茶化し隊見聞録ー①Twitterフェミズム
久しぶりのnoteである。正直公開型メモみたいなものなので大したことも書かない。
今日は暇つぶしに、なんとなーくフェミズムを書いてみようと思う。先に筆者の立場を言うと、個人としては否定より、ツイ垢は観察用なのでどっちにも都合のいいことを敢えて書いている。今回は複数のテーマを元に、私なりにフェミズムと社会を解釈してみようと思う。
あくまでメモなので当然間違ったことも書かれているかもしれない。どうせならわざと嘘を書いてどこが違うでしょーとかやりたいところだが意図的にするのは腰が引けるのでやめておく。でも皆様できれば間違い探しをする感覚で読んでくれると幸いだ。
(注意。所謂親フェミ男性も含んだメモになります。親フェミ男性が嫌いな方はそこ考慮してね。除いた記事が欲しいなら別に上げようと思います)
前菜 曖昧なモノ化の概念
「モノ化」された女性という文脈から飛び出す批判、実のところ筆者としては否定的に捉えている。
キャバクラ、風俗などで物の如く扱われることはよろしくないというのは筆者も分かる。そもそも風俗を否定的に捉える人もいるが、ちょー譲って使うとして(譲れないけども)、
最低限人として接しろというのは当然の話で言うまでもない。(この人として扱えの定義もまた深堀りしないといけないが、それは置いておく)
まあ使う時点で人として見てないだろとか、セックスワーク自体は認めるべきとかいろいろな意見もあるが、正直この話題に関しては(フェミズムの観点で言えば)全否定になってもしょうがない部分だと思う。ここはほぼ触れようとは思ってない。(7月22日追記。書いた後に思ったけどセックスワークを肯定するフェミニズムもあったなぁ。Twitter上に限定してたけど、まあ一応書き足しとく。まあこれも主体性がキーワードにはなるが、、、)
私が懸念するのは、例えばトランスジェンダー問題等のセンシティブな事柄や議論の際に使われる、モノ化、記号化と言う批判はそもそもが的はずれではないか。と感じるのだ。(女性の記号化であり、それこそが男性的だ等)
これらの主張の根本的な誤りは、そう「言語」の性質を理解していれば当然分かることだ。言語、単語や文脈というのは、様々な事柄を扱いやすく解釈する道具である。ここから語られる行為がモノ化であることは当然であり、そんな事を批判されたらそもそも議論にならない。
女性が物なのではなく、単語が物の様に扱える便利な道具と言うだけである。ここは指摘しておきたい。(そもそも女性というのも概念であり、概念というのは思考する上で合理的な道具である。)
(まあここまで書いておいてなんだが、この主張自体にどの様な意味合いが付くか正直わからないのでコメントがほしい。あくまでこれはメモである。)
本編 1私が思う、各流派のフェミ二ズム
例えばフェミ界隈でも論争が分かれる話というのはとても多い。
一例を上げるなら、例えばトランスジェンダー問題、BL無罪論等、、、
例えとして、トランスジェンダー問題で解説をする。
リベラルフェミニズムの解釈
基本的に彼らはジェンダーによって女性と男性を切り分けて解釈する。身体性はほぼ考慮しない。よってトランスジェンダーは存在するし、彼らの人権も尊重する立場だ。但し細かく流派を見ていくと、
・トランスジェンダーは存在するけど、社会の側に合わせて生活をしてほしい(狭義の性転換がしたい人のみ、パス度次第で許容)
・トランスジェンダーである以上フル(に近いレベル)で許容されるべき
(広義的に性的違和を持っていればOK)
・その中間程度
(社会のバランスを鑑みて判断)
まあ主要なのは上記二種類だと思う。ここらへんの話題も難しい上に、政治論も絡むため一概には言えないが、全体としての特徴は「トランスジェンダーは実在する」と認めている点だ。この前提の上に話をすすめる特徴がある。
ラディカルフェミズムの解釈
人にもよるが、大多数はトランスジェンダーの存在、或いはジェンダー理論に懐疑、否定的に捉えている。流派的には
・トランスジェンダーなど存在せず、男性が女性性の文脈を欲している。よってその発想自体が女性嫌悪的(ミソジニー的)
・トランスジェンダーは極少数いるが、大多数は女性性の文脈を欲している。ミソジニーを多分に含んでいる。
筆者も詳しくはないので、どっちが多数かはわからないが、わずかであっても存在する主張なのは確かだ。(なお、筆者がわかりやすくするために過剰に書いている可能性はあるので、それを考慮してくれるとありがたい)
全体として見て考慮すると、そもそもジェンダー理論が大多数に当てはまらないと解釈しており、例外的な存在と捉え気味だと思われる。
補足
これらは大枠であり、実際にはラディカルとリベラルの中間層なども存在する。
2リベラル派閥とラディカル派閥の違い
では、これらの違いはどこにあるのだろうか。
筆者の私見だが、リベラル派閥は「男性社会」に原因を求めているのだと思われる(所謂ホモソ)一方ラディカル派閥は「男性性」(※身体男性、あるいはジェンダーとしての男性いずれかを指す)に原因を求めて結論を出そうとしているように感じた。
リベラル派閥の思考は、ホモソーシャルからの脱却によって問題が解決するとしているので、正にホモソーシャルの被害者たるトランスジェンダーを保護しようというのは自然な流れに思える。
では、ラディカル派閥の考え方とはなんだろうか。
