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国譲り

国譲り(くにゆずり)は、日本神話における重要なエピソードで、高天原(天界)の神々が出雲のオオクニヌシ(大国主)から葦原中国(地上の世界)の支配権を譲り受ける過程を指します。

「古事記」や「日本書紀」に記されており、出雲大社の起源や日本の統一国家形成の象徴として解釈されています。

この出来事は、神々の対立と交渉、そして和解を通じて進む、複雑でドラマチックな物語です。

### 背景:オオクニヌシの治世
オオクニヌシは、スサノオの子孫(または子)とされ、葦原中国を豊かに治める「国造りの神」として知られていました。

彼は多くの妻を持ち、子孫を増やし、農業や医療、縁結びなど地上の秩序を築いたとされます。
しかし、高天原を統治するアマテラス(天照大御神)は、地上も自分の子孫に治めさせたいと考え、オオクニヌシの支配に異議を唱えます。
この対立が国譲りの発端です。

### 第一の使者:アメノホヒ
アマテラスはまず、アメノホヒ(天穂日命)を地上に派遣します。
彼にオオクニヌシを説得させ、支配権を譲るよう命じました。
しかし、アメノホヒは出雲に着くと、オオクニヌシに取り入ってしまい、3年経っても任務を果たさず帰ってきませんでした。
この裏切りにより、最初の交渉は失敗に終わります。

### 第二の使者:アメノワカヒコ
次にアマテラスが送ったのは、アメノワカヒコ(天若日子)です。
彼もまた、オオクニヌシの娘婿となり、地上に留まってしまいます。
8年経っても戻らないため、高天原は不審に思い、アメノワカヒコを尋問するためにキジ(雉の神)を送ります。
すると、アメノワカヒコはキジを矢で射殺してしまいます。
この矢が天に届き、アメノワカヒコ自身がその跳ね返りで死ぬという悲劇が起こりました。
この失敗で、アマテラスは武力による解決を考えるようになります。

### 武力行使:タケミカヅチの登場
アマテラスと高天原の神々は、武神タケミカヅチ(建御雷神)とアメノトリフネ(天鳥船命)を派遣します。

タケミカヅチは力と威厳を備えた神で、出雲の稲佐の浜に降り立ち、オオクニヌシに国を譲るよう要求します。

オオクニヌシは即答せず、息子のコトシロヌシ(事代主)に意見を求めます。コトシロヌシは抵抗せず、「国を譲るべき」と進言し、自ら隠れてしまいます。

しかし、もう一人の息子、タケミナカタ(建御名方神)は譲ることに反対し、タケミカヅチに力比べを挑みます。

タケミカヅチは圧倒的な力でタケミナカタを倒し、彼は敗れて信濃(現在の長野県)まで逃げ、そこで諏訪大社の神として祀られることになります。

### 交渉と条件
タケミナカタの敗北を見て、オオクニヌシは抵抗を諦めますが、完全に譲る前に条件を出します。
それは、「自分を祀る立派な宮殿を建てること」と「幽冥事(目に見えない世界の事柄)を司る役割を与えられること」です。
高天原側はこれを受け入れ、オオクニヌシのために巨大な宮殿、すなわち出雲大社が作られることになりました。
これにより、オオクニヌシは地上の支配を譲り、縁結びや霊的な領域を司る神としての地位を得ます。

### その後:天孫降臨へ
国譲りが完了した後、アマテラスは孫のニニギ(邇邇芸命)を地上に降臨させます。
これが「天孫降臨」で、ニニギの子孫が初代天皇・神武天皇となり、日本の皇室の基盤が築かれました。
一方、オオクニヌシは出雲で信仰され続け、出雲大社の主祭神として今も崇敬されています。

### 解釈と歴史的背景
国譲りは単なる神話ではなく、古代日本の政治的・文化的統合を象徴していると考えられています。
出雲地方は独自の勢力を持ち、ヤマト王権(大和政権)と対立していた可能性があります。
この神話は、ヤマトが武力と交渉を通じて出雲を支配下に置き、統一国家を形成する過程を物語化したものとも解釈されます。

タケミナカタの逃亡やオオクニヌシの条件付き譲渡は、完全な征服ではなく、和解と共存の要素を含んでいることを示しています。

### 文化的影響
国譲りは、出雲とヤマトの神々の関係を表すだけでなく、日本人の和を重んじる精神や、自然との調和を反映しています。
出雲大社の「神在月」や、縁結びの信仰は、このエピソードに由来する伝統として現代に生きています。

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