わからせる
■久しぶりにパソコンで文章を書く。遂に妻が里帰りしてしまい、その後の対応に追われていた関係で数日noteの更新をサボっていたので、落ち着いて何かを書くというのがそもそも数日ぶりである。というより、こんなにも連続して一人の時間を過ごすこと自体が久しぶりというか、もしかしたらほとんど生まれて初めてかもしれない。
今、こうしてちっぽけな自分と向き合ってみて色々と思うことがある。とりあえず1年間の育休は取得したが、この際もう今の会社には戻らなくていいな、と思っている。というか、もはや会社勤めというものに戻らなくていい。何らか別の仕方で、僕は僕の生き方で、生きていきたいと思う。普通の生き方というものを、してみようと思えばそれっぽいことができるということはわかったが、結局今の会社でも、夜勤業務請負という形で入ったのに一人だけ昼間に働いているし、その関係で冷蔵庫つきのロッカールーム独り占めだし、そして同じくその関係で僕はどれだけ働こうが評価の対象外なのだから、評価が高いとか低いとかではなくて、そもそもがゲームに参加していないのだ。だからこその育休一年取得マンなので、「やりたい放題だなこいつは」と思っている人がいても不思議ではない。そも勤続2年も経ってないような会社で育休1年取得するのは、もちろん権利なので誰でも主張すればできるが、基本的には積み上げたものぶっ壊して身につけたもの取っ払う全力少年プレイであるのは間違いない。ぶっちゃけ自分だけでものを考えていたらこのタイミングで育休一年は取らなかっただろう、せいぜい一、二ヶ月ぐらいだ。妻が「一年とってほしい」と言い出した時は「お前はマジで言ってるのか?」と思ったが、まぁだからこの人と一緒に生きているんだろうな俺は、と思ったのである。
豊かさに根拠はない。幸せであることに根拠はなく、またその必要もない。根拠のある幸せは脅かされ得る。しかし根拠のない幸福は、自分がそれを疑いさえしなければ、脅かされることは決してない。持たざる者が幸いなのはこの故である。彼らは神を見るだろう。僕は僕で、普通の生き方と狂った生き方のちょうど境界線、狂界線で生きている。生きていく。混沌と秩序を分け隔てる扉を開け放つことができるのは僕のような人間だけだ。そして僕は僕で、自分の独在性、一人ぼっちであることを、いい加減認めるべきなのだと思う。今回の、妻が里帰りしている間の一人暮らしは、それを自分に分からせる為の時間になるだろうと感じている。