フリーライターはビジネス書を読まない(68)
デザインのオファーがきた
ロフトベッドの下につくった部屋にマックを「設置」し終えた柳本は、さっそく大阪でデザイナーの求人をしている制作会社を探し始めた。
何社か売り込みのメールも出したようだ。
「なかなかいい返事がもらえなくて」
夕飯の調理をしながらこぼしていた。
ある日、私に仕事をオファーする電話がかかってきた。「アントレ」誌の広告を見たという。
「自動販売機に掲示する販促ポスターのデザインをお願いしたいのですが、御社でやってもらえますか?」
私はデザイナーではない。ふだんなら断っている。が、ちょうど仕事を探している人が、目の前にいる。しかも芸短大で学んできたプロだ。
「聡美さん、販促ポスターのデザインだけど、やってみる?」
柳本は、二つ返事で「やります」といった。
さっそく翌日、柳本を伴って、先方の会社を訪ねた。
新大阪から歩いて10分の、古ぼけたビルだった。外観とは裏腹に、内装は今風のこじゃれたオフィスになっていた。
応接室に通され、自販機で販売する商品の説明を受ける。料金の交渉で柳本と先方との間で「もうちょっと安くなりませんか」「これくらいが相場ですよ」というやり取りがあったものの、柳本が5日間の納期で請けることになった。
柳本は、帰宅したらさっそくマックを立ち上げて、作業に取り掛かった。ベッド下の仕切りを下ろしているから、どんな作業をやっているのか私には見えない。
3日経った。
柳本は相変わらずマックで作業を続けている。デザインの「デ」の字も分からない私には、そんなに時間がかかる大変な作業には見えない。だが、本人なりに気合が入っているのか、トイレと食事以外はほぼ籠りきりだった。
「仕事は進んでる?」
私にオファーが来て私が先方へ連れて行った手前、道義的な責任がある。きちんと納期までに納めてもらわないと、私の信用にかかわるのだ。
「難航してます。大阪のレベルって、やっぱり高いですね」
先方から示された要望を、すべて満たすのが難しいという。どう難しいのか、私には分からないのだ。
その晩、私が就寝する頃になっても、柳本はマックのモニターを睨んでいた。デザイン画らしきものがチラッと見えたが、あきらかに完成とはほど遠いことぐらいは分かった。納期が近づいているから、焦りが見え始めていた。
少しウトウトしかけたとき、下から揺り起こされた。
「ちょっといいですか」
柳本だ。
「どうしたの?」
「やっちゃいました」
「何を?」
こっちは寝ぼけているし、柳本の話は要領を得ない。なにが起こったのだ?
「救急車を呼んでください」
は? 救急車?
「どうした?」
眠気が吹っ飛んで、ベッドの下へ降りる。と、そのとき柳本の呼吸が荒いことに気が付いた。
「飲み過ぎました」
飲みすぎ? 酒か?
それにしては、酒の匂いがしない。
「何を飲み過ぎたの?」
「クスリです」
柳本がその場にペタンと座り込んだ。息はますます荒くなっていく。
これは尋常ではない。ひとまず救急車を手配した。
「救急車、呼んだよ。何を飲んだって?」
「※%$&##※」
「あ?」
聞いたことのない単語だ。
「鬱の薬です」
鬱だって? はじめて聞いたぞ。
「どれくらい飲んだ?」
万が一、このまま意識を失ったときのため、救急隊へ伝えるべき情報として聞いておかないといけない。
「1週間分」
「いっぺんに飲んだの?」
「お酒で……」
柳本の目が虚ろになってきた。
「保険証は?」
「そこ……」
バッグを指さす。すでに言葉をまともに話せなくなっているようだ。
バッグの横に缶チューハイが1本あった。これで1週間分の薬を流し込んだのか。
玄関のチャイムが鳴る。
救急隊だった。状況を手短に伝えて、私も身支度を整える。付き添わないわけにはいかない。
ストレッチャーに乗せられる頃には、柳本はグッタリしていた。
つけっぱなしになっているマックのモニターには、空白の画面が空しく映っていた。
(つづく)
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