フリーライターはビジネス書を読まない(75/終)
そして日常が戻った
12月30日の夜。
うちの近所には小さな居酒屋が数軒ある。そのうちの1軒に空席をみつけて、柳本と2人で入った。
最初の1杯目は、とりあえずビールで乾杯。この習慣(?)は宮城でも同じらしい。
柳本はしきりに「飲め飲め」と勧めてくる。計略に乗せられてはいけない。朝5時に起きなければいけないのだ。
料理の注文を柳本に任せたら、塩辛いものばかりテ-ブルに並んだ。たまらずビールをおかわりしたくなる。が、チューハイに切り替えた。焼酎なら酔いが比較的早く醒めることと、二日酔いしないことを経験で知っている。
「平藤さんは、なんであたしを大阪へ呼んだんですか」
柳本がいう。
まさか脳内で記憶が書き換えられて、本気で「呼ばれた」と思っているのかもしれない。
「2カ月前、京都に住むための部屋探しをするあいだ、うちに2~3日泊まるということじゃなかったっけ?」
努めて冷静に返す。
「あたし、がっかりしたんですよ」
「何が?」
「大阪のライターだから、編集者が原稿を取りに来るもんだと思ってたら、自分でもっていくんですね」
「俺をどんな大先生と思ってたの? ライターの原稿をわざわざ取りに来る編集者なんていないでしょ」
「あたしが思ってたのは……」
「勝手に想像していたことと現実が違ったのは俺の責任じゃないよ。そんなホラを吹いた覚えもない」
「んー……」
この期に及んで、なんで突っかかってくるのだろう? 柳本の真意をはかりかねた。目的が叶わなかったとはいえ、大阪へ来たのも何かの縁だと考えれば、気持ちよく別れようとは思わないのかな。
険悪な空気のまま店を出た。
柳本が期待したほど、私は酔っていなかったようだ。帰ると柳本が「もう少し飲みますか?」と、冷蔵庫にストックしてある缶ビールを出してきた。
「こう見えても酔ってるよ」
そういって、私はベッドにもぐりこんだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「起きてますか?」
翌朝、ベッドの下から柳本が声をかけてきた。時計は午前4時30分を指している。私を寝かしたままにしておくことは諦めたようだ。
「夫からメールで、あと20分で着くそうです」
そうか、では起きて準備しよう。柳本を送りだしたら、どうせ今日はバイトだ。大晦日のスーパーは忙しい。
酔いはすっかり醒めていた。
柳本はすでに荷物をまとめていた。
スーツケース1個とスポーツバッグ2個。それと大阪へ来てから買った、座卓代わりの小さな台。そしてマック一式。3人で2往復ほどすれば運び出せるだろう。
柳本の旦那が着いた。
お互いに挨拶を交わそうとしたら、柳本が「運びましょう」と間に割って入ってきた。
旦那は私に手土産を渡すのがやっとで、柳本から「これとこれ、運んで」と荷物を押し付けられていた。柳本も旦那の後を追って出て行った。
まだマックが残っているから、戻ってくるだろう。
万が一落としてしまったら大変なので、本体は旦那に運んでもらおう。私はキーボードとスキャナを車まで運んだ。
そうやって3人で部屋と車を往復しているうちに偶然、部屋で私と旦那だけになった。
やっと挨拶をして、二言三言言葉を交わしていると、柳本が戻ってきた。
「2人でなに話してたの?」
と旦那に詰め寄る。
「挨拶してたんだよ」
「なに話してました?」
今度は私に詰め寄る。
「たいしたことは話してないよ」
その目は『余計なこといってねぇだろうな』と語っていた。
「全部積みました。じゃ、行こう」
前半は私に、後半は旦那にいう。
「え?」
いま着いたとこだよといいたげな旦那の尻を叩かんばかり。柳本は一刻も早く、私から旦那を遠ざけたいようだ。
「じゃ、行きます」
本当に旦那の背中を押しながら、柳本は出て行った。
駐車場まで一緒に出た。
「どうも、お世話になりました」
挨拶したのは旦那だけだった。柳本に引っ張り込まれるように運転席におさまると、まだ暗い早朝の町へ走り去った。
部屋に戻ると、柳本が使っていた毛布と寝袋がきちんと畳んであり、その上に部屋の鍵が置かれていた。ドラマでよくあるような、お礼の言葉をしたためた置手紙はなかった。じつに呆気ない別れだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
それから私はバイト先へ出勤し、多忙を極める戦場みたいなスーパーで夕方まで働いて帰宅した。
誰もいない部屋に帰ってきて少しは感傷的になるかと思っていたけれど、実際には解放感しかなかった。
自分だけの空間が戻ってきた。
柳本が「これ、もう要らない」といって残していったメモ帳やらレターケース、貸していたタオルなどを処分し、柳本の痕跡を可能なかぎり消すことに努めた。
最後に、空気を入れ替えるため窓を開ける。
平成15年の大晦日が暮れようとしていた。
(完)