだし、Peteも同じだろう。そういった自己批判が僕たちを駆り立て、常にさらなる挑戦をし、より良いものになり、常に良い曲を書くようにさせてくれるんだ。
あの頃のアルバムは、曲そのものよりも、どのように音が作られているかの方が重要なんだ。
「『Voice of Reason』や『Higher』、『Weight to the World』、あるいはファースト・アルバムでは、どんな音作りをしたんだ?」と聞かれるんだよね。それらのアルバムの曲は全く異なるように聴こえるかもしれないけど、ライブで演奏し、良いセットリストを組むと、「ああ、どれもいいね!」と言われるんだ。なぜなら、ギターサウンドもコードも同じだからね。音作りの意図によって、それが何か違う雰囲気の曲に聴こえるんだよ。アコースティック・ギターでコードを弾くだけなら「Big Bang Theory」の曲と、ファースト・アルバムの「Slowly Slipping Away」を連続して演奏しても、「ああ、これはHarryとPeteらしいサウンドだ」と思うはずだよ。アルバムごとで曲は大きく変わっていなくて、違うのは音作りだけなんだ。
11:Mike Gionettが「Voice of Reason」の後に脱退したのはなぜ?
31:20~
彼はそもそもこの手の音楽が全く好きではなかったんだ。彼がバンドにいたのは、僕らがHarem Scaremを結成した時に、彼が地元のバンドで演奏していたからなんだ。Harem Scaremの音楽スタイルが好きだったのは、本当に僕とPeteとDarrenだったんだ。つまり、僕らは、前に言ったように、Queen、Def Leppard、Metallica、Van Halenを聴いて育った。それが僕らの嗜好だったんだ。Mikeはジャズが好きで、このスタイルの音楽はあまり好きではなかった。でも、僕らはみんなとても仲が良かったし、彼は素晴らしいベーシスト、ミュージシャンだったから、音楽のスタイルではなく、ミュージシャンとしてつながってたんだ。
「Voice of Reason」に取り組んでいた頃には、僕らは本当に方向性が大きく変わってしまっていて、Mikeは「僕はこういうのは好きじゃない。自分のやりたいことをやるよ」って感じだったんだ。それで僕らは「ああ、僕らがやっていることを気に入るメンバーをバンドに入れる頃合いだな」と思った。それでBarry Donaghyが加入したんだ。彼は本当に素晴らしくて、僕らのバンドに完璧にフィットした。僕らが好きなものを彼も好きだったし、彼は素晴らしいベーシストで、信じられないほど歌が上手かった。それはHarem Scaremのバッキングボーカルとして十分な役割を果たしてくれた。Mikeはいいやつで、いつも仲良くやっていたけど、僕らは分かっていた。音楽スタイルについて話すと、僕らはいつも正反対だったんだ。
12:「Mood Swings」をリリースした当時の反響について、詳しく教えてくれる?
