フリーライターはビジネス書を読まない(49)
1回目のインタビュー
北原裕美からの原稿依頼を受けたとはいえ、正式な契約は出版社を入れるつもりだったから、まだ書面を交わしていない。そんな状態で書籍の執筆を前提にしたインタビューを始めるのは、いささかリスクが高いと思った。
だが、あるていど原稿を進めておいたら、時間の節約にもなる。そう考えて、インタビューを先にやってしまうことにした。
インタビューの場所は、北原の希望で、またも例の文化住宅だった。
玄関のドアをノックする。返事がない。日時は間違えていないはずだ。
ドアノブを回してみると、ドアが開いた。そこに、三毛猫が座っていた。このまえ訪れたとき、私に対してまったく警戒心を見せなかった子だ。
三毛猫は私と目が合うと、くるりと向きを変えて階段を駆け上がっていった。
入れ替わるように、北原が降りてきた。このまえと同じ赤いタンクトップに、今日はショートパンツ姿だった。
「すみません、お手洗いだったもので」
「あっ、それは失礼しました」
「どうぞ、お入りになってください」
北原の後について階段を上る。猫の匂いが、ぷんと鼻をついた。
部屋には相変わらず収納家具の類はなく、先週より本が増えている印象だ。
私がいつも使っている取材用のカバンから、筆記具とテープレコーダーを出してインタビューの準備をしているあいだ、北原は台所に立っている。
「コーヒーとお茶、どっちがいいですか」
今日は選択肢があるのか。
「では、コーヒーをお願いします」
インスタントコーヒーの容器が見えたので、お湯で溶かすだけで簡単だと思って、コーヒーを所望したのだ。
コーヒーが運ばれてきた。が、ミルクも砂糖もない。ブラックはいささか苦手なのだ。選択を誤ったと後悔しても、もう遅い。訪問先でミルクと砂糖をくれとはいいづらいし、もし用意していなかったら、よけいな気を遣わせてしまう。ブラックでいただくことにしよう。
「では、さっそくですが……」
北原が対面して座るのを確認してから、インタビューをスタートした。
「どこからお話しすればいいですか」
「自伝ですからなるべく幼少期から時系列で話してもらうのがベターですが、あとから整理しますから、あんまりこだわらなくてもいいです」
北原は記憶をたどるように、ぽつりぽつりと話し始めた。が、話を進めるうちに記憶が鮮明になってきたようだ。
小学生の頃は父親の仕事の都合で引っ越しが多く、毎年のように転校した。中学生になってから東北にいる親せき宅に預けられて、高校卒業まで過ごした。高校を出た後は大学へは進まず、独りで大阪へ戻ってきて下着メーカーに就職した。
その頃、父親は事業に失敗して失踪しており、いまだに行方が知れないという。母親は騙されて詐欺事件の片棒を担いでしまい、懲役刑を受けて服役していたらしい。
北原には2歳違いの妹がいて、別の親戚に預けられていたのを引き取って、2人で大阪で暮らし始めたことなどを、約2時間ノンストップでしゃべった。
さすがに聞いているこっちがしんどいので、いったん休憩を挟む。
北原が台所に立った。今度はお茶にしてもらった。
いつものインタビューだと、初回で2時間も話が聞けたら、つづきは次回以降にしましょうという流れになる。話し続けるほうも疲れてくるからだ。
ところが、
「平藤さん、時間は大丈夫ですか」
と、北原がいい出す。
「ええ、大丈夫ですよ」と答えてしまったのが運の尽き。
「憶えてることと思い出したこと、一気にお話ししてしまっていいですか」
早く帰りたいともいえず、あと2時間ぐらいかなと勝手に見積もって、
「そうしましょう」といってしまった。
結局、そのあと4時間半にわたって北原の半生を聞く羽目になった。用意してきたテープを使い果たしたところで、北原の話も区切りがついた。
文字に起こしてみるまでもなく、十分に本1冊が書ける内容だった。話を聞くのはひじょうに疲れたが、ストーリーとしてはたいへん興味深い。30歳の女性が歩んできた人生にしては、たしかに波乱に富んでいた。
「内容はひとまず、これで十分だと思います。出版社に声をかけて、自費出版の案件として頼んでおきます。契約書を交わしますから、同席できる日を教えてください」
「じゃぁ、来週の同じ日でお願いします。どこへ行ったらいいですか」
「出版社と打ち合わせをしてから、追ってお知らせします」
北原家を出たら、すっかり日が暮れていた。
帰ったら、自費出版を専門に扱っている出版社に連絡して、この仕事を引き受けてもらおう。そして1週間後に契約書を交わして、原稿は3週間後ぐらいに納品かな。
おおまかなスケジュールを思い描きながら、JR八尾駅の改札を入って天王寺方面行きのホームへ向かう。
そういえばあの三毛猫は、インタビューをやっているあいだじゅう、一度も姿を見せなかった。
(つづく)
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