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日向坂文庫2021#6(宮田愛萌×門井慶喜『おさがしの本は』)

noteを開いていただきありがとうございます。

ちゃすいです。

前回は坂木司さんの『アンと青春』』の感想を書かせていただきました。
読んでくださった方はありがとうございました。

さて今回は、日向坂46文庫フェアの続きで、宮田愛萌さん担当で門井慶喜さんの『おさがしの本は』の感想について書いていきたいと思います。


登場人物

・和久山隆彦(わくやまかずひこ):調査相談課
・藤崎沙理(ふじさきさり):図書課 児童書担当
・楢本国雄(ならもとくにお):調査相談課
・潟田直次(かただなおつぐ):副館長
・鷹取:学生
・増川弘造:市議会議員
・香坂貴子:市議会議員




1.あらすじ

この物語はN市の図書館を主な舞台とした物語である。

この図書館で調査相談課に所属する和久山隆彦がいるレファレンス・カウンターには、様々な人が目的の本があるかどうかを尋ねに来る。

レポートのために本を短大生、小学生の頃の思い出の本を探す年配の方、無理難題を吹っ掛ける副館長などなど、様々な人が和久山の下へやってくる。

そんな相談に来る人と図書館員和久山などのやり取りを描いた作品。




2.感想

ここからは作品の感想を書いていきたいと思います。

ネタバレありなので、読みたくない人はここで閉じるのをお勧めします。



さて、まず図書や文学に関わる人々のプライドなるものを垣間見えたのが「図書館ではお静かに」です。

ここでは、とある短大の河合志織が「林森太郎」なる人物の本がないか図書館を訪れるところから始まります。

和久山は「森林太郎」の間違いではないかということを指摘すると同時に、河合が受けているであろう梨沢先生の性格を考慮に入れて本を1冊見つけ出すことに「成功」します。

(正確には林森太郎という人物が本当に存在していたという結末になりますが・・・)



いやまさにこの部分、「林森太郎」なる人物が存在していたということが、この物語の味噌でもあるわけです。

というのも梨沢先生は著者のことを最大限に尊重することを旨としており、実際、

「初心者のために神聖な本文に手を加えるのは不本意この上ないとか何とか。あれは単なる愚痴じゃなかったんです。育子がじかに先生から聞いたんですけど、ああいう一字一句にこだわる仕事、こだわりぬく仕事、それこそが学問としての文学研究のアルファでありオメガである」

ということを学生に語っています。

そしてその手始めとして「林」と「森」をしっかりと見て間違えないようにするということを課したようです。


もし私が梨沢先生の授業を受けていたら、森林太郎の本を探していたんだろうなと思います。

文字一つ取っても、あまり大事にしていないというか一つの言葉にあまり意味を込めないことが多い私からすると、なぜそこまでするんだろうというのが正直な感想です。

キーワードとなる言葉であれば、確かに一文字違うことなく移すのは理解できます。

しかしそうでないところは恐らく変えてしまうかもしれません。

しかも森林太郎のように、自分の中の考えがあって変えるのではなく、「楽な方で」っていう感じで変えそうだなと。


これを機に一文字一文字にこだわってみるのもありかもしれません。



続いて、図書館のレファレンス係の意地が垣間見れたのが、潟田副館長との対決です。

副館長から出されたのが、

A 意味的には、日本語における外来語の輸入の歴史をまるごと含む。
B 音声的には、人間の子供が最初に発する音によってのみ構成される。

に当てはまる言葉に関する本を探せというものです。


この問いに対してしっかりと答えに辿り着くのはのはもちろん、「餡」と「マン」についての補足が図書館員の実力なんだなと思いました。

普通だったらアンパンマンまでたどり着いたら合格でしょう。
また、「餡」に唐音があるということなど調べても「無意味」と思ってしまいます。


しかし、そういった部分にまで調べることができる、いや調べることが好きだから司書になれ、かつ司書の仕事にプライドを持てるのだろうと思います。

以前、やしろあずきさんという方のブログかTwitterで、

「好きなことを仕事にして、それが嫌いになったのであれば、それはもともと好きではなかったということ」

といった趣旨の言葉がありました。

まさに和久山さんは本を探して、調べるということが好きな方で、ある種和久山さんにとっての天職なんだろうなと思いました。


好きだからこそ、そこに自信がありまた、プライドもあるのでしょう。

そんな人間になりたいと思える物語です。



さて最終的に、潟田館長とは議会で再戦するわけですが、ここで和久山は図書館と救急センターや公営住宅は本質的に一緒だということを述べます。

正直、その文を見たときは「?」となりました。

命を救う救急センター、住むところを提供する公営住宅、どちらも生きるために不可欠なものです。
一方で、図書館は文化的素養を高めるためには重要な施設とはいえ、生存には必要不可欠ではありません。

正直どこが一緒なのか、皆目見当がつきませんでした。

しかし読んでみると、なるほどと腑に落ちました。
近代国家で生存するためには文字が必要であり、それを大規模かつ組織的に育てるのが図書館であると。

そしてなにより、日常ではなくちょっとした何かがあった非日常のときに救急センターなら車に轢かれて重傷を負ったということのように、何冊もの本を一度に読む必要があるといった人のために図書館は存在するという。


教養がどうのとかではなく、しっかりと必要性を問うてくるとは。

しかも本質的に救急センターと一緒というのはなかなか驚きの論です。
しかし頷けます。
普段はあってもなくてもいいけど、困ったときにあると助かる。
そういう目立たないけど、無いと立ち行かなくなる人を助けることができるというのは、それはそれでかっこいいですね。




さてさて、ダラダラと書いてきましたが今回はこんな感じです。

遂に明日から日向坂46&光文社さんのフェアが始まります。

本当ならそれまでに全部読んでみたかったのですが、まったくもって追いつきません(笑)

まあ、のんびりと書いていきたいと思います。

それでは最後まで読んでいただきありがとうございました。

また読んでいただけると幸いです。

失礼します。







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