33:26~
当時の反応は本当に良かったし、「Mood Swings」に人々は驚いたと思う。みんな、ファーストアルバムの別バージョンを予想してたと思うんだよね。だから、音楽的に別の方向へ進んだことに、皆が嬉しい驚きを感じたんだと思う。僕もバンドのレベルが一段上がったと思うし、作曲もより良くなったと思う。よりバンドらしいサウンドになった。最初のアルバムは、僕にとっては優れたソングライティングの寄せ集めだった。最初のアルバムでは、僕は他の人と共作していたからね。「Slowly Slipping Away」や「Distant Memory」は、ニューヨークでのソングライティング旅行で、あるソングライターと書いたんだ。その人物はバンドの一員ではないから僕らが何をしようとしているのか理解してなかった。共作者は他にもいて、Honeymoon SuiteのRay Coburnとかね。彼は友人だし、Harem ScaremやHoneymoon Suiteはよく似た音楽を作っていたから、僕らが何をしようとしているのか理解してくれていたと思う。でもファーストアルバムは、僕らがただ「最高の曲を収録してリリースしよう」ってやっただけだった。それで出来上がったのがあのアルバムだった。「Mood Swings」は、僕とPeteが数年間一緒に活動した後、初めて腰を据えて、僕が思うHarem Scaremらしいサウンドの曲を書くことが作品だった。
13:「Harem Scarem」はFrontiers Recordsのたくさんのバンドに影響を与えたアルバムだと思うんだけど。
35:25~
どうだろうね?Harem Scaremのサウンドを作ったのは、僕の歌い方とPeteのギタープレイによるところが大きいと思うけど、作曲という観点から言えば、ファースト・アルバムの頃から、そして「Mood Swings」の一部でも少し変わったけど、僕はDef Leppardも大好きで、「With a little love」や「Slowly Slipping Away」で僕が目指していたのは、Def Leppardのようなサウンドだった。でかいギター、ドラム、ボーカルのサウンドを持つロックと、メロディアスで歌える要素のミックスが、僕たちのスタイルなんだ。 僕はいつもメロディアスな曲を書いてきたし、ただかっこいいリフがあるだけでは不十分なんだ。 かっこいいリフに素晴らしいメロディーと効果的なコーラスが加わってこそ、良い曲になるのさ。 それが僕たちが常に目指してきたスタイルなんだ。
14:80年代のバンドの中には、90年代にスタイルを大きく変化し、時には自分自身を見失ってしまったバンドもあったけど、Harem Scaremはそうならなかったよね。
そう言ってもらえてうれしいよ。だって、良い曲がなければ、意味がないからね。 Elton JohnやMichael Jacksonがクールでなかった時代でも、僕はElton Johnが好きだと言ってたし、Michael Jacksonは素晴らしい歌手でヒット曲がたくさんあるよね。 僕は音作りと優れた作曲のファンなんだよ。 良いものは良いし、良くないものは良くない。 80年代後半から90年代初頭にかけて、多くのイケてないバンドが登場した。 彼らは、Poisonのような、あの時代のL.A.スタイルの音楽を模倣してた。 本質的なものがなく、派手なギターソロと、同じフレーズを何度も繰り返すような、安易なタイトルの曲ばかりだった。 それが本当に曲と言えるのか、それとも単なる派手な音作りと大げさなヘアスタイルなのか、分かんないけどね。
音楽ジャンルには必ず、リーダーとフォロワーがいるよね。 僕たち自身がリーダーなんだとは思ってないけど、子供の頃からElton Johnのようなアーティストを愛し、優れた作曲を追求してきた結果として、独自のスタイルを確立したんだと思う。 「Goodbye Yellow Brick Road」は史上最高の曲の一つだと思うよ。 そして、Queenのヘヴィな曲もライトな曲も、Boston、Def Leppardに至るまで、僕はハーモニーやボーカル、音作りに魅了されてきた。 だから、みんなは僕がその曲やスタイルが好きだと思うかもしれないけど、僕は音作りや、彼らがレコードを作り上げた方法が大好きなんだ。今では、誰もこんなレコードを作らなくなったよね。 Harem Scaremも例外ではなく、Frontiers Records以外のレーベルでは、こういったサウンドのレコードを作ることはないだろう。必要とされてないからね。 僕たちと同年代、あるいは少し上の世代のファンに向けて、レコードを作ってるのさ。 もちろん、若い世代でこのスタイルを愛するファンもいるけど、僕たちは今、自分のファン層が誰であるかを理解してる。僕は今56歳で、40年間も音楽活動を続けてきた。 そして今、誰のためにレコードを作っているのかを理解し、それに満足してるんだ。
15:ファーストアルバムを作った時の状況を教えてくれる?
