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新学期になると思い出すいじめ「君に与えられた最高のミッション」

新しい学年に進む季節

この時期に特有の「いじめ」として私の頭に浮かぶのは
教室のロッカーと下駄箱に貼られたばかりの名前シール

私のシールは
貼り付けたその日に
真っ二つになっていることが
何度かあった

私のシールが初めて破かれたのは
中学2年生の秋

犯行現場は下駄箱

犯行に気づいたのは部活終わり

帰宅するときだった

誰がやったのだろう

私は犯人が分からず怖くなり
私のほかにも破かれている人がいないかとっさに確認してしまった

そして隣のクラスのAちゃんも破かれていることに気づき
私とAちゃんの両方を嫌っている人が犯人ならあの子たちが怪しいな
と私は勝手に推察しつつ
頭の中に浮かんだ容疑者に直接会っても
確認することもできずに
学年が変わるまでの残りの季節を過ごした

中学3年生になって
下駄箱のシールを新しくできることを
とっても嬉しく感じたのに
私のシールはその日のうちに破かれた

考えなければいいのに
下駄箱から10メートルも離れていない卓球場で部活動をしていた私は
その日に私より先に帰った部活動の人たちを容疑者のように捉え
誰が犯人かを考えながら卒業まで過ごした 

卓球部以外の人間が犯人
と最初は思っていたのに
貼り直しても破かれ続けるシールを眺めながら
むしろ卓球部員のほうが
私のいない瞬間を狙って確実に犯行ができることに気づいてしまった瞬間は最悪だった

犯人が誰かは分からないのに
分からないからこそ
全ての人が怪しく見え
疑心暗鬼に陥ってしまう

登校すれば
毎日少なくとも2回は下駄箱に目を向けなくてはならないため
無残になった名前シールは
週10回以上もの頻度で
この空間に私のシールを破った人間がいることを思い出させてくれた

このいじめの一番の恐ろしさは
学校にいる全ての人間が怪しく見え
一人ひとりのことを疑いながら
毎日を過ごさなくてはならなくなってしまうことだと思う

あの子との思い出も
あの行事での出来事も
懐かしい青春の1ページではなく
犯人探しのための材料になっていってしまう

もしもいま
当時の私のように
犯人探しをしてしまう習慣が付きつつある人がいるのなら
ひとつだけ
解決策を伝えたい

気にするな!
過去のことだと思え!

これだけだ

難しいことなのは分かっている

解決策になっていないではないか
といわれかねない提案なのにも気づいている

それでも
なぜ解決策として伝えたのか

それは
私が犯人探しをしながら過ごしてしまった時間を
とても後悔しているからだ

犯人っぽくみえるあの人もこの人も
かけがえのない一人の人間で
70億人もいるこの地球で
偶然出会った大切な仲間の一人なのだ

きっと
犯人なのでは?どうなのだろう?
と相手の腹の色を伺いながら過ごす時間と

この人が犯人だとしても
最高の笑顔で許してやろう!

と勝手に「超」がいくつついても足りないくらい大きな器を心の中に用意して過ごす時間では

得られるものが全く違ったはずだ

犯人が誰だか分からないからこそ
相手のためにも自分のためにも
過去のことは気にせず
割り切ってしまった方が
プラスになるのではないだろうか

新学期にさっそく破かれたシールの無残な姿は
君への挑戦状であることは間違いない

ただし
勘違いしてはいけない

その挑戦状は
君の推理力を試そうとしているのではない

試されているのは
君の心の器の大きさなのだ

なにがあっても
どんなことがあっても
相手のことを心から受け止め
許す準備ができているかどうか

さあ、挑戦状を握りしめ
前に踏み出す覚悟を持とう

この絶好の機会を逃さず
相手を許すだけの心の器を持てるように成長できたのなら
君は本当にかっこいい人間になっているに違いない

自分を成長させてくれる機会を与えてくれた恩人に「ありがとう」と感謝する自分の姿をイメージしてみよう

あのときよりちょっと大人になった私は
本当にそんなことができてしまう人間になってしまうことこそが
挑戦状のミッションを果たしてみせた自分の最高の姿なのではないだろうかと信じている

この記事は2015年4月16日に下記のサイトで投稿した記事の転載です
https://izimedarake.hatenablog.com/entry/20150416


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