911同時多発テロという名の不思議な話⑦
オサマ・ビン・ラディンって一体何者?
オサマ・ビン・ラディンに関する奇妙なエピソードを紹介します。
●オサマ・ビン・ラディンはCIAから「テイム・オスマン」というコードネームで呼ばれていて、イスラエル人ジャーナリストによれば、母親はシリア系ユダヤ人で、母方の親族はイスラエルに居住しています。
●2008年6月3日付パキスタン・ディリーには「アル・カイーダはユダヤ組織、オサマ・ビン・ラディンはユダヤ人」であると報じられています。また、サウジアラビアの国防大臣スルダン・ビン・アブドルアジズ王子は、首脳会談の席で「オサマはユダヤによって送り込まれた」と発言しました。(World Net Daily)
●CBSニュースによれば、オサマ・ビン・ラディンは事件前日の9月10日にパキスタンのラワルビンディにある軍病院で人工透析を受けるために入院していました。この時、オサマの人工透析を手掛けたのは軍病院の医師ではなく、米国政府が派遣した特別チームだったそうです。
●フランスのフィガロ紙が2001年10月31日に報じたスクープによると、オサマ・ビン。ラディンは事件の2ヶ月前の7月4日から14日にかけて、アラブ首長国連邦のドバイにあるアメリカン病院へ腎臓病治療のために入院し、そこへビン・ラディン一族、サウジ諜報機関の最高責任者トゥルキ・アル・ファイサル王子、CIAのドバイ支局長ラリー・ミッチェルが面会に訪れていました。
●2001年12月26日付エジプトのアル・ワフド紙によると、オサマ・ビン・ラディンは2001年12月、肺の複合汚染により死亡していて、アフガニスタンのトラボラで近親者が30名ほど出席して葬儀が行われたということです。このことはFBIテロ対策本部長ディル・ワトソンやパキスタンのムシャラフ前大統領、アフガニスタンのカルザイ大統領も追認しており、2001年12月14日付の遺言がアラブのニュース雑誌アル・マシャラによって公表されています。
ハイジャック実行犯達は生きていた?
事件から3日後の9月14日、FBIはハイジャック実行犯19人の名前を発表しましたが、実際には「テロ実行犯」のレッテルを貼られた19人は飛行機には搭乗しておらず、公表された搭乗者リストにも名前が掲載されていませんでした。
9月23日には英国BBCが、リストの中の7人の居住する国に対して逮捕や引渡しを要求することもなく、現在もこのハイジャック犯のリストは変更されていません。
現在では19人のうち9人の生存が確認されています。
そして、残り10人のうち8人は、CIAのエージェントであることが判明しました。
この8人のうち5人は、1990年代に米国の基地内で訓練を受けていたのです。
にわかには信じられないような話ですが、実際2002年4月19日には当時のFBI長官ロバート・ミュラーがサンフランシスコのコモンウェルズ・クラブにおいて「ハイジャック犯とされる人物たちは証拠書類など1枚も残しておらず、彼らと911事件を関連づけるものは何一つ見つからなかった。」と発言しているのです・・
つづく
【参考文献】『国際銀行家たちの地球支配/管理のしくみ』 阿部芳裕 (徳間書店)
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