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本の紹介「私は正しい」

こんばんは
本日は「私は正しいこと」安藤俊介さん
最近正義中毒という言葉をよく耳にするようになって自分もその傾向があるんじゃないかと思ってこの本を借りてきました。
ついこうするべきとか思っちゃうんですよね。
あとあんまり内容が濃すぎて箇条書きにすると読むのがしんどいってことに気づきました

本編の前に
正義とは…正義は、明治以降「義」に代わって使用され、倫理、合理性、法律、自然法、宗教、公正などに基づく道徳的な正しさに関する概念である。
正義感とは…ルールに反したことは許さずに正しさを大切に行動する人のこと
同じようでちがうもの


正義感が強い人

消費される正義

わたしたちは正義を自分たちの味方としてとらえている
今の時代SNS等が発達し炎上してしまうことも多い。
炎上とは誰かが誰かに怒っていることのあらわれ
怒っている側には何らかの正義がある。

だがその時は一瞬激しい炎をあげるが、すぐにその炎は消え
人の記憶から忘れ去られる。

正義が簡単に生まれ、あっという間に消費されることを繰り返されている
正義はそんなに簡単に忘れられていいもの?

正義は人を息苦しくさせる

正しくなければならない、皆と違うことをしてはいけない
それだけで息苦しさややりにくさを感じます。

皆がお互いを監視して、何か悪いことをしていないか
間違ったことをしていないかと探している

人を助けるための正義がいつの間にか、自分が監視されるもの
怒られるもの、そして距離を置きたいものに変わってきている

いっぽうで正義を振りかざして怒っている人も息苦しさを感じている
色々なことに敏感で、過敏に反応するから怒りを感じているともいえる。
 自分もめんどくさい人、かかわりたくない人って思われてたやろうなぁ
 ( ´ー`)フゥー...

正義感が強い人は怒りっぽい

わたしたちは日々の生活のなかで何を守ろうとして防衛感情(怒り)をおこすのか?

それは自分の大事にしているものを守るために

  • 価値観

  • 考え方

  • 立場

  • 主義主張

  • 家族

  • 友人

  • 財産

誰かがあなたの意見を間違っていると否定をしてくれば、自分が攻撃されたととらえ、自分を守るために怒るのです。
怒りは防衛のための攻撃
怒っている人にしてみれば、正当防衛であり何か悪いことをしているとは感じていない。むしろ悪いのは相手のほうであり、相手に反撃しているに過ぎない。
正義感が強い人は、守りたいものが多いひと
いつも正しくなければならないと信じているのです

怒りが生まれるメカニズム

怒りのスイッチを入れるものは「~するべき」が裏切られた時
怒りを燃え上がらせるのはマイナスな感情、状態

マイナス感情とは…不安、辛い、苦しい、寂しい、孤独感、罪悪感
マイナス状態とは…疲れている、睡眠不足、ストレスが大きい、空腹、調子が悪い

怒らないためには

  • 「~べき」が裏切られる回数を減らす

  • マイナス感情、状態を小さくする

正義は玉虫色をしている

正義は絶対に正しいもので、それが変わることなんてない?
 見方が変われば正義なんて簡単にかわってしまう

有名なトロッコ問題一人を助けるか、五人を助けるか
人の倫理、道徳とは何かを考える古典的な問題
正義は立場によっても変わる。

正義感は心の闇から生まれる

自分の怒りが公憤になっているか?

さあ正義がグラグラしてきましたね
でも正義は社会に必要なもので、正義なくして世の中の秩序を保つことはできません。
問題は正義の名のもとに破壊的な怒りをしている人がいること
怒りを建設的な方向、未来がよりよくなるほうへ向ければいい

怒りには種類がある

  • 私憤…個人的なことから起こる怒り

  • 公憤…公共の正義の立場から感ずる憤り

いわゆる自粛警察と呼ばれる人々は公共の正義によって、外出している人に怒りを向けていると信じている

自分の怒りは私憤、公憤を確かめるには?
周りの人にその怒りに大多数の人が共感してくれて、さらには自分も一緒にその正義のために何かしたいといいってくれれば、それは公憤である可能性が高い。
  ん~と聞く人にもよるかなと思う。自分のグループ内で聞くと同調する人も多いんじゃないかな?

普段から何が正しいか、正しくないのか話せる人が周りにいないと、とても偏った考えに陥りやすい。
 狭い業界でも偏った考えになりやすい

私憤と公憤の判断を誤らないための基準がある
ビッグクエスチョン…自分にとって/周りの人にとって/長い目で見たときに/健康的か

自分の個人的な怒りである私憤が、公憤として社会に認められることがあれば、それは大きな武器を手にしたことになる。
逆にそれが独りよがりのものであれば、なにひとつプラスを生み出さない。
怒りによって自分の身を焦がし続けることになる

正義はどこから生まれるのか?

