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真実の日米関係史⑤
若き東郷平八郎は、ハワイの亡国とどう向き合ったか
そして1893年(明治26)、ハワイでクーデターが起こります。
アメリカ人農場主らが米艦ボストンに乗り組んでいた海兵隊150人の協力を得て王政を打倒して臨時政府を樹立、その臨時政府がアメリカに併合を求めたのです。
女王となっていたリリウオカラニは幽閉状態にされました。
日本は急遽、在留邦人保護を理由に巡洋艦「浪速」と「金剛」の2隻をハワイに派遣します。
浪速の艦長は、若き東郷平八郎でした。
ホノルル港に停泊中の米艦ボストンの両側を挟んで真横に投錨してクーデターを威嚇し、次の声明を発表しています。
「武力でハワイ王政を倒す暴挙が進行している。我々は危険にさらされた無辜の市民の安全と保護に当たる」
「浪速」はその後帰国しますが、1年後に再び姿を現します。
臨時政府は共和国の「建国1周年」を祝う礼砲を要請しますが、東郷は「その理由を認めず」と突っぱねたと言われています。
勇気ある決断でした。
港にいた他国の軍艦もそれにならって祝砲を撃ちませんでした。
世界の新聞は「ホノルルの港はハワイ王朝の喪に服すように静寂に包まれた」と報道しました。
アメリカからすればお祝いかもしれませんが、ハワイの原住民や東郷平八郎にとってはそうではありませんでした。
ひとつの国が植民地になってしまったのです。
亡国です。
同じ有色人種の国が白人の乗っ取られてしまったのです。
東郷が祝砲など撃つべきではないと思ったのは当然のことでしょう。
・・つづく・・
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【参考書籍】「太平洋戦争の大嘘」藤井厳喜著(ダイレクト出版)
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