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「読み違い」を許します

「ワンダヴィジョン」観てます。

「アイアンマン」とか「アベンジャーズ」で有名なマーベルのシリーズ作品ですが、今までのヒーロー路線とは全く異なります。
どこか不思議で怖くてサスペンスな展開に、YouTube界隈では早くも考察動画が続々アップされてます。

普通にぼーっと観てると何でもないシーンなのに、考察動画では「あのシーンのあのマークは◯◯を表している」「アベンジャーズに出てきたアレがココで映ってる」等々……。
そういう考察動画を見てると
「なるほど!そう意味だったのか!」
「あれがまさか伏線だっとは!」
とビックリするのは楽しい、それは間違いないのですが、たまにふと、さみしいような気持ちがします。

映画を観たあと考察動画や記事をチェックする前に、あのシーンはこういう意味か、あのセリフはこの伏線か、など考えを巡らせて自分なりの答えを持ってから、他の人の考察を見るようにしているのですが、そこで自分の見当違いに気づかされることって、皆さんありませんでしょうか??
私はたまに(いや割としょっちゅう)あります。その時に感じるのは「他の人と違う観点を持てた」という自負ではなく「あのヒントやあの伏線に気づけなかった自分は、なんて鈍くて、なんてもったいないことをしているんだろう」という妙なさみしさです。

「テネット」でもそうだったし「エヴァ」でもそうだった。観終わった直後は「ああ楽しかった!」と満足なのですが、考察を見るといかに自分が重要な要素を見落としていたか、思い知らされるのです。

たまに、他人の考察にどうしても納得がいかない時があります。そこで語られている考察よりも、自分が感じ取ったイメージの方が面白くない??と譲れない気持ちになります。しかし大抵の場合、理にかなった考察はネット上で語られている方であり、私のイメージは単なる非論理的なイメージでしかないのです。

これはいわゆる、ストーリーの「読み違い」です。そして「読み違い」は「論破」に弱いです。いくらこっちの方が面白いと感じても、筋が通った説明ができなければ「正解」とは認められません。

ネットで何でも調べられる時代。とことん調べようと思ったらどこまでも調べられます。一瞬だけ映る伏線、流れている洋楽の歌詞、聖書からの引用、過去作からのオマージュ。あらゆる情報にアクセスできるネット上では、間違いのない「正解」が出せてしまう、それ以外の「読み違い」を許さない空気があります。

しかし「読み違い」は、やっぱり楽しいよね。
それを言いたくてこのnoteを書きました。
正解よりも楽しい不正解を見つける方が、よっぽど楽しい。絶対そうに違いない。絶対。勢いついでに言っちゃうと、正解なんて誰でも辿り着ける「ただの正解」じゃないか。自分だけの「読み違い」を大切にするのもいいよね。そう思いました。


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