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惑星ソラリス(1972年製作の映画)

SOLARIS
鑑賞:2020/05/013、記事公開:2020/05/15
監督:アンドレイ・タルコフスキー、脚本:フリードリッヒ・ガレンシュテイン、アンドレイ・タルコフスキー

学生の頃にイキってレンタルしては寝レンタルしては寝を繰り返した思い出が。
結局通しで見はしたものの“わかる部分がない”という散々な結果に。
それが近年のマイSFブームで読んだスタニスワフ・レム のソラリスがすこぶる面白くて鑑賞機会を狙っていたけど、U-NEXTにあったのでここぞとばかりに鑑賞。ソダーバーグ版も鑑賞済み。

今回は「秘技寝そうになったらスクワットをしながら観る」で見事寝ずに鑑賞することに成功。
夜は混むので17時台にしたんだけど、それでも結構読み込みが発生してしまった。う〜ん。うちの回線が弱いのだろうか。映画がゆったりとしたリズムなのでそんなに気にはならなかった。


※以下ネタバレがあります(多少内容に触れて部分があります)。


映画は面白かった。

まずはネタバレも含め「ソラリスをこう見ました」という前提話。
今作は、SFの人気テーマの一つ「ファーストコンタクト」物。
お話主導だと、地球外知的生命との初遭遇では、友達になるか襲われるか、もしくは、地球では生きられないので宇宙に帰すとか。「MIB」じゃないけど、多人種文化の軋轢のメタファーだったり、野生動物との交流みたいのだったり。でもそれは仕方なくて、人間社会でのあり方に重ねないとそもそもが理解できない。だからそもそもお話にならない。
ソラリスは思考実験に近いアプローチだと思う。作中では、惑星ソラリスの海が意識を持って存在維持のために能動的に活動しているんだけど、散々調べてもどうなっているのかは人類には見当がつかなかった。数学とか思考を持っているように見えてもそれが即人類と共有できるようなモノじゃない可能性だってあるでしょうよ。とゆう「分からなかった顛末の話」で、何がどんな風に分からないかということを楽しむ物だと認識しています。
人類の絶望的なまでの世界認知のちっぽけさが、宇宙(世界)にはまだ未知の領域がたっぷりあるぜというワクワクを感じさせてくれて興奮します。

ここからは今作の話。
映画ではその中でも、人類目線でソラリスに影響されている描写にフォーカスした作り。その中でも記憶や我々が認識している人間という概念の確かさを脅かすようなテーマで、原作でもメインのエピソード。
よかったのは何と言っても奥さん役のНаталья Сергеевна Бондарчукさん。
もちろん美人なんですが、清楚な柔らかい感じが、虚実の合間に翻弄される夫婦の描写に切実さを掻き立てる大変素敵な存在感を放っておりました。存在の不確かなことによる不安と底知れない恐ろしさ。ゆえの儚い関係。「得体の知れない物を得体の知れないように描く」というこの口で説明できない空気感をまるで「説明出来ない事柄だからこそ撮る価値がある!」と言わんばかりの映像化。すごい。
いやーヨカッタ。
フィルムの質感とカメラを使って絵筆でも使っているかのような映像は時代に左右されない独特の世界があってこれもすごい。
やっと見れたよかった。

批判という訳ではないですが、ソダーバーグ版との違いが気になったのでメモ。
基本「分からなかった顛末の話」なので、そこに「殺したのは誰だ」というミステリーが入っちゃうと、種類の違う謎が混ざって、どっちの謎も薄まってない?というのと、奥さん役のナターシャ・マケルホーンさんが結構グイグイ来てたイメージ。ソダーバーグ判断なのかもしれないけど、ミステリーなので映画も緊張感のあるトーンにならざるを得ないのも一因か。もしくはナタリア・ボンダルチュクさんが素敵すぎたか。

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