生きることはもののあはれ
こんにちは〜
ちゃたすけです〜
今日は、生きることってもののあはれだなあ〜と思ったので書いていこうと思います。
最近、虚しさと喜びの混ざり合った感情に初めて出会いました。
私の感情は大体強烈だったので、ネガティブなのか、ポジティブなのか、割とはっきりしていました。
このなんとも言えない感情を見つけて毎日を生きることに感動しています。
これも思考や感情が静かになったから、気がつけるようになったのかも知れません。
なぜ、このような感情を抱いたかというと、このように理解できるようになったからなんです。
「私の肉体はいつか滅びる。でも、私の本質は永遠。そして、全部みんなそうなんだ。」
思考が静かになり、あるがままのものに無駄に抵抗する感情も手放すと、本来の私たちの姿が現れるようになります。
そうすると物質界のどんなことも、全てが無情で移り変わり、いずれ滅びる運命にあるんだなあとすんなり受け入れられるようになります。
例えどんなにお金をたくさん稼いでも、どんなに美しくなろうと、全てこの世界に置いていかなくてはなりません。
悲しいですよね。
どれだけ愛する人と出会っても、どれだけ価値あるものを手にしても、いずれそれを全て置いていかねばいけないんです。
なぜ頑張るのか?なぜ生きるのか?
この側面だけを見つめてしまうとそう思う方が多いのではないかと思います。
なのでみんなこの痛みを受け入れられず、目を向けず、永遠に生きるかのように振る舞い、小さな毎日を愛することをやめてしまっているんだと思うのです。
でも、本当は違うんですよ。
逆なんです。
小さな毎日を愛し、幸せを1秒1秒噛み締めるからこそこの生は最後まで幸せなんです。
「いずれ滅ぶなら意味がないじゃないか!」
いいえ。違います。
いずれ滅ぶからこそ、この1秒に価値があるのです。
なぜなら私たちは永遠の存在だからです。
私たちの本質は思考を聞いている意識。
どこかからやってきた、科学では解明できない“永遠の何か“なんです。
“永遠の何か“が、“有限の私“になって生まれてきた。
その視点で見ると、この生命がとてつもない価値あるものに思えませんか?
生きているとたくさんの苦しみに出会います。
それは全てが永遠でないからです。
そこに私たちの一部を見出すからなんです。
でも、実はその苦しみを味わえるのも、今だけなんですよ。
苦手な人も、不機嫌な自分も、理不尽な出来事も、全て同じ運命を共有しています。
この世のものは一つとして永遠ではないんです。
だからこそ、この一瞬は美しいのです。
この感覚になってから、毎日はより一層愛らしく、気分の沈む私も、ネガティブな感情も、今しか味わえない大切なものとして愛おしいです。
虚しさと喜びの真ん中の感情にしみじみと生きる喜びを感じています。
もののあはれ...日本にこの言葉があってよかったなあと思います。
永遠でないものを味わえる喜び。
もしかしたらこれが“許し“なのかも知れません。
今日もありがとうございます。
しみじみ〜
ちゃたすけでした♪