正義感とは価値観のひとつ
価値観は「コアビリーブ」から生まれる
コアビリーブは自分の心の中にある辞書のようなもの

私たちは日常の生活、仕事、育児等で出会う様々な出来事について、いちいち自分のコアビリーブをみて、それがどういうことなのかを意味付けをしている。その結果、正義感がうまれることも、うまれないこともある。
 みんな同じではない

コアビリーブの作られ方
コアビリーブは生きていく中で学習や経験を通じて作られる
まずは親の教育、しつけの中からコアビリーブは作られます。
親は意識的、無意識的に何は正しい、何は間違っている。こういうことはしたほうがいい、しないほうがいいといったことを子供に教えます。

親が言っていることが自分の辞書に正しいこととして記されていく
それが正しいかどうかは別問題

コアビリーブは家族から外の世界との接点ができ始めるとその世界での経験を通じて、修正されたり、強化されたり、リセットされたりどんどん形を変えていく。
ただ親から教わったことの影響はとても大きく、それがその後の人生に悪影響を受け続けることはよくあること。

何を正しいと信じているか
本人にとってはコアビリーブは正しいもので、大切なもの。
自分のコアビリーブの存在が脅かされていると無意識のうちにとらえると、
大切なものを守ろうとして防衛感情である怒りを生み出すのです。
 
そういや、うちってすごく厳しかったし、剣道習ってたから正しく生きるってとこすごく厳しく指導されてたな。

心の闇が解決できていない人が正義感で怒る

怒る人は本当の意味での正義感から怒っているのか。
怒る人は他の問題が解決できずに怒りを抱えてしまった人が、その怒りのはけ口を正義の名のもとにみつけているだけ

怒りは生まれた場所で完結するのではなく、場所や対象を変えて向けられる。いわゆる八つ当たりとなる

怒りの感情との上手な付き合い方を知らない人は、怒りは発散させるものとして、その方法を探すが建設的ではないほうほうを選びがちになる。
また、怒るのはよくないこと、怒ったら人に嫌われるのではないかとおもうひとは自分の中に怒りをため込んでしまう。すると持ちきれないほどの怒りを抱え、心身に不調をきたす。
 自分はこのタイプ

怒り自体は人間の自然な感情

八つ当たりをしても、自分の心の中の闇は何も解決されない
 心の闇に向き合うことが必要

正義感を暴走させる目的

正義感はほっておいても暴走しない
暴走する場所があるから暴走する。
いまはネットの世界がひろがっているので暴走しやすい。
匿名性が高い環境ではおこりやすくなる

正義感を暴走させて怒る人は、普段自分の居場所がない、自分は受け入れられていないと感じている人です。

正義をふりまわして怒っている人には孤独な人が多い
自分で自分を受け入れらていないことが、孤独の根にある。
 あれ…これ自分完全に当てはまっているやつや
 暴走はしてませんけどね(ー_ー)!!

なぜ正論は嫌われるのか
いってることは正しいが、正論は本当に嫌われる

正論を言う人は、人への理解が欠けている
人は何でもかんでも合理的に考える生き物ではないですし、感情があります。そのことがわかってません。 
 はいすみませんでした…

正論は相手に取り付く島を与えません。いわば相手を拒絶している状態です。拒絶されているのに相手も受け入れたいとは思わないし、それが人間です。

人が求めているのは理屈ではなく共感です
そこを間違えているので、周りの人から距離を置かれ、自分の居場所を作ることができずにいるのです。
 もう泣いてもいいですか…

北風と太陽こそ正論と共感

正義中毒になる人、ならない人

正義中毒になる人が増えている

正義が世の中に蔓延した結果、正義を短期間で大量にみることになった人たちは、正義の毒にやられて具合が悪くなった人が増えた。
何かの問題を解決したいとか、何かに問題意識をもっているとかではなく、
正義が少ない、足りないと正義に飢えている。

なぜ正義は中毒度が高いのか

中毒度が高いことの理由

  • 気持ちがいいから

  • 社会と一体感が持てるから

  • 分かりやすいから持ちいいから

正義は気持ちいい
自分が正義を感じている間、自分は正しいということに溺れることができる
自分が正義でいれば、社会と一体感を得ることができる。
自分は孤独ではない

正義はわかりやすい

正義の毒が強い理由

  • 強い同調圧力

  • 間違えたくないという恐怖感

  • 息苦しさ

多様性を重んじようといろいろ動くひとはいるものの日本は同調圧力の強い国。多様性が進むことは、自分が今まで信じてきた、大切にしてきたものが裏切られることが増える。多様性が進むことはよいことだと頭ではわかってはいるつもりでも、実際に自分の生活の中、仕事の中で起きることは臨んでません。
 このあたりが怒る高齢者が多く感じる原因なのかもしれないですね。

正義感の手放し方

どこまで正義感を手放せばいい?

自分にとって周りの人にとって長い目で見たときに健康的かどうかに合わない正義感は手放したほうがいい。

正義感を持つことは自然なことですし、悪いことではない。
だがゆがんだ正義感は自分の不毛なコアビリーブが関係している。
自分や周りの人を長い目で見たときに、心身共に健康的でなくしているようなことがあれば、手放すか、基準を少し緩めたほうがいい。

正義感の手放し方

ゆがんだ正義感のもとになる「不毛なコアビリーブの手放しかた」

  • 関わること/関わらないこと、できること/できないことをわける

  • 人・物に対する許容度を上げる

  • 自分にとって本当に大切なものを見つける

過去にあった出来事を変えることはできませんが、その出来事への解釈を変えることはできます。また人の性格、人格といったものをかえることはできませんが、考え方や行動を変えることはできる。

自分の都合よく何かがあっという間に変わることはない。その当たり前を受け入れよう。自分ができることだけに注力し、できないことは手を放そう。

正義感に振り回されない人のポイントは白黒ではなくグレー。
マイナス感情、状態を小さくしよう

他人に振り回されなくなろう。情報に流されない。
今自分が大切だと思っていることは本当に自分が心から大切だとおもっているものですか?誰かからいつの間にか思い込まされたものではないですか?

誰から評価されなくても、じぶんだけがその価値を大切にできるものが増えると、人の評価、社会の正しさにふりまわされなくなります。

気をつけよっと








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茶々丸
そんなことあるわけないですよね…