その前に、(フェミズム的に捉えた)女性の抑圧の原因を探ろうかと思う。
補足 言葉による、「女性の抑圧」を解明せよ
手短に説明したい。現代で言われる女性の抑圧は、大まかに言えば
1家で主婦をしろ。2会社でも補佐役(お茶くみなど)をしろ。などである。これらは今の若い子にとって見ればすでに古い常識とされている(都市部)が、一方で根強い考え方でも在る。
ではこれらの文脈はどこからくるだろう。実はここにこそ、リベラリズムとラディカルの大きな違いが隠されていると筆者は感じる。
リベラリズムの解釈論
そもそもリベラルとは何を指す言葉だろう。
「リベラル」とは、リベラリズム(自由主義)やリベラリスト(自由主義者)を指す用語である。wikiより引用
或いは理性主義と訳す場合は、
理性主義(りせいしゅぎ、英: rationalism)[1]は、確たる知識・判断の源泉として(人間全般に先天的に備わっている機能・能力であると信じる)「理性」(希: λόγος、羅: ratio、英: reason)を拠り所とする、古代ギリシア哲学以来の西洋哲学に顕著に見られる特徴的な態度のこと。
となっている。要するに「今までの偏見や常識ではなく、思考によって、いつの時代にも通じる考え方で物事を解釈しよう」という哲学が源流になった、自由や理性に依存した思想ということである。
リベラルフェミズムは当然今の状況を問題視しているが、その原因を男性社会にあると規定している。つまり今の男性社会を理性的でなく、古い弾性による常識がはびこり過ぎているというのを問題視する、、、というのが源流になっている。
よって理性的に考える事で、「古く、男性社会的な」常識から「理性的で普遍的な」常識へ作り変えることで女性差別を撤廃しよう。というのが大枠になる。
ラディカルな解釈論
そもそも、ラディカルという言葉の意味を殆ど知らない。記事を書くにあたって検索した所一番上にこれが出てきたので、引用する。
「ラディカル」とは、過激なさま・急進的なさま・根本的であること スッキリ、言葉のギモンを解決するサイトより引用
一般にラディカルフェミズムは、過激なフェミズムとされるが、特に筆者が強調しておきたいのが、「根本的」の三文字である。
上の方の解説で、ラディカルフェミズムは男性性(あるいは身体男性)そのものが女性差別の根源であるとしていると書いたが、まさに根本に問題があると主張していると思う。
根本に原因があるなら、最早思考するまでもない。男性性的な理性主義なんてそれ自体が批判対象である。(良妻賢母になれといってるようなもんと捉えている)
ラディカル派閥の考え方(補足終わり)
話はラディカルフェミズムの思考に戻るが、女性の抑圧の原因を「社会の物」として女性を扱ったり、子孫繁栄的な責務を追わせる各種行為を、「根本から」批判しようとしているのではないだろうか。
ここはリベラルフェミズムも同じと考えられるかもだが、リベラルフェミズムは子孫繁栄を(表面上であれ)それ自体は批判的に捉えてない。あくまでも古い風習をなくそうと言ってるだけであり、女性差別が消えた状態こそ、子孫繁栄に最適であるとも主張できる。
一方でラディカルフェミズムは子孫繁栄という言葉による抑圧そのものに否定的なのだ(厳密に言えば、社会による抑圧の原因を子孫繁栄の強要と捉えている。)
よって理性的な思考の結果、女性を僅かにでも抑圧する可能性のある主張になること自体、女性を抑圧する悪い文脈と捉えられる。よってジェンダー理論の押し付けも、女性を抑圧するリスクを感じれば当然批判対象になる。
キラキラフェミという言葉もあるが、要するに理性に頼ろうよという発想が社会を盲信した結果の主張ということになる。そら批判的に見るし攻撃的になるよなぁと思うのだ(因みに当然だが対話主義も否定される)
補足
やっぱり中立派閥もいますよ。でも少ないのでそういう人は納得する部分としない部分があるかもだけど、それは別で書くのでまってて。
総論
正直筆者の考えも書きたいが、それはもう少し深堀りしたあとでいいと思う。
まとめてしまえば、リベラルフェミズムは理性主義女性解放理論で
ラディカルフェミズムは根本解決型女性解放理論である。
理性主義は対話も前提に入れるが、根本解決型は対話など不可能、とにかく従えということになる。なのでツイッター上でも有名なフェミニストはリベラリズム的な所が多分に含まれているだろう、、、というのが筆者の推測である。
では理性主義的なフェミズムは「根っこから」取り入れるべきだろうか。筆者としては微妙だと思っている。古いホモソーシャルにも合理性がまったくない訳ではない。筆者的にはホモソの文章化を行い、問題点だけを取り除く方向の理性主義的思考で攻めるほうがいいと思っているし、近代刑法や平等主義の徹底のみで解決可能では、、、?と正直思う。
追記
ラディカルフェミズムに関しては、それに至る経緯等、センシティブな話題もあるのは理解しつつ、思想そのものは男性である以上受け入れがたいなぁというのが本音。ただ、ここも掘り下げ対象とは思ってる。否定だけで終わるのもなんか嫌だし、、、
追記終わり。
村社会的な部分の問題はどこから生じるのか。保守から始まり理性に終わるような斬新的な文脈が求められている。と思う。知らんけど。
最後まで読んでくれた貴方は勇者だ普通ブラウザバックするぞこんな保守にもリベラルにもいい顔しようとしているコウモリみたいな文章を読むやつ。ありがとう。コメント待ってまーす。