私の考察 「対話」とは何か???
✏️ネット論客としてX(旧Twitter)で勢力的に発信している青識亜論氏の日頃の口癖“対話〟とははたして一体なんであろうか?
✏️先ずはお約束の辞書を引き、次いでコレも王道の関連サイトを確認する。🔍
✏️そして「対話」と「会話」、「おしゃべり」や「議論」・「討論」のそれぞれの言葉の意味と違いについても調べてみる。👀
(参考サイト)
✏️以上を私なりにまとめてみると⋯
・[おしゃべり]複数人でする“話” 重要度(低)
・[会話]複数人でする”話”のやりとり 重要度(中)
・[対話]複数人でテーマを“話”し合うこと 重要度(高)
・[議論]複数人でテーマを“論”じ合うこと 重要度(大)
・[討論]複数人でテーマを“論”じ戦わせること 重要度(特)
現在、裁判所において係争中の事案である為、(係争中の事案についての)論評の類は避けるが、“対話〟を切望する青識亜論氏が、フェミニストと「フェミニズム」について話し合いたいと思うのなら、旧Twitter(現X)で行った石川優実さんへの非礼の数々を先ずは謝罪🙇♂️するか、”対話〟したいとする意図を明確にしないと、フェミニストの誰もが手を挙げづらいと思うんだよね。(もちろんオーディエンスも)
青識亜論氏が主催する「これからの「フェミニズム」を考える白熱討論会」というテーマ名が示すように青識亜論氏が望んでるのは、“対話〟ではなく、喧喧諤諤とお互いの主張をぶつけ合う”議論〟や“討論〟の内容をオーディエンス(聴衆)に聴かせることではないのかな⋯と私は以上をもって推察をするのだが。🤔
単に「フェミニズム」の理解と普及の為に”良かれ“と思っての言動なら、現在のX(旧Twitter)での言い合い(ポスト)で良いのではなかろうか。
(互いの主張や個人の意見・感想がある程度見えるので、ある意味とても公平な面もある)
そして私の記憶が確かなら、青識亜論氏は田嶋陽子さんを引き合いに出して、“対話〟をしないフェミニストをうんぬんかんぬんと批判をよくするのだが、(青識亜論氏以外との)イベントは頻繁に行われている。
フェミニスト諸氏が地上波TVなどエンタメ色の色合いが濃い番組に出演しないのは、大した目的もなく数合わせの為の出演や番組等での扱い方に抗議してのことだとも聞き及んでいる。(田嶋陽子さんは別の思いがあって出演してたそうな)
確かにかつて青識亜論氏も出演した『ABEMA Prime』は、報道リアリティショーを名乗るが、視聴者には情報娯楽番組に近い番組構成で公平に程遠い番組に私にも映る。
(参考サイト)
✏️さて、ここまで読んでみた皆さんの感想はどうだろうか?
後日消す“つぶやき”で時折り書いてたことの保存版として今回テキスト形式化してみた。
「ゾーニング」についてもテキスト化したいなぁ⋯と。🔚
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