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できないことがあるからこそ
「ウミウシにはオスメス両方の生殖器がある」
これは昨日のスケルトンさんの記事の書き出しです
スケルトンさんは「ウミウシが羨ましい」と書いていましたが
私は「ウミウシは寂しい」と思いました
なぜなら
一人でなんでもできてしまうからです
どうして私がこんな風に思ったのかというと
私自身がいろいろな人に
「あなたはなんでも一人でできてしまうタイプだね」
と言われることが多いからです
ウミウシは私と似ていて寂しいと感じてしまいました
では
なぜ一人でなんでもできてしまうことが寂しいのか
それは
他人の助けを必要としなくても生きていけてしまうからです
例えば
私が羨ましいと思ってしまう方はこんなタイプの人です
なにか些細なことでも苦手なことや分からないことがあると「○○さん教えて」と身近な人に気軽にお願いできる人
自分の知らないことを誰かに教えてもらったときに「ありがとう」と心から感謝の気持ちを示せる人
こういうことがすんなりできるタイプの方々は「できない」ことに出会っても
「できない」ことがあるからこそ
そのたびに周りの人々を幸せにしているタイプの人々です
私もこんなタイプの方々が大好きですし、お会いする度に羨ましいと心の底から思ってしまいます
だから「できない」ことがあるというのは
素晴らしい長所なのです
もちろん自分でなんでもできてしまう
というのも悪いことではありません
スケルトンさんが「羨ましい」と記事で述べていたように
「できる」ということは
本来とっても素晴らしいことです
「できる」ことがある人は
自分が「できる」ことを活かして
周りの人々の役に立つ力を持っています
私は「○○さん教えて」と誰かに声を掛けることが「できない」タイプで、一人で試行錯誤しているうちに「できる」ようになってしまうことが多いため
「できない」と思った瞬間に「○○さん教えて!」と周りに声を掛けることが「できる」人と自分を比べて
自分やウミウシは寂しいと思ってしまいましたが
そもそも人間は誰もが「できること」と「できないこと」をたくさん持っている生物です
私が今回の記事で伝えたかったのは
何事においても
「できること」があるから完璧で素晴らしいわけでもないし
「できないこと」があるから不完全で価値がないというわけでもないということです
「できること」も「できないこと」も両方とも価値のある素晴らしいことなのです
「できないこと」や「できること」が周りに比べて多いと
いじめの対象になってしまうことがよくありますが
私は「できること」も「できないこと」もそれぞれみんな持っているからこそ
みんな素敵なのになと思ってしまいます
だから「できないこと」や「できること」が周りと比べて多いからと言って
卑屈にならずに
そんな自分のことこそ
大切にして欲しいなと思います
そして
そんな風にして
一人ひとりが「自分のこと」を大切にできるようになれば
次第に「相手のこと」も大切にできるようになり
いじめもなくなっていくのではないかなと
私は考えています
この記事は2015年8月4日に下記のサイトで投稿した記事の転載です
https://izimedarake.hatenablog.com/entry/20150804