飽き性を受け入れる
外は雨が降っている。そんな雨音を聞きながら、今日も日記を書いていく。最近は、どんなお店にしようかとずっと考えている。考えても答えが出るわけではないのだが、考えるだけで前に進んでる気にでもなっているのだろうか。考えるよりも先に、まずは今できる日記を書いたり、購入した古民家の清掃をしていこう。きっと今やるべきことがたくさんある。考えることに時間を費やしすぎて、やれることの時間がなくなっては本末転倒だ。
焦らずに、毎日少しずつ進める。この言葉をずっと自分に言い聞かせている。僕は飽き性だからこそ、焦らずコツコツが大切なのだ。そういえば、以前に「三流のすすめ」という本を読んだ。一つの専門家は一流、三つの専門家であれば三流と、「いろいろなことをする人」という意味での三流をすすめている本だった。僕自身は飽き性で、どうしても一つのことだけを継続することができない。こうして毎日日記を書いているが、いつしか日記が飽きて、絵を描いたり、動画を撮影をしたりする。そしてまた、日記に戻ってくる。そんなサイクルを繰り返す。以前はそんな飽き性で、一つのことを続けられない自分に嫌気が指していたのだが、最近はそんな自分もいいなと思えるようになった。今やっていること全てを細く長く続けることで、僕は三流、四流と、多くのことを楽しみながら続ける専門家になろうと思う。技量は置いといて、続けていれば必ず上達すると信じるだけでいい。文章を書くことだって誰からも教わってない。かれこれ2年以上書き続けているだけだ。上達しているかも分からない。でもそれでいいのだ。楽しみながら続けることが何よりも大事なのである。周りからの評価も関係ない。三流の人は誰も評価してくれないし、自分からも他人の評価を求めないと本に記載してあった。周りからは中途半端に続けているように見えるため、良い評価を得られることに期待しないことが大切なのだ。評価を一切無視して、楽しみながら続けることだけに集中する。この日記だって誰からも評価をもらうことはない。それが最高に心地良いのだ。評価がないから止まることがない。外部の影響を受けることがないため、後は自分の体調と気持ちの持ちようである。そこは早く寝たり、毎日無理のない量を書くと決めることで、心のバランスを図っていく。決して無理することなく、自分で自分を否定することなく、書き終えたら「今日もお疲れ様。頑張ったね」と自分を労ってあげればいい。それだけでまた明日も頑張ろうと思えるのだ。
飽き性の上達には時間がかかる。一流が1年で得られるものは、飽き性は10年、20年とかかるかもしれない。一点集中で前には進めないため、気長に継続し、育てていくしかないのだ。それでも最大のメリットは「楽しいこと」である。常に今やりたことをやっているため、無理してやっているという感覚がない。今僕はこれがやりたいんだと胸を張って言える。そして、やりたいことの引き出しがいくつもあることに安心感もある。僕にはこれしかないと不安になることがないのだ。能力は大したことないのに、10年、20年と続けていれば、きっと面白いことになるぞと思っている。そんな希望を抱きながら、楽しみ続ける。それが生きる意味にもなる。未来に希望が持てることで、生きたいと思える。身体からエネルギーが湧き出て、今日も頑張ろうという気持ちになる。だから今日も朝7時から日記を書くことができたというわけだ。
日記を書くことは心の安定であり、自分を知るきっかけにもなる。自分が飽き性な人間だと気づくことで、自分との付き合い方が分かってくる。自分を卑下する必要などなくて、今の自分の良さがきっとある。そこを見つけ伸ばしていく。そして、他者の良さも見つけられる人でありたい。こんな自分が嫌いと言ってる人にも、でもそれってこんな素敵なところがあるじゃんと、相手の裏側を見れる人になりたい。きっと自分の嫌な部分の反対側は、明るい色をしていて、そんなお花畑を探せる人になりたい。こっちにこんなお花畑があったよ。ここで寝転んでのんびりしようよと、楽しい場所へ皆を引き連れたい。そのためにも、まずは自分を卑下することなく、肯定し続けていこう。ありのままを肯定し、ありのままを磨いていく。自分という人間を、まだまだパワーアップさせたい。そう思ってるんだから自分を磨く。ゴミも拾い、素敵な言動ができる人になれるよう努力する。これも時間がかかることだけど、一生修行のつもりで歩んでいこう。この日記も自分磨き。そんな意識高く取り組んでいるわけではないが、今日だけはそんな気持ちでいる。
雨は降っても、鳥の綺麗な歌声は聞こえる。鳥が幸せなら、雨も悪くない。雨音のおかげで、タイピングも心なしか早くなった。心も浄化され、落ち着いた気持ちで書けた。全てに感謝。今日も一日頑張ろう。ではまた。
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