41:25~
最初はバンドをやりたいなんて思っていなくて、まず曲を書き始めたんだ。たぶん「Honestry」は16歳か17歳の頃に書いたと思うけど、デモを作って出版社に「曲を書きたいんです!」と持ち込んだんだ。
すると彼らは、「それはいいけど、うちと契約しているベテランのソングライターと書いてみないか?」と言うので、それでStan Meissnerという、ヒット曲を書いたこともあるカナダのソングライターと曲を書いた。
さっき言ったとおり、ニューヨークに行ってMarc Riblerともたくさんの曲を書いた。つまり、ソングライターとして出版社の仕事をしてたんだ。そして、曲を集めると、周りの人たちが「レコード会社に送るべきだ」とか「バンドを組むべきだ」とか言い始めたんだ。そうこうするうちに、デモテープだけでレコード契約を結んだ。
Peteと一緒にやるようになった時には、すでに音楽の方向性は固まっていたけど、Harem Scaremはまだどんなバンドにしていくのかを考え始めたばかりだった。それがファーストアルバムを作っていた頃の話で、それから最初のシングル「Slowly Slipping Away」をリリースした。グランジはまだ盛り上がってなかったけど、その数ヶ月後にはグランジの波がやってきた。僕たちがWarnerや当時Geffen Recordsとミーティングをしたとき、彼らはファーストアルバムを気に入ってくれたし、「Slowly Slipping Away」が大ヒットすると考えていたけど、グランジのムーブメントが到来するやいなや、彼らは全員「このレコードはリリースできない、うまくいかない」と言ったんだ。
もしファーストアルバムを1年早くリリースしていたら、Def Leppardくらい成功していたかもしれないね。何年もそのことを残念に思ってたけど、その後、状況は良くなった。僕たちはレコードを売り続け、レコードを作り続けていたからだ。同じような音楽をやっていた周りのバンドは、レコード契約すらなくなっていた。グランジが盛り上がって、僕たちがやっていた音楽のジャンルを一掃したことに非常に失望したけど、同時に、僕たちは今でもレコードを作れていることに非常に感謝している。Warnerには素晴らしいレコーディング予算があり、すべてがファーストクラスだった。一方、他のすべての友人はレコード契約を失っていた。どんなことでもそうだけど、悪いことは時間が解決してくれる。後で違う感じ方をするようになる。だから僕たちにとっては、あの頃のすべてがただ懐かしいね。といっても、何年も『ああ、なんてひどいんだ!』という感じだった。なんせ、ファーストアルバムをリリースした直後だったからね。期待が高すぎたから、どんな結果になったとしても失望せざるを得なかったんだ。信じられないかもしれないが、それは商業的に最も成功したアルバムの一つでもあるんだよ。
16:ファーストアルバムにはテレビシリーズに採用された曲があるよね?それがアルバムの成功に貢献したと思う?
45:24~
そうだね、カナダを拠点とした『Degrassi Junior High』というテレビ番組があって、たまたま僕たちの音楽関係の弁護士が、そのテレビ番組の弁護士でもあったんだ。だから、僕たちがレコードを完成させて弁護士にコピーを送ったとき、彼は僕たちの弁護士として、そのテレビ番組の音楽部門にレコードを渡した。すると、テレビ番組側は『この音楽は素晴らしい、番組で使いたい』と言ってきたんだ。それだけじゃない、11曲中10曲を映画で使いたいと言ってきたんだ。だから今でも、世界中を旅すると、色んな人から『初めて君たちのことを知ったのは、『Degrassi Junior High』を通してだよ』と言ってくれる。面白いよね。
17: あなたにとって最高のアルバムを3~4枚教えてくれる?
46:46~
Queenの『オペラ座の夜』には強く影響を受けたね。音作り、作曲、FreddieもBrian Mayもすべてが大好きだ。天才的で、非常に先駆的だったから。Bostonのファーストアルバム「幻想飛行」も大好きだ。Def Leppardの『Hysteria』、『Pyromania』も素晴らしい。あとは、僕は常にGlenn Hugesの大ファンなんだ。シンガーとして彼のアルバムも選びたいけど、そうしたら5枚になっちゃうね。
ここ数年の僕たちのレコードでは、もう一人の素晴らしいシンガーとして、TNTのTony Harnellがいる。彼は僕たちのいくつかのレコードでバックボーカルを歌ってくれたんだ。『United』というアルバムでは、Jeff Scott Sotoもバックボーカルを歌ってくれたね。