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もやもや病で人生どん底に。それでも歩み続ける私の道 その1


導入

この記事は、病気や事故によって人生が大きく変わり、現在も困難に直面している方々が、前向きな一歩を踏み出すきっかけになればという願いを込め、自身の体験をもとに執筆しました。

自己紹介

21歳のとき、もやもや病(ウィリス動脈輪閉塞症)が原因で脳梗塞を発症し、左半身麻痺と言語障害になりました。
現在は手術やリハビリのおかげで、左手の麻痺以外はほぼ完治し、好きな趣味を楽しみ、仕事をしながら前向きに日々を過ごしています。

病気発症から病院到着まで

病気発症

当時、私は専門学校の学生寮で一人暮らしをしていました。ある日の夜、上半身の筋トレをしていて、休憩しようと椅子に腰掛けました。しかし、浅く座ってしまい、座り直そうと体を前に傾けたら、そのまま前に倒れてしまいました。

倒れたまま、ふと「これはまずいかも」と独り言を発したが、呂律が回らなくて上手くしゃべれない。それと同時に、左半身の感覚がスーッと消えていきました。

左手も左足も動かそうとしたが動かせない。

この状態に対して、「慌ててもいい結果にはならない」と自分を言い聞かせ、今の状況を整理するということを行った。
左半身が動かない、
呂律が回らない、
そして顔の左側が垂れているような感覚があることが分かった。

そこでスマホのカメラで自分の顔を確認したところ、顔の左側が明らかに垂れ下がってたので、
スマホで「左半身 動かない 呂律回らない 顔が垂れている」と検索してみた。

スマホの検索結果には、「脳梗塞」や「脳卒中」といった言葉が表示され、「これは脳の病気なんだな」と理解したが、「ひょっとして寝たら治るんじゃね?」と考え、ベッドに行こうとしてみた。

しかし、感覚がなくなった左半身が言うことを聞かず、ベッドにたどり着くことはなかった。
(この時ベッドにたどり着けてしまってたらどうなっていたのやら・・・)

「これはもう、自分一人ではどうにもならない」と感じたので、同じ寮に住んでいるクラスメイトに助けを求めた。クラスメイトはすぐに寮の管理人を呼び、救急車を手配してくれた。救急車が到着し、担架に乗せられる頃に
は、ようやく事の深刻さが実感として湧き始めた。

救急車の中

救急車の中では、心電図のパッドが貼られ、自分の鼓動が車内に響き渡った。その音で、なぜかテンションが上ってしまい、鼓動が早くなったのを覚えている。

その一方で、一緒に同行してくれた寮の管理人が母に連絡をしてくれており、電話越しに母と会話をすることができた。しかし、その瞬間、私の中に湧き上がったのは申し訳なさと、心配させたくないという気持ちでした。

ろれつが回らない状態の中で「大丈夫だから」と伝えるのが精一杯。うまく話せない自分に、母がどれだけ不安を感じたかは想像に難くありません。それでも、母は「うん、わかったよ」とだけ答えてくれました。その短い言葉の裏には計り知れない思いがあったのだと思います。

今振り返ると、あの状況で気が狂ってもおかしくないほどの衝撃だったはずなのに、冷静に言葉を返してくれた母の強さには、ただただ感謝の念が湧いてきます。

病院到着

病院に到着すると、まるで医療ドラマのワンシーンのように、担架からベッドへと移され、次々と体に点滴や医療機器が装着されていきました。その時、不思議と「これで大丈夫だ」という安心感が湧いてきました。そしてその安心感の中で意識が遠のき、次に目を覚ましたときには、全身チューブだらけの状態でベッドに横たわり、両手足がベッドの柵に縛られていました。

その傍らには母の姿がありました。

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