手榴弾と銃剣
中国の慣用表現?
「手榴弾と銃剣」。
この言葉は、中共の文献を読んでいると散見される。
例えば、以下のような使用例がある。
このほかに、映画「百団大戦」(2015年)にも同じ表現が使われている。
岡崎大隊との戦闘にて、地下トンネルで敵に接近したのち「手榴弾と銃剣」で戦う作戦を劉伯承が提案している(92分ごろ)。
おそらく、中国では、「手榴弾と銃剣」は慣用表現になっているのだろう。
そして、中共軍の近接戦闘は文字通り「手榴弾と銃剣」で戦われたものと思われる。
手榴弾 VS 銃剣
ここで、注目したいのは単語の順番である。
手榴弾が先に来ており、銃剣がそれに続く。
おそらく、手榴弾のほうが頻繁に使用されていたのではないだろうか。
そして、銃剣は「次点」であったものと思われる。
日中両軍の史料を読んでいても、手榴弾戦闘の記述は頻出するのに対し、銃剣の記述は少ないという印象がある。
このように銃剣が「次点」となった理由の1つとして、銃剣が不足していたことが考えられる。
これに加え、以下の理由が考えられる。
・手榴弾が銃剣よりも強力な兵器であった可能性
・敵に相当接近しないと使用できない銃剣より、
若干の距離があっても使用できる手榴弾のほうが心理的に使用しやすい
・手榴弾戦で戦闘の勝敗をつけてから突撃し、
「残敵の掃討」といったレベルでのみ銃剣を使用していた可能性
銃剣の不足
手榴弾は根拠地で生産できたが、銃剣は生産が困難であったようである。
手榴弾が根拠地で大量に生産されていたことは、各種資料から明らかである。
これに対し、銃剣の生産を示すような史料は、十分に見つけることが出来なかった。
中文でWEB検索すると、「銃剣の製造には高度な技術が必要だったため、根拠地では十分に生産できなった」という趣旨の記述が散見される。
そして、銃剣は消耗品であり、戦闘で折れたりするようである。
このため、小銃と銃剣を鹵獲しても、銃剣は戦闘で消耗してしまい、小銃のみが残るパターンもあったのではないだろうか。
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