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深海魚ですけど、なにか(3)間接的な攻撃を受ける私には問題なんてない

なぜ間接的な攻撃は傷つくのか


それは「間接的」であっても

本人の個性を「否定」しているからなのではないかと私は考えている


私たちは

誰しも

自分のことを「認めてもらいたい」という欲求を持っている


青い服がお気に入りなら

「その服似合っているね」

と言われたいし

深海で暮らすことが幸せなら

「深海の生活って最高だよね」

と言われたい


だから

この「認めてもらいたい」という欲求が満たされると

私たちは満足するとともに

「私はこのままでいいんだ」と安心できるようになる


「私は青い服を着ていいんだ」

「私は深海で暮らしていいんだ」

という具合である


一方

この「認めてもらいたい」という欲求が満たされないと

私たちは不安になり

「私はこのままでいいのだろか」

と悩むようになっていく


「私は青い服を着ていていいのだろうか」

「私は深海で暮らしていていいのだろうか」

という具合である


そして

「間接的攻撃」は

この不安にきっぱりと「NO」の評価を下す


例えば

「青い服は気持ち悪い」

「深海の暮らしは最低」

などのネガティブな評価である


結果

間接的であっても

このネガティブな評価を下された私たちは絶望に陥る


「青い服を着ている私は認めてもらえない」

「深海の暮らしは理解してもらえない」

という具合である


だから

「間接的攻撃」は傷つくのである


間接的攻撃を受けることにより

「このままの私では認めてもらえない」という現実を知り


私たちは

「認められるために自分を変えるか」

それとも

「認められなくてもいいから自分を貫くか」のどちらか一方を

選択しなくてはいけない状況に晒される



正直、私ならどちらも選びたくない


「自分を貫いたまま認めてもらえる」状況が最高だからである


「間接的攻撃」は

この最高の状況が実現しない現実を

私たちに教えてくれる


よって

私たちは「現在の自分」を否定されたような気持ちになり

傷つき、絶望する


これが

「間接的攻撃」で「傷つく」メカニズムである


今回の記事を読んでいて気づいた方もいるかもしれないが


「間接的な攻撃」は

「青い服」や「深海での暮らし」など

その人の個性に問題があるから「傷つく」のではなく

その人の個性を「認めない人たちもいる」という事実を知るからこそ「傷つく」のである


だから

私たちは「間接的な攻撃」に負けてはいけない


たとえ「間接的な攻撃」を受けようと

自分自身には問題がないのだから


本来なら

私たちは「傷つく」必要も「絶望」する理由もないのだ


次回は「間接的な攻撃」への対処法をまとめていく

この記事は2015年10月28日に下記のサイトで投稿した記事の転載です
https://izimedarake.hatenablog.com/entry/20151028


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