草むしりはピンセットでせよ!
※天狼院書店様のメディアグランプリに過去掲載された記事です。
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http://tenro-in.com/mediagp/59100
きめ細やかで、きれいに刈り揃えられた芝生の上。
「では、このピンセットで、芝生の隙間の雑草を取り除いていただきます」
係の人の言葉に、私たちは呆然と顔を見合わせた。
皇居勤労奉仕団をご存じだろうか。旧江戸城、現在は天皇陛下とそのご家族がお住まいの皇居、その広大な庭を掃除するための有志団体だ。夫は今回が既に三回目の参加で、私は一回目。皇居は日本最強のパワースポット、そのため経営者や企業家、敏腕サラリーマンにも奉仕団は人気なのだそうだ。皇居の庭の綺麗な植栽を見ながら草むしりや掃除ができて、更には奉仕期間中、天皇陛下か皇族のどなたかから「お会釈を賜る」ことができる。我が家の草むしりは好きな方だったし、天皇陛下に会えるというミーハー心を抑えられず、仕事を調節して私も参加することにしたのだ。
四日間の奉仕活動では、遅刻早退欠勤厳禁。身分証は毎日掲示。奉仕中は写真撮影禁止。皇居内は四列の隊列になって整然と進む。その他いろいろな決まり事があり、それらを守りながら雑草を抜いたり、落ち葉を掃き集めたり、タイルを磨いたりする。その合間に新年祝賀をする広場を横切ったり、徳川家の何代目かの大きな盆栽を見たり、天皇陛下ご自身で手入れされている田んぼを見て、その田んぼでとれたお米の脱穀を手作業でしたりと、見ごたえのある順路や活動をこなしていくので、半分奉仕、半分観光気分だ。どこも静かで整っていて、日本の王の住居にふさわしいと思えたし、パワースポットと言うのも納得だった。そうした活動の中、その日既にいくつか作業を終えて案内されたのは、Y字路の間の小さな芝生のスペースだ。
「きれいな芝生だね。ここで休憩するのかな?」
我が家の草むしり担当の私からすると、ほれぼれするほど美しい芝生だった。短く刈り込まれて、芝の葉がぎっしり密集していて、目立つ雑草がなく、踏み心地は柔らかだ。この上で寝転んだり、子供のようにごろごろ転がったりしたら、さぞかし気持ちいいに違いない。芝生でのんびりタイムに思いを馳せていた時に、係の人は私たちにピンセットを配った。
「芝の間に小さな雑草が生えていますから、それをピンセットでとってください」
耳を疑った。こんなにきれいな芝生に、まだ何か生えているの? ピンセットを片手に亀のようにへばりついてよくよく見てみると、確かに芝と芝のほんの小さな隙間に、カタバミの芽が開きかかっているのが見つかった。刈り込まれた芝よりもずっと小さく、芝を押し広げないと見えないほどの、針の先ほどの芽だった。
「こんな小さな芽も取るの?」
思わず声に出してしまった。我が家の芝は、こんな小さな芽など構っていられない。あちらから出たカタバミ、こちらから出たネコジャラシ、その他諸々をえいやそいやと引っこ抜き、抜いてはまた生え、の繰り返しだ。それに比べたら、この生えかけのカタバミの何とも弱々しいことか。こんなのすぐに取り切れる。一時間ほどだというから、人の三倍は退治してやるぞ。私ははりきってピンセットでカタバミ退治を始めた。
繊細なカタバミの芽は、目を凝らせば凝らすほど芝生の隙間にたくさん埋もれているのを発見した。私は一時間の間に、三十センチ四方ほども取りきることができなかった。取っても取っても減ったように見えないカタバミに、草むしり好きの気持ちはすっかりしぼんでしまった。作業時間終了後、両手に半分ほどしか取れなかったカタバミをゴミ袋に入れると、係の人がにこりと笑った。
「たくさん取ってくださいましたね」
「いいえ、まだまだです。取り切れなくて……」
「取り切れなかった分は、次の奉仕団の方にお願いするとしましょう」
その言葉に、私はハッとしてもう一度芝生を見下ろした。カタバミの芽はまだまだたくさんある。放っておけば、あっという間にこんもりと茂り、黄色い小さな花を咲かせるだろう。我が家のように仕事の片手間に草むしりをした程度では、草が成長する速度の方が早い時期もある。今日私たち、二団合同で五十名ほどだが、一時間黙々と作業してもカタバミの芽を取り切ることができなかった。この芝生が、ずっと「カタバミの芽が開きかけている」程度で維持されるには、どれほどの人が、どれほどの時間を費やしているのか。
「芝生は、いつも奉仕団の人が作業するんですか?」
「そうですね。みなさんのおかげできれいになるんですよ」
私は改めて周囲を見回してみた。今手入れしたばかりの芝生。少し向こうに見える、雑草が飛び出していないツツジの植え込み。枝ぶりまできれいに整えられた松。きれいに整った樹木と、その落ち葉が一つも落ちていない道。すべて、奉仕団や専属の植栽業者によって手入れされている。さきほどまでも、きれいだな、整っているな、と感じていたが、それらにかかる手間を想像してみて、その膨大な手間に身震いする。単に天皇陛下のお住まいだからパワースポット、というわけではなかったのだ。たくさんの人が、自分の手でこの場をきれいに清めている。それがずっと続き、人々の想いが積み重なることで、パワースポットとなっていたのだ。これはきっと神社仏閣にも通じることなのだろう。天皇陛下のお会釈も感激したけれど、この発見はそれよりもずっと大きな感動だった。
私の家も、ピンセットでカタバミをとるように丁寧に細やかに草むしりや掃除をすれば、パワースポットのようなエネルギー溢れる場所になるに違いない。でもピンセットで雑草とりは無理だなあ。せめて掃除道具を新調しよう、と思った秋の日だった。
≪終わり≫