日向坂文庫2021#18(高瀬愛奈×長嶋有『ぼくは落ち着きがない』)
noteを開いていただきありがとうございます。
ちゃすいです。
今回は高瀬愛奈さんが表紙となる、長嶋有さんの『ぼくは落ち着きがない』の感想を書かせていただきたいと思います。
(一部本文からの引用ページを書いていますが、私ちゃすいが読んだのは2008年7月30日に発行された初版三刷になります。)
1.あらすじ
桜ヶ丘高校に通う高校2年生の望美。
彼女は図書部に所属しており、昼休みや放課後は図書室の壁側を「削って」できた部室にいることが多い。
このことは、他の部員にも共通しており、部室で時間を過ごすことが多い図書部員だが、ちょくちょく事件が起こる。
そんなある日、学園祭の準備や図書室の貸し出し処理の電子化に忙殺されることになるが、その裏には色々な思惑?があり・・・。
2.感想(ネタバレあり)
んー、『千手學園少年探偵團』や『刑事の子』を読んでからの『ぼくは落ち着きがない』を読むと、落差が凄くて読むのに手間取ってしまいました。
いわゆる推理小説であれば、「犯人は誰だろう?」や「トリックはどうなっている?」といったことを推測しながら読んでいきます。
また学術系の本であれば、目的及び方法の把握をメインにしたり、書かれていること書かれていないことは何か、他の書物で書かれていたこととの関連性について考えたりします。
しかし『ぼくは落ち着きがない』のように基本的に同じ登場人物(今回であれば望美)視点で、かつ大きな場面の変化がないものは、そういう読む際の視点が少なくとも私ちゃすいには無いために、読むのに苦労してしまいます。
その上、推理小説の後に読んだので余計に読むのに時間がかかってしまいました。
もしこういう風に読んだらいいよというのがありましたら教えていただきたいです。
さて、そうこう言いつつもまあ感想を書いていくわけですが、個人的にこの本最大の謎はタイトルである『ぼくは落ち着きがない』についてですかね。
これは金子先生の新人賞受賞作品のタイトルでもあるわけですが、望美はこのタイトルを見て、「これは私たちのことを書いた作品だ」と察します。
図書室は静かにしていないといけないのに一番騒がしいのが図書部であるという皮肉が作中に出てきますが、これに関連してのことでしょうか。
「ヤドゥ―」と言う部員たちや、クリップをくっつけてしまうナス先輩、不登校になることを宣言して不登校になる頼子のように様々なタイプの部員たちが織りなす空間のことを例えたのかなーと想像します。
そう考えると高校生ってすごいですよね。
ただそこに集まるだけで何か「事件」が起こります。
正確には、ちょっとしたことで盛り上がることができると表現したほうがいいでしょうか。
周りから見ればくだらないし、時にはうるさいと思ってしまうこともありますが、本人たちはなぜかわからないけど面白く楽しい時間を過ごしています。
ファーストフード店に行けば大抵中高生がいますが本当に賑やかにかつ楽しそうに話しています。
ある種目的がなくただいるだけだからこそ、余白が大きくてちょっとしたことでも盛り上がることができるのかなーと思うと、正直羨ましいなと思います。
しかしなぜ一人称が「僕」なんでしょうか。
図書部員を総称して「僕」と呼ばせたのか、それとも他に理由があるのでしょうか。
また金子先生の書いた本のタイトルは『僕は落ち着きがない』(172ページ)と「僕」は漢字で書かれています。
一方で本自体のタイトルは「ぼくは落ち着きがない」と「ぼく」は平仮名で書かれています。
違う本であることを強調のために僕とぼくで書き分けているのかなと想像しますが実際のところはどうなんでしょう。
とまあ内容というよりかはタイトルについての疑問を並べた感想になりましたが、今回はここで終わりたいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。
次回も読んでいただけると幸いです。
それでは失礼します。