いじめの後遺症(3)自分には優しくされる資格がないと決めつける
「えっ、サラダ、私も食べていいんですか」
これは、昨日先輩と食事に行ったときに私の口から出てきた台詞です
「奢ってあげるよ」と言いながら先輩がサラダを注文したときのことでした
私は先輩が注文したサラダを自分も食べてもいいのかどうかを真顔で聞いてしまったのです
先輩は「もちろん」と当たり前のように答えたあと「奢るって言ってるし、三人前用って書いてあるサラダなのに」と付け加え、少し戸惑っている様子でした
私は先輩の「もちろん」という答えに安心するとともに
先輩の少し戸惑ったような反応をみて
まだ後遺症が治っていないことを改めて自覚しました
実は私には「自分には優しくされる資格がないと決めつける癖」があります
この癖は、いじめを受ける中で身につけてしまったものの一つです
どういうものかというと
今回のように「奢ってあげるよ」と先輩が優しさをみせてくれたとしても
自分にはその優しさは向けられていない、自分だけは例外なのだと思ってしまう癖です
先輩は「奢ってくれる」といっているけど
その言葉を文字通りにを受け取って
本当に奢ってもらったら
「調子に乗ってる」「アイツのくせに」「厚かましい」
と、あとで誰かに批判されるのではないかと私はビクビクしてしまうのです
まだまだ治る気配はありませんが
ピークでいじめを受けていた直後の時期よりは
だいぶ改善してきました
以前の私は「奢ってあげるよ」と言われても、断固として断るような対応ばかりしていました
多分、優しくされなかった経験ばかりが頭に蓄積されていたためだと思います
最近ではようやく
「私にもその優しさを受け取る権利があるのかどうか」を聞いてからなら
相手からの優しさを少しずつ受け取ることができるようになってきました
相手の方に「変なことを聞いてくる人だな」と不思議に思われることもよくありますが
「サラダを食べてもいいのか」を事前に明確にしておくことは
私にとってはあとから批判されることを避けるための大事な予防線なのです
もしも、私のように
誰かからの優しさを受け取ることが苦手な方がいたら
この予防線の質問をする作戦は、本当にオススメしたいです
優しくされなかった経験と同じ数だけ優しくされることもあると断言することはできませんが
優しくされる経験をひとつ積み重ねる度に人を信じられる力が強まっていくことは保証します
また、予防線の質問をされて戸惑ってしまったことがある方もいらっしゃるかもしれませんが
そんなときは、ごく自然に「もちろん」と答えて頂けると助かります
あなたの「優しさ」が
目の前の方の「人を信じる力」に直結すること間違